最終更新2023/7/18   神戸メインページ

山手小学校と生田中学の三年生1日までの活動範囲が記録写真の中にある。
神戸18年の記録は地区別下記をご覧ください。
 神戸海洋気象台と神戸市立山手小学校の界隈  2023/6 更新
 兵庫駅から三ノ 宮 2023/7   更新
 垂水、舞子、狩口  明石海峡   2023/6 更新

金星台から 気象台と山手小
  
 1982年4月        2007年1月        2013年10月
神戸海洋気象台  中央は低い鉄塔だけ   右は宇治野山 緑の丘状態
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1982年4月        2007年1月        2013年10月
神戸市立山手小学校  左は山手小学校 諏訪山小学校が確認できる。 中央と右は神戸小学校に変わっている

2013年 逆バージョン  金星台 碇山 市章山


山の電飾が増えている
 
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金星台と諏訪山稲荷神社

あるぜんちな丸(二代)の出航を中突堤に見に行くと、たいがい、5色のテープを持ってくれと頼まれる。
1958年頃は華々しい出航の景色で元気いっぱい、希望いっぱいと感じていた。
石川達三は 神戸つながりで、集本を読んでいるが
蒼茫 と 僕たちの失敗 しか記憶にない。(悲しいお話ばかり)
小説の出航景色は、悲壮感がいっぱい、全く違う。
少しはその情景が理解できる 蒼氓 に出てくる建物から
金星台への道は昔と変わらず早朝の散歩向き。

嵐が丘とジェーン・エア 悲劇の方が、文学性が高いというが、
小説やドラマくらい、めでたしめでたしの方が良いと思う。
辛い酒より旨い酒  山口瞳や(特に)山本周五郎が好き。

  
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4−5歳の頃、稲荷神社で、お正月に餅巻きがあった。
気象台官舎の子供たちで、拾いに行った記憶がある。

  
最も古い記憶では動物園があり、王子動物園ができて、檻だけが残っていた。

金星台は毎年、写生会があり、山手小、全校生徒1500人以上がこの公園で
一斉に絵を描くが、鉛筆2本の参加賞を貰うばかりだった。

    


再度山・大龍寺・修法ケ原

原口市長さんと全生徒一斉ハイキングの再度山、修法ケ原への
道はドライブウェーだった。車だと山門まですぐ着く。
山手女学校横の何丁の石碑がある、お寺への参道(大師道)は
所々に砂防ダムがあり、サワガニを良く採ってきた。
弘法大師が大輪田の泊から中国へ、行きと帰り2度で再度山の話は知っていた。
ただ、道沿いの水量は少なく、飯盒炊爨は出来ない。
  
布引の滝の先、TwentyCross(ハイカラな名前) 岩がゴロゴロ  石を組んで、飯盒でごはんを炊く。
大人が一緒だと すき焼き、子供たちだけの時はちょっとはりこんでオリエンタルホテルのカレー缶。

(生田中vs)布引中の横から(新神戸駅)、布引の滝を通り、〜TwentyCrossを通って行く。
このルートも修法ヶ原、大龍寺に行ける。
トゥウェンティクロスは水がきれい。1968年、撮影時も、何組か、飯盒炊爨をしている。
記録写真には、山手小、歌敷山中、工専の友達と写っており、相当のカレー缶を食べている。

水が良いので、神戸港が発展したと聞いている。
船舶用、烏原貯水池(遠足でいった)など水源地がいくつかある。
(しかし、神戸市民は淀川の水を飲まされていた。)
裏から摩耶山上り、海星女学院まで下りる、手頃なハイキング。


入浴だけ160円(結構高い、銭湯35円時代)、タオルが真っ赤になる温泉
神戸電鉄で有馬に行き、六甲山に登るのもよくやったが
表ルートの六甲山登りは結構きつい。1回で懲りた。

