批判する責任、それを行う方法 from The Torah あなたの心の中で、あなたの友人の男を憎んではならない。 あなたの身内の男を戒めなさい、そうすれば彼のゆえに罪を負うことはない。 [ レビ記 19:17 ] 中世の書(Sefel ha-Hinnukh)は、トーラの613の戒律を説明している書で、 上の二つの戒律の遵守は平和な社会を構築するために必要な前提条件であると説明している: なぜならば、ある男が他人に対して罪を犯し、そして犯された側が彼を内密に叱る時は、 その犯罪者は彼に陳謝し、そして他方は彼の謝罪を受け入れて、彼と共に平和になるであろう。 しかしもし一方が彼を叱らないならば、彼は心の中で彼を憎むようになり、 そしてその時かあるいはいつの日かに、彼に危害を与えるであろう。 [ --- 中世の書 "Sefel ha-Hinnukh" commandment #239; vol. 3:81 ] この命令の最後の言葉「そうすれば彼のゆえに罪を負うことはない」は、 二つの方法で理解することができる: 1. あなたが、悪いことを行なおうとしている人を見た時は、 受け身のままでいてはいけない、そうでないとあなたはその罪を分け持つ。 むしろ、その男を叱りなさい、そうすれば彼の行動で責任を負わない。 言い換えれば 2. あなたは他人を叱ることが許されているけれども、そうしている間に罪を犯してはならない: あなたが叱っている男の面目を失ってはならない、なぜならば、 特に公衆の前で他人に屈辱を与えることは、それ自体がとても重大な罪である。 マイモニデスが忠告している: 他人を叱っている人は、その人自身に対しての罪あるいは神に対しての罪いづれであっても、 私的に叱りを与えるべきであり、その犯罪人に優しく、穏やかに話すべきである。 そして彼がその悪事を働く人自身の良心にのみ話しかけている、ということを指摘すべきである... 人は優しく叱り続ける義務がある、ついにはその罪人が叱る人に襲いかかって、 彼に「私は聞くことを拒否する」と言うまで。 [ --- Moses Maimonides, Mishuneh Torah, "Laws Concerning Character Development and Ethical Conduct," 6:7 ] from The Talmud 彼の家族のメンバーが罪を犯すことを止めさせることが出来るのに、そうしない人は誰でも、 彼の家族の罪に対する責任を負う。 もし彼の町の人々が罪を犯すことを止めさせることが出来るのに、そうしないならば、 彼は町の人々の罪に対する責任を負う。 もし彼が全世界が罪を犯すことを止めさせることが出来るのに、そうしないならば、 彼は世界の罪に対する責任を負う。 [ ---Babylonian Talmud, Shabbat 54b ] Rabbi Tarfon が言った: 「叱りを受け入れることが出来る人がこの世代がいるのか、私は疑問に思う、... 」 Rabbi Elazar が言った: 「(批判されている人に屈辱を与えずに)叱り方を知っている人がこの世代がいるのか、 私は疑問に思う、... 」 [ ---Babylonian Talmud, Arakhin 16b ] 批判を伴わない愛は愛ではない..... 叱責を伴わない平和は平和ではない。 [ --- Genesis Rabbah 54:3 ] もし人々が批判を申すことを、それが平和の崩壊に導くとして恐れるならば、 それ自体がその平和はうそであることを証明している。 平和は、もしそれが永続するならば、真実であって恐れは無いことを基本としなければならない。back to this page top
何も言わない時 from The Talmud 人は気にすべきことを言うように命じられていると同様に、 人は気にすべきでないことを言わないように命じられている。 [ ---Babylonian Talmud, Yevamot 65b ] by Rabbi Israel Rabbi Israel of Vishnitz は、彼の助手 "gabbai" と毎日30分間散歩する習慣があった。 そんなある日、彼らはある裕福な銀行の経営者の家の前で立ち止った。 その男は "maskil" として知られていた、「啓蒙」運動の支持者で、ラビの支持者ではなかった。 Rabbi Israel はドアのたたき、そして召し使いがドアを開けたときにその家に入っていった。 当惑した gabbai は何も質問せずにそのラビの後を追った。 その銀行の経営者は、彼の有名なお客さまを敬意を払い丁寧に受け入れた。 ラビは申し出のあった席を取り、しばらくの間何も話さずに座っていた。 そのラビに直接にその訪問の目的を質問することは不作法な儀礼だと知っていたので、 その主人は彼の質問をラビの助手にささやいた、しかし gabbai はただ肩をすくむだけであった。 しばらく経った後に、ラビは離れて立ち上がり主人に別れを言った。 その銀行家はドアまで彼に同伴した、彼の理解できない奇妙さが彼に打ち勝って、質問した: 「どうか説明して下さい、ラビ、あなたはなぜ訪問して私に敬意を払ったのですか?」 ラビは答えた、「私は一つの戒律を満たすためにあなたの家に行ったのです。 私がそれを満たすことができて神に感謝します」 その銀行家は混乱して質問した、「そして、その戒律とは何ですか?」 「我々の賢者たちは教えている: 『人は耳を傾けるであろうことを言うように命じられていると同様に、 人は耳を傾けられないであろうことを言わないように命じられている』 今、もし私が私の家の中に留まり、あなたがあなたの家の中に留まるならば、 『耳を傾けないであろうこと』をあなたに告げることを差し控えることになり、 その戒律はどうなることか? その戒律を正しく満たすために、明らかに聞かないであろう人の家に行かなければならない、 そして「そこで」その男に話すこと差し控えなければならない。 そして私が行なったことはまさしくこれなのです」 その銀行家は言った、 「おそらく、ラビ、このことが何であるのかあなたが私に告げることはとても良いことですよね。 私はおそらく聞くであろうが、誰が知るか?」 ラビは答えた、 「残念ながらあなたは聞かないであろうと思う」 ラビが長く拒否をすればするほど、他方はその秘密を知りたいという好奇心が大きくなった。 彼は、『耳を傾けられないであろうこと』をラビが明かすように強く押し続けた。 「よろしい」、ラビはついに言った、 「ある文無しの未亡人があなたの銀行に、彼女の家を担保として多額の借金をしています。 数日以内に、あなたの銀行は彼女の家を公に競売にかけるでしょう。 そして彼女は通りに放り出だされるでしょう。 私はあなたに彼女の借金を大目に見て欲しいと願っていた、しかしできなかった。 なぜならば、『....でないことを言ってはいけない』という戒律のためなのです」 「しかしあなたは私に何をすることを期待したのですか?」、その銀行家は驚いて尋ねた、 「確かにあなたは悟っていますね、その借金は私個人への負債ではなく、銀行に負っている、 そして私は単にそこの経営者であって、その所有者ではありません。 そしてその負債は数百にも膨らんでいる、そしてもし..... 」 ラビは割り込んで言った、 「まさにそれなのです、私が始めから言ってたこと、あなたが聞かないであろうと」 それをもって、彼は会話を終えて、歩いて出て行った。 その銀行家は彼の家の中に戻った。 しかしラビの言葉は彼の心の中にその置き場を見つけた、そして彼を休ませることがなかった、 彼がその未亡人の負債を彼自身のポケットから支払うまで。 [ --- Rabbi Shlomo Yosef Zevin, A Treasury of Chassidic Tales on the Torah, page 189-191; I have based the above on Uri Kaploun's translation of Rabbi Zevin's rendering of the tale. ]back to this page top