Jewish Wisdom: Chapter 26

What does a Good Guest Say?

第3回講座


第26章「良い客とは何を言うのか?」 このページ最後へ
Good Manners
 from The Talmud

 ベン・ザッカイ(Rabbi Yochanan ben Zakkai)は言った:
 誰もが最初に彼に挨拶をしなかった、市場の中の異邦人でさえも。
                 [ --- Babylonian Talmud, Berakkot 17a ]

 
 from The Fathers

 シャマイは言った:全ての人々を上機嫌で受け入れなさい。
                 [ --- Ethics of the Fathers 1:15 ]

人間は、必然的に、彼らが感じているところのこと(what)をコントロールできない。
しかし彼らが自分自身をいかに表現するか(how)をコントロールできる。
あなたが悪い気分でいるとき、他人にその気分を与える権利は、あなたにはない、
彼あるいは彼女に向けて、そっけなさ、冷ややかさ、無視、をすることでさえも。

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Gratitude and Ingratitude
 from The Talmud

 ベン・ゾマ(Ben Zoma)はよく言っていた:
 良い客は何と言うか?
 「ご主人は、私にどれほど多くの苦労をなされたことでしょうか。
  私の前にどれほど多くの肉を用意されたことでしょうか。
  どれほど多くのワインを出されたことでしょうか。
  どれほど多くのケーキを出されたことでしょうか。
  そしてご主人のこれら全ての苦労は、私のためにして下さった!」

 しかし悪い客は何と言うか?
 「ご主人は、私にどんは種類の苦労をなされたのでしょうか。
  私はパンを一切れ食べただけです。
  私は肉を一つまみ食べただけです。
  私はワインを一杯飲んだだけです。
  そしてご主人のこれら全ての苦労は、彼の妻と子供たちのためだけでした!」
                 [ --- Babylonian Talmud, Berakkot 58a ]

人々が夕食をした家を離れるときに、たった今彼らをもてなしてくれた人々についての性格の
分析を省いてただちに離れてしまうことを、あなたがたはかって注目したことがありますか?
このことは重要なユダヤ人の理想である「Ha-karat ha-tov」、
(たとえ他人があなたに行った小さな好意であっても、その良い行いは全て忘れずに認知しなさい、
という戒律)への奇怪な違反です。
タルムード的なユダヤ教の価値の段階の中で、感謝しないことは奇妙にいとわしいことである、
もしそれがたいへん共通で特有なことであっても。

ベン・ゾマは、感謝を表現する戒律に専門家であったようだ。 人々の大群衆の光景は、人間嫌いの観察へ人の感情を刺激する光景であるが、 それはベン・ゾマには感謝を呼び起こした:  from The Babylonian Talmud  ベン・ゾマは、昔、神殿の山の階段を登り降りする群衆を見ていた。  彼は言った.....  「私に仕えるためのこれら全ての人々を創造された主なる神に祝福あれ」  なぜならば彼はよく言っていた:  「アダムは、食べるパンを得る前に、何の仕事をしなければならなかったか?   彼は、耕し、種をまき、刈り入れ、穂を束ね、穀物を脱穀し、もみを吹き分け、実を選び、   それらを挽いて、粉をふるいに分け、生パンをこねて、そして焼く。   そしてまさにその後に彼は食べた。   ところが、私は朝起きて、私のためにこれら全てがなされたものを見つける。   そしてアダムは、着るための衣を得る前に、いかに多くの苦労をしなければならなかったか?   彼は、羊の毛を刈り、その毛を洗い、くしでとかし、つむぎ、編む。   そしてまさにその後に彼は着る衣を得た。   ところが、私は朝起きて、私のためにこれら全てがなされたものを見つける。   あらゆる種類の職人が私の家の戸に来て、   そして私が朝起きた時に、私のためにこれら全てが準備されているのを見つける。」                  [ --- Babylonian Talmud, Berakkot 58a ]  from The Fathers   仲間から学ぶ人は、一つの章、一つの法律、一つの句、一つの表現、たとえ一つの文字でも、   その彼を尊敬すべきである。                  [ --- Ethics of the Fathers 6:3 ]   パレスチナのタルムード(Bava Mezia 2:11)はこう記録している: Rabが、彼の子供のときの最初の先生が亡くなったと聞いたとき、喪の意味で衣を裂いた。 上の戒律があるにもかかわらず、人々はしばしば、学んだ人々から感謝をせずに恩知らずな表現をする。 Toronto's Idler magazineの記者Sanford Pinskerは、後にノーベル賞を獲得した作家 Isaac Bashevis Singerによるユーモラスな恩知らずな回想を記録している:  from "In Search of Anti-semitism"  シンガーは昔、ブルックリンのイーデッュ語の仲間に物語を読むために招かれた。  彼らは、シンガーに来るように願ったが、彼に金を支払うにはあまりにも貧しかった。  しかし、彼らの代弁者は主張した:少なくとも彼はイーデッュ語の仲間であるんだし、  コミックな大学を訪問して人々が彼のアクセントを笑いものにするなんてことはない。  シンガーは私に言った、  「私が何をしたのかと?   これらは老人で、それで私は行ったのだ。   タクシーでブルックリン行くのに、私に35ドルかかった。   そして私がついに到着したとき、そこに誰がいたかと?   おそらく12人がみんな一緒にいた。   それで私は新しい物語を読んだ。   私が話し終わるやいなや、最初の男が立ち上がりこんなことを言う:   『これは良い物語ではない。これはシオニスト(Zionist)の物語ではない。    わたしはお前の物語につばをするぞ。』   そして彼は怒って床につばをし、それから座った。   そのとき次の男が立ち上がって言う:   『これは良い物語ではない。これは正統派(Orthodox)の物語ではない。    これは汚い物語だ、わたしもまたお前の物語につばをするぞ。』   そして最初の男のように、彼は怒って床につばをし、それから座った。   その他の者たちは、その物語が社会主義者の話ではない、とか   素敵な物語でもなく正しいイーデッュ語の物語ですらないと。   しかし彼らが同意したことは一つ、それは絶対に良い物語ではないということ。   実際に、一人の男が二度つばをした、一つはシオニストの物語ではないため、そして   もう一つは正統派の物語ではないため。   それで12人から私は13個のつばを集めたのですよ。」    [ --- Cited in a letter from David Frum in William F. Buckley, Jr.,                  In Search of Anti-semitism, page 133 ]
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