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東京大学 飯山一平
セミナーの感想



 頃農業土木や開発という言葉に触れる機会がないため、たまにはそういうことを考えるのも大切だろう、という軽い気持ちが今回のセミナーに参加した動機でした。セミナー当日に先駆けて行われていたメイルでのやりとりや、ホームページに記された企画の経緯などを見ることで企画に携わっている人たちの熱意や目的意識の高さを感じたことが、その動機を補強したと思います。なにより、ほかの大学の人たちと触れあう機会が得られるということが嬉しかったのです。講師の先生方の選定から、学生発表、討論、そしてバーベキューそのほかの企画まで、プランを作り上げてこられた方々には心から御礼申し上げます。
 ミナーのテーマについて。当日の討論では開発という言葉の持つ意味についていろいろ意見が出されていました。それらを聴いて整理した結果、私は、開発とは人間が自然に働きかける行為のうち人間が豊かで便利な生活をするために自然を作り替える行為である、と定義することにしました。以前、開発という言葉の定義を考えないで「自然保護のために開発をする」という使い方をしたこともありましたがこれを誤用と考え、保全という活動とはっきり分けようと思ったのです。
この定義のもとでは、これまで農業に関して行われてきた開発は、豊かで安定した食生活や農作業の利便性を目的とした自然改変の行為である、と言えます。農業土木についての定義も曖昧なものでしたが、これまでの農業土木は農業上の開発を実現するための技術・手段だった、と捉えることにしました。
 と自然との新しい関係を考えるとき、人の行為が環境や生態系に与える影響を抜きに論ずることはできなくなってきています。開発が必要か不要かというディスカッションの中で、開発の定義に迷いがあった私は、はっきりしないという立場をとりました。今は、人が生きていく上で他者の犠牲を必ず伴う以上、開発という行為は必然となってしまうのではないか、と考えています。ただ、開発はどこまで行っても人間のための行為であるから、これを行う際には環境の持つ耐性や容量を考えて行うことになります。自然環境に許可をもらってやらせて頂くという気持ち、と言い換えることができるかもしれません。農業土木については、これまでの用途に加えて、自然保護・保全を目的とした行為を実現するための技術・手段、という位置づけが大きくなってくるのだと思います。
 れからは、自然に働きかける行為の是非や程度を判断するための価値観を作り上げること、そのためにより良い未来像を具体的に描くこと、が必要になってくると思います。環境の持つ耐性や容量を考えて開発を行うにしても、自然保護を目的とした保全活動に農業土木の技術を援用するにしても、はっきりとしたビジョンのないところにその意義を見いだすことはできないと考えるからです。この課題を考えることは、なぜ農業土木を学ぶのか?や、農業土木の方向性とは何か?、といった問題を考えることにもつながっていくと思います。非常に大きな問題で答えがすぐに出てくるはずもなく、自分で考えたり人と議論をしたりすることを通じて自分の考えもこれから変わっていくことでしょう。今回のセミナーでは、このことを考えるきっかけを得たこと、一緒に考えてもらえる仲間を得ることができたことが収穫でした。



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