シャガール作品の研究

作品その1

7本指の自画像 1912〜1913年
アムステルダム市立美術館

シャガールがパリ滞在の青年画家時代の作品で、 子供のころに過ごしたロシアの村のことを思い出しながら、アトリエで絵を描いている。 この時代の最新の絵画、キュービズム画法、の影響を受けていることがわかります。

7本指の謎?

まず考えられることは、シャガールがユダヤ人であるということで、 ユダヤ教の象徴の一つであるメノラの形を意識して描いたのではないかと思われます。 メノラとは7本のローソクを灯す燭台です。例えば、

Menorah(七枝の燭台)

ヘブライ語が書かれている!

「7本指の自画像」の上方をよく見ると、左端は都会「パリ」の風景で、右端は故郷「ロシア」の風景ですが、その間にヘブライ語の文字が書き込まれています。この単語の意味は、

 =「パリ」  =「ロシア」

7本指の画家が書いているキャンパスの絵、まさしくこの絵です!

作品その2

ロシアとロバとその他のものたちに 1911〜1912年
パリ国立近代市立美術館

「ロシアと雌牛と、その他の...」という題名なら分かるのですが、 なぜこんな不思議な名がついているのでしょうか?みなさん、そう思いませんか。 あちこちのシャガールの解説本を読んでみると、こんなことなどが書かれていました。

この奇妙な題名は、シャガールの友人で、詩人のブレーズ・サンドラールによるものである。 この献辞は、シャガールに感銘をあたえ、それでかれは、このおかしなそして神秘な題名を受け入れたのである。
話は脱線しますが、ちょっと歴史を。。。

シャガールのパリのアトリエは「はちの巣」という名前です。 1910年のこと、彼はついに光の都パリにやってきた。 そこには世界中の芸術家たちが集まっていて、すぐ友だちができた。 画家では、モジリアニとかドローネイ。詩人たちもにも、シャガールの絵は大評判だった。 空中にただよう大時計や十字架、シャンデリア、動物などを見て、みんなはずいぶんびっくりしたらしい。するとシャガールは、「これは私の思い出なんだ」と、説明した。 「私の絵は、私の人生そのものなんだよ」とね。 詩人のブレーズ・サンドラールは、「なんだか、自分の頭のなかを見るようだなぁ」と、感心したそうだ。

パリのシャガールは、いつもヴェテスブルクのことを考えていた。 そんなある日、彼は故郷に帰ろうと思いたった。妹の結婚式に参列するために、 そしてベラに再会するために。

シャガールはベラと結婚し、1916年には、ベラにはイダという可愛い女の子が生まれた。 彼は、それから10年ちかく、パリには戻れなかった。戦争がはじまったからです。 そして戦争が終わったとたん、こんどは1917年に、ロシア革命が起こった。 新しい政府からの願いで、シャガールは美術学校の校長先生となって活躍するのですが、 シャガーの自由奔放な絵は、革命家たちには好まれなかった。

そんな時期、1923年、サンドラールからシャガールに手紙がきた。 「こっちへ戻ってこいよ。きみは有名だ。みんな待っている」と書いてあった。 シャガールは一家でパリに帰った。そのときかれは、故郷の思い出をみんな頭にいれて、 パリにもっていくことにしたんだ。

.....
彼は眠り
目覚めると
ふいに描きだす
故郷の教会や
故郷のめ牛や
故郷のイワシを.....

     ブレーズ・サンドラール

さて、話しを戻しますが、「ロシアとロバとその他のものたちに」に描かれている雌牛には、 二匹の子牛が乳を飲んでいます。赤色の牛と、緑色の子牛、これは補色関係の強調。 しかしよく見ると、少なくとも一方は子牛ではなく人の子として描かれています。 これについては、こんな解説の本がありました。

あれはきっと、ローマの古い伝説にでてくる双子の兄弟「ロムルスとレムス」をあらわしているんだよ。
そんな伝説は知らないので意味不明ですが、どう見てもふたごの人の子には見えませんね。 この一方の子牛は実はロバなのかもしれません。 詩人サンドラールが「ロバ」と名付けたのも、納得できる気がしてきました。


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