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大阪府立大学 山 本  龍 仁
「第三回サマーセミナーに参加して」



 回のサマーセミナー開催のことは数ヶ月前からMLや幹事の大西さん、野口さんらから連絡をいただいていたのですが、今年は就職活動その他がこの時期に重なるであろうし、こちらの日程が明確でない以上曖昧な答えをすることができなかったので、当初はお断りの連絡をしていました。しかし、京都での学会後の若手懇親会で「飛び入りでも構わないよ」と聞き、また、日程もちょうど重ならなかったので、いきなり何の準備もせず、迷惑も顧みず鳥取へ行ってしまいました。最初は資料も持たず、テーマも知らず、何をしていいのか分からずまごついてしまいましたが、皆さんが暖かく迎えてくださり、とても嬉しかったです。このような学生同士で集まっていろいろな話、議論ができる場所に参加できたのは本当に幸せでした。テーマなどは考えているようで、実は自分でもよく分かっていないようなことでもあり、たくさんの意見を聞き、また、自分の意見を言うことができて勉強になりました。この六年間で一番頭を使ったんじゃないかと思うぐらい充実した3日間でした。
 て、今回のテーマ「農業土木と開発」についてですが、「開発」とは広い意味で言うと、人間が知恵を使って周辺の環境を自分たちの生活に合わせていくことすべてを差すのだと思います。例えば、ただ木の実を採るだけでなく、実の生る木を植えて育ててみた。穴に棲むのではなく、木を切って家を建ててみた。魚は手掴みではなかなかとれないので、仕掛けを作ってみた。ただ種を蒔くだけでは育ちが悪いので、耕して水をやってみた。夜は暗くて危ないから火をおこしてみた。こう考えると昔々から何らかの「開発」をすることが「人」として「自然」なことではないかと思います。「人」は常に「自然」という周辺の環境にインパクトを与え、自分に都合のいい部分を最大限に利用してきた。そして、おそらく何度も失敗し、その繰り返しの中で総合的に最適な方法を選び創り上げてきた。それがつい最近まであった環境であり、風景であり、社会であったのだろう。
 た「自然」というのは「人」に敵対するものではないと思います。よく、自然のしっぺ返しという言葉を聞きますが、「自然」は「人」に対して仕返しをしたり、しっぺ返しをしたり、牙をむいたりしません。ただ、「自然」は自然の法則に従ってあるがままにある。人のインパクトに対して必然的な結果をもたらしているに過ぎない。言うなれば、壁に向かって球を投げ、帰ってきた球が顔にあたったといって腹を立てて、壁を殴って手が痛かった、というところでしょうか。
 年行われている、大型プロジェクト目