商売の誠実さ from The Mekhilta もし人が彼の商売の取り引きで誠実であり、人々が彼を尊敬するならば、 彼はトーラ全体の義務を果たしかのようにみなされる。 [ --- Mekhilta, Vayeesa, chapter 1 (see Lauterbach, Vol.II, page 96; see also page 3, and the teaching that the first question posed to a person after death concerns honesty in business) ] あなたの友人の資産を、あたかもあなた自身のものであるように扱いなさい。 [ --- Ethics of the Fathers 2:17 ] 小売商人は、物差し(measure)を週に二度、ふき取らなければならない、 重り(weight)を週に一度、ふき取らなければならない、 秤り(scale)を重さを計る度に、ふき取らなければならない。 [ --- Mishna Bava Bathra 5:10 ]back to this page top言い替えれば、商人は注意しなさい! 売り主は、一つの置き場に異なった等級の生産物を混在させてはいけない。 (より親しみのある用語で言えば、売り主は、全てが同じ品質でないならば、 最も素晴しく最も赤くなったいちごを一番上に置いてはいけない) ブドウ酒を水で薄めた売り主は、それを客に全て明かさないで売ってはいけない。 そしてどんなことがあっても、彼はそれを卸売り業者には売ってはいけない、 たとえ彼が卸売り業者に薄めたことを明かしたとしても。 なぜならば、その卸売り業者が客をだますかもしれないからである。 [ --- Mishna Bava Mezia 4:11 ; I have followed the translation of, and included the annotations of, Gordon Tucker, "Jewish Business Ethics," page 35 ] 自分自身を比較的に誠実だと考えている人々が、盗品である商品を買うことに関して、 ラビはたとえ話をした。 盗品の受取り人を死刑にして、盗人の方は許していた統治者の話がある。 誰もがこの統治者を合理的な行動をとならいと非難した。 それで彼は何をしたのか? 彼は領地内に宣言した、「全ての人々は闘技場に!」 次に、彼は何をしたのか? 彼は、多くのねずみを連れてきた、そして彼らの前に食べ物の分け前を置いた。 ねずみたちは、その分け前を取って、彼らの穴の中に運んだ。 その翌日、彼は宣言した、「全ての人々は闘技場に!」 再び、彼は、多くのねずみを連れてきて彼らの前に食べ物の分け前を置いた。 しかし今度、彼は、ねずみたちの穴をふさいでしまった。 それでねずみたちが分け前を取って運んだとき、穴がふさがれているのを知り、 元の場所に分け前を戻した。 このように、ねずみは行動してみせた。 しかし盗品の受取り人にとっては、どこにも盗人がいないであろう。 [ --- Leviticus Rabbah 6:2; I have followed, almost verbatim, the translation of William Braude in H.N.Bialik and Y.H.Ravnitzky, The Book of Legends, page 652 ] あるタルムードの討論コースの中で、Rabbi Joseph がこのたとえ話の架空の統治者と 同じような観点で表現した: ねずみではない、その穴が盗人なのだ。 彼と同じ時代のAbbayeは、不注意にもその盗人を無罪にしたことで彼に挑戦した: それでも、もしねずみがいなかったなら、 いかにしてその穴が盗品で満たされるであろうか? [ --- Babylonian Talmud, Gitten 45a ] もしあなたが盗人から盗むのであれば、 あなたもまた盗みを味わったことになる。 [ --- Babylonian Talmud, Berakhot 5b ]
盗みの最悪の型 from The Tosefta 一個人から盗むよりは、多数から盗む方が最悪である。 なぜならば、個人から盗む人は、その盗品を返すことによって彼をなだめることができる。 しかし多数から盗む人は、それができない。 (なぜならば、彼が盗んだ人々の全てですら彼は知らないからである) [ --- Tosefta, Bava Kama 10:14 ] その行為は取り消せないので、公衆をだまし取ることは、殺人や中傷のような、 許されない罪となる。 公衆から盗みをして、後悔したい人々にはこう助言される、 「だまし取ったのを知っている人には支払いなさい、そして公衆の必要に見合う労力を ささげなさい。(例えば公園の作ったり、井戸を掘ったり)」 [ --- Tosefta, Bava Mezia 8:26 ] 非ユダヤ人から盗みをする者は、ユダヤ人から盗みをする者より悪い。 なぜならば、神の名を汚すからである。 [ --- Tosefta, Bava Kama 10;15 ] このように、他のユダヤ人から盗みをする者は聖書の法律の盗みに関して違反する、 しかしそれは彼あるいは彼女自身だけの罪である。 しかし、ユダヤ人が非ユダヤ人から盗みをするとき、 彼はまたユダヤ教とユダヤ民族に悪評をもたらす、それゆえに彼の罪は重大である。 15歳のアンネ・フランクが彼女の日記が記録した、 一人のクリスチャンが行ったことは、彼自身の責任である。 一人のユダヤ人が行ったことは、全てのユダヤ人にふりかかってくる。 [ --- The Diary of a Young Girl ]Back to this page top
