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愛媛大学 竹下伸一
農業土木と開発



 べ物を得るために、水辺に農地を切り開いた。いつでも水が得られるように、ため池や水路を造った。それによって元々あった生態系は失われ、やがて新しい生態系へと生まれ変わってきた。昔の人も、少しでも良い方向に向かうように願い、それをかなえるように自然を作り替えてきた。今でもその姿勢は変わらないはずである。そういうものをひっくるめて開発というのではないだろうか。
 在、開発という言葉が一人歩きしているように思う。マスコミによって報じられている開発行為が目的と化した開発が、全てであるよう錯覚し、自然に手を加えることに異常な反応を示すようになってしまった。
 ぜ人々はこうも自然に手を加えることをおそれるようになったのか。
 おそらく、それが自分たちにフィードバックされてくることに気がついたからである。農薬などによって、昆虫や動物の姿が見えなくなったことに、自分たちの末路を想像した。しかもそれが現実となり直接人間へ影響を及ぼしてきたことにおびえ始めた。
 がおうにも、自分たちも自然の一員であり、すべてが同じレベルで取り扱われることに気がついてたのだ。今ある自然が変わっていってしまうその成れの果てに、自分たちが被るであろう被害を想像して、異常に脅えてしまっているのではないか。結局、開発も自然保護も人間との関わりの中で決められていくものなのだ。
 域に本当に必要とされるものを作ることに反対する人はいないだろう。自分もその地域に居るとすればなおさらである。開発行為は、人間・自然環境に様々な影響を及ぼす。大事なのはそれによって達成される目的と、人間・自然環境への影響をきちんと見極め、常にそれらを問いながらその時々に責任を持ってベストなものを決定することである。
 のためには、大きな展望と具体的なアイデア、そして技術を持つこと。私たち学生が、持つべき意識はそこにあるのではないだろうか。

 回のサマーセミナーに参加したときは、他の方々の意見に圧倒され何も言うことができなかった。そして今回、少し成長したつもりで積極的に意見を言うよう心がけてきた。確かに、いくらか意見を言うことができたが、その場でいろんな人の意見を聞き、論旨がはずれないように自分の考えをまとめあげながら、みんなにわかるように説明することの難しさを実感した。
 学院生である自分は、社会から見れば立派な(?)研究者の一員である。だから意見を求められることもしばしばある。これからもっとそういう機会が増えて行くのであろう。そうしたときに、きちんと自分の意見を伝えられる技術と、絶えず問題意識を持っていろんなことを学び考える姿勢が大切である。それが私たちに課せられた責任ではないだろうか。
 極的にセミナーに係わってきたおかげで、企画段階からいろんなことを学ぶことができた。鳥取からの電車の中で読んだ本に、私の今の心境を言い当てた文章を見つけたので、それを感想とさせていただきたい。

"結局は受け止め方の問題だよ。誰でも同じ料理が出された時、誰が食っても同じ料理なわけだから、それに対する係わり方が問題であって、それ以外の差っていうのはつかないんじゃないかと思うね。"(たけしの死ぬための生き方:ビートたけし:新潮社)



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