 
沖縄に“のじぎくの塔”があったが、1956年頃国体で、寄付のノジギクバッジがずいぶん出回っていた。
“野路菊”は兵庫県の花だが神戸市内や再度山で本物は見なかった。
日本橋三越デパートで購入し育てているが、葉が丸いのが特徴。姫路、書写山あたりが自生地とか。
重陽の節句用に育てていたが、近年、咲くのが遅く、11月中旬に咲く。



山手小時代、碇山と市章山は光にカブトムシが集まるとかで行ったが採れたことはない。
クヌギの木を見つけて、クワガタは比較的良く採れた。
カブトムシは平野の祇園さんで買ってもらうしか、手に入らなかった。

神戸商工貿易センタービル スカイロビー
110m ポートタワーより高い  1970年2月 見納め神戸 3月、就職で東京。
  




見開きのパンフレット 記憶の風景、1968年頃の市庁舎がある。
用事もないのに、市役所はよく行っている。サンチカから細い地下通路があった。

明石の官舎へ最初で最後の帰省  この夏、父親も東京へ転勤。
摩耶山702mからの夜景(1971年) 
高い建物はポートタワーと神戸商工貿易センタービルだけ
クイズによく出る 100万ドル(電気代)の夜景 
神戸空港は埋め立て工事中。

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諏訪山からだと、灘、芦屋、大阪方面の展望は良くないが、摩耶山だと大阪湾が一望できる。
この方面、あまり縁がなかったので、遠足の王子動物園、お嬢様学校の、海星、松陰、写っているのか?。

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2007年12月、熊本行き飛行機から 神戸空港(完成形)と大阪湾

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会下山85m・平野

2015年9月 会下山に登ってみた。

生田中学の時、凧を上げに来たときはハゲ山だったのに森になっていた。
楠木正成 敗戦の地。  山腹に祇園さんが見えたので、荒田経由で平野へ。
逆ルートで、新開地の友達の家に徒歩で遊びに行っていた。
上沢に4年生の時の先生宅があり、やはり徒歩で遊びに行っている。
五宮町に付き合いで 3か月ほど、土曜日の聖書研究に通ったこともある。
 

神戸の歴史の中であまり表に取り上げられない人物がいる。
神戸の観光ガイドブックに、ほとんど出てこない。



市電の終点、平野は夏休み初日から始まる 祇園さん へ家族で来ていたが
平清盛 この場所に立ってはいなかった。
見直されてきたか、観光商売の為か、祇園精舎と合わせたか。
(視聴率わるかったげど)NHKドラマのおかげ。

大輪田の泊り
神戸、第一の功労者と思う。

平清盛 家紋 アゲハ蝶
宮崎 椎葉村、下関 赤間神宮、能登 時国家など出かけているが
アゲハ蝶を見ていない。


時国家の駕籠にいたかも知れないが判別出来ない。
普通のアゲハ、神戸に多いクスノキ食のアオスジは家紋の特徴がない。
清盛の時代、神戸にクスノキが多かったかどうか、判らない。

我が家の 柚子の木生まれのクロアゲハ、ちょっと家紋に似ている。
   
清盛家紋、ネット検索でフリー素材を発見した。
クロアゲハと筋模様、三日月マークが内外逆になっている。




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都が置かれた 福原は 湊川神社と新開地のあいだ、
特に新開地に隣接する東側は
子供時代、行ってはいけない地域でイメージダウン。

平野の平が平氏とは、初めて知った。

須磨の臨海学校に行く市電から、長田区か兵庫区で
石塔を観て、清盛を知っている程度だった。



鷹取山328m・鉢伏山248m


1997年4月 稜線の端あたり、どの山だろうか

神戸の観光地と言えば、須磨浦公園、須磨水族館、須磨寺、海水浴場。
捕鯨船が神戸港から出ていたので、水族館にクジラの展示が多くあった。
遠足などで5回以上は出かけているが、写真が残っていない。
須磨臨海学校の集合写真はたくさんあるが近場の遠足はカメラマン不在だったようだ。