盗人の要求する正義とは何か from The Mishna もし人が、他人の木を盗んで道具を作るとか、他人の毛糸を盗んで衣を作るならば、 彼は、盗んだ当時の物質の価値で支払うことを要求される。 もし人が、他人の妊娠している雌牛を盗んで、続けて子牛を生んだとか、 他人の毛のふさふさした羊を盗んで、後に毛をかったならば、 彼は、盗んだ当時の雌牛(子牛を生む直前)の価値、羊(毛をかる直前)の価値で 支払うことを要求される。 もし人が、他人の雌牛を盗んで、その後に妊娠して子牛を生んだとか、 他人の羊を盗んで、その後に毛がふさふさ生えて毛をかったならば、 彼は、盗んだ当時の雌牛の価値、羊の価値で支払うことを要求される。 これが一般規則である: 全ての盗人は、盗んだ当時の物品の価値で支払わなければならない。 [ --- Mishna Bava Kamma 9:1 ] 最初に読むとき、このミシュナの規則は論理的でないようにみえる: 妊娠している雌牛を盗んだ盗人は、続けて生まれた子牛の価値をも支払うことを要求されるべき ではない? ミシュナの規則は、期待されなかった計算、つまり盗人によって行われた骨の折れる労働に対する ラビの同情、に根づいている。 雌牛が子牛を生む場合は、その盗人はその子牛を世話する義務がある、 羊の場合は、その盗人はその毛をかる義務がある。 しかし、盗人によって影響を受け損害が取り消せない場合には、 ラビは被害者の利益を保護することに大いに配慮している: もし盗人が、他人の......果物を盗んで、それらを腐らせたとか、 あるいはワインを盗んで、それが酸っぱくなったならば、 彼は盗んだ当時の価値で支払わなければならない。 [ --- Mishna Bava Kamma 9:2 ] この場合、盗んだ当時の価値で支払うことは、もちろん、盗人にとっては不利である。 from The Mishneh Torah ある人が二人の人々にこう言う場合、 「私は、あなた方の一方から、あるいはあなた方の一方の父(すでに死んでいる)から 盗みをしたが、どちらからかを知らない」 そして、この盗人が天国の観点から彼の義務を果たしたいと望むならば、 彼は盗んだ分の量を二人の各々に支払わなければならない。 しかし、法的な義務は盗んだ分の量だけ返すことである。 盗まれたことをどちらも気が付いていないで、 それを盗んだと自発的に申し出たのは盗人である場合には、 彼らはそのとき、それを平等に分配する。 [ --- Moses Maimonides, Mishner Torah, "Laws of Thievery and Lost Objects," 4:10 ] これは、ラビの法律が、志願の悔い改めを選択肢として提供している比較的まれなケースである。 しかしマイモニデスが明らかにしているように、 もし盗人が、彼がなした損害を取り消したいと望むならば、 法的な義務を満たすことだけでは不十分である。 もし彼が正確に盗んだ分の量を返すならば、その二人の人々はそれを分配するが、 なお、その一方は盗まれたかもしれない50%不足している。back to this page top
商売の道徳 from The Mishneh Torah 人は、異教徒に戦争の武器を売ることは禁止されている。 人は、異教徒の槍を磨いてはいけない、 ナイフ、手錠、鎖、熊、ライオン、あるいは公衆を危険にすることが可能な いかなるものも彼らに売ってはいけない。 しかし、守備のためにのみある保護するものを、彼らに売ることはよい。 [ --- Moses Maimonides, Mishner Torah, "Laws of Murder and Preservation of Life," 12:12, paraphrasing Babylonian Talmud, Avodah Zara 15b ] レーガン大統領の暗殺未遂事件(1981年)を起こしたJohn Hinckleyに拳銃を販売した ダラスの店のオーナーIsaac Goldsteinに、拳銃を販売することを止めるように、 Rabbi J. David Bleich が、公開書簡で上の規則を引用した。 「ユダヤ人は拳銃を売るべきであろうか?」 (Listening to American Jews, edited by Carolyn Oppenheim, pages 209-210) ユダヤ人の法律は、 人が、自分の無責任な行動から生じる邪悪に対して、道徳的な責任を持つことを含む。 大衆の権利に関心をもち、責任については関心をもたないアメリカの法律と違って、 ユダヤ人の法律は両方を主張している。 ちょうど詐欺が売り買いに直接関係があると同じように、 言葉を話すことはそのように適用できる。 もしある人が、それを買う気持ちがないならば、 「この物はいくらするのですか?」とその店の主人に言ってはならない。 [ --- Mishna Bava Mezia 4:10 ] もしあなたが購入を考えているならば、買い物で比較する努力は許されている。 しかし、あなたの好奇心を満たすためだけに、あるいは、 あなたが他のどこかで買ったものについて「良い買い物をした」と確認するためだけに、 そのセールスマンの期待を高めること、あるいは彼の時間を「盗む」ことは、 禁止されている。back to this page top