山陽電鉄のパンフレット(2枚)はロープウェイ 子供往復 55円とある。年月不明
ここのリフトの中間点に 摂津と播磨の境があったが、垂水区は播磨の国だったか。



臨海学校当時と同じ、パンフレットでは須磨海岸の砂浜は綺麗に写っている。
浅いところでも ヒサゴ がいて、 テンコチが海底にいっぱいだった。
現在の海岸はギザギザで随分違う。

1年生最初の遠足と3学期恒例のお別れ遠足は徒歩で、王子動物園だったが、写真がない。

お世話になった病院 
熊野神社前の病院、随分ハイカラな名前になっている。かつて中央病院と呼ばれていたように思う。
ここの小児科に、2歳の時、はりつけになった木型が小4くらいまで置いてあった。忌々しい。
白衣を着ている人、大嫌いで、床屋さんで頭を刈るのが大変だったそう。



盆踊り・地蔵盆
8月14-15日の盆踊りは熊野神社の狭い境内だったが8月24日頃の地蔵盆は下記橋の先、
楠谷のお地蔵さまと凄く変わってしまった風景だが、右側川沿いのひろい広場で盛大に行われていた。
ほとんどが 炭坑節  東京音頭や河内音頭はかからなかった。
地蔵盆は町内のお地蔵様と子供が主役と言われており、参加賞も飲み物やお菓子が豊富にあった。



関帝廟の入口脇にお地蔵様を発見したが、昔、あった記憶がない。


平野浄水場

2015年                  1958年(上からの写真)
掘割筋の突き当り、小学生時代、何かのイベントで入っているが大きなポンプ、記憶が薄い。

神戸港

神戸海洋気象台の春風丸は ガニガワ桟橋から 台風の定点観測に出ていた。
西側の所々、穴があいている様な汚い場所だったが
歩いた距離から、多分、観光地になったあたりではなかったか。
走水のアジの釣船クラスの、小さな船でよく観測していたと思う。


1958年5月 確かに 船がいっぱい
この頃、数人で手作りの竿とミミズで、中突堤の先端に釣りに出かけたことがある。
透明深度、ゼロに近く、油汚れ、もちろん、釣果ゼロ。

1963年創業とあるが 1965年頃のパンフレット。(オリンパスPENの写真がある。)
原口市長の作品



 


横浜 氷川丸とマリンタワー
出来た頃、東京から来た人に、ポートタワーはマリンタワーのコピーと言われたが、
外観は似ていると言われると似ている。構造はかなり異なる。
マリンタワーの構造的は東京タワーや名古屋タワーに近い様に思う。

三井商船の船員に親戚がいて、入港まで、家族は我が家に滞在していた。
入港すると、大倉山下の、海員会館へ家族は移って行く。
万寿山丸、榛名山丸に遊びに行ったが、第5−6突堤だったと思う。
船の食堂で、美味しいコーヒーや外国の果物を頂いている。

アメリカ海軍の船が入ると、招待、見学会が時々あった。
2学年したあたりの世代で、兵隊さんのサインを貰うのが流行っていた。
鬼畜、チューインガム世代ではないが 意味わからん。(と、今も思う)


SCRAP&BUILD
この言葉、2000年頃、企業でもよく言われていた。
土木の原口市長さんは頑張ったと思う。
垂水は Scrap&build 最前線と思ったが

生田区、山手小、生田中、市電、海洋気象台、トーテムポール、花時計

代替はあるが、子供の頃の中心部も実践されている。
三越など、お店は、経営方針、後継者、栄枯盛衰あるのでなくなるのもしょうがないが
神戸は伝統が無いので、執着がない、風景が簡単にかわっても気に留めない。
革新的国際港湾都市 利便性の追求は当然だと思う。
神戸市の神戸、県庁所在地 気に留めない?。


新しく出来たのは
舞子の架橋、神戸空港

1993年10月  学校帰りに釣りをした西舞子の浜から架橋。


 神戸海洋気象台と神戸市立山手小学校の界隈  2023/6 更新
 兵庫駅から三ノ 宮 2023/7 更新
 垂水、舞子、狩口  明石海峡   2023/6 更新



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