なぜ正直な人々は、正直でない世界に注意深くなければならないのか? from Talmud ヨブ記にあるこの句は何の意味があるのか? 「暗黒に紛れて家々に忍び入り、日中は閉じこもって光を避ける(ヨブ記24:16)」 (Rava が説明した:)この句はこのように教えている。 ソドムの人々が、金持ちの人々にねたみのまなざしを放っているとき、 彼らは貴重な香りのよいオイルに委ねている。 (金持ちの人は、高価なオイルを彼らの貴重品とともに保管している) 夜に、ソドムの人々は(金持ちの家に忍び入り)、犬のようにオイルを嗅ぎつけて そして全ての貴重品を盗む。 Rabbi Yossi が、この句を Shepporis(北イスラエルの住人)に教えた。 そしてその夜、(彼の講義が終わってから)町には3百人の強盗がいた。 町の人々は、彼に怒りの抗議をした、 「あなたは盗人たちに方法を教えた」 彼は答えた、 「盗人たちが私の講義に来るだろうと、私がどのように知るべきなのか?」 [ --- Babylonian Talmud, Sanhedrin 109a ] 特に悪賢く不誠実な人であるBar Talamionに、100デナールという大金を貸していた男が、 それを返してもらいにやって来た。 Bar Talamionは言った、「私に預けていたものは、すでにあなたに返した。」 男は言った、「ならば、行ってそう誓ってくれ。」 Bar Talamionは何をしたか? 彼は(奥に行って)茎のある棒を取り、その茎の中に100デナールを入れた。 そしてあたかも歩くつえであるかのようにそれに寄りかかって現われた。 彼は、シナゴークに着いたときに、その男に言った、 「私が誓いを請願している間に、このつえをあなたの手で持っていてくれ。」 それから彼は言った、 「あなたが私に預けた金はあなたに返したことを神に誓います。」 その男は怒って、つえを地に投げ捨てた。 すると100デナールがこぼれ出した。 その男が腰をかがめたとき、Bar Talamionは言った、 「それらを集めなさい、あなたが集めているのはあなた自身のものだ。」 [ --- Leviticus Rabbah 6:3; with minor variation, I have followed the translation of William Braude in H.N.Bialik and Y.H.Ravnitzky, The Book of Legends, page 702 ]back to this page top
完全に正直であることの意味は何か? from Eithics of the fathers その最初の人の名を言うリポーターは誰でも、 あがない(救い)に向かっての世界をもたらす。 [ --- Eithics of the fathers 6:6 ] ユダヤ教の観点から、 他人によってなされた声明を自分の手柄にする人は、二重の盗人である。 つまり、その声明の最初の人に属する名声を横取りしていること、 そして、彼の知性を本物以上に高く思わせて聞き手をだますことになること。 しかし、このことがいったい何の世界のあがない(救い)と関係するのか? 人が、ある議論に対して、並外れた機知や洞察を寄与するときは、 彼または彼女は、その議論を深めたいという願望、あるいはまた、 自分がいかに知性があるかを人々に意識させたいという願望によって、 主として動機づけされるかもしれない。 しかしながら、人が、その最初の人の名を言うときは、 彼の動機は、賞賛に勝つためよりも真実を伝えたい、ということが明らかである。 人々がこの動機をすでにもっている世界は、あがない(救い)に向かった良い道である。 from the Talmud 聖なるお方は、口であること言って、心で他のことを言う人を嫌っている。 [ --- Babylonian Talmud, Pesachim 113b ] Rabbi Meir はよく言っていた、 「人は、もしその友人が食べないことをよく知っているならば、 彼の友人に一緒に食べるようにしきりと勧めるべきではない。 同様に、もしその友人が受け取らないことをよく知っているならば、 彼の友人にどんな贈り物も申し出すべきではない。 [ --- Babylonian Talmud, Hullin 94a ] この場合での不誠実は、ラビが「心を盗んでいる」と呼んでいるところのもので、 あなたが本心に意図している以上に、彼または彼女に対してより多くをしようと 彼に確信させることによって、誰かにへつらおうと試みることがそれである。back to this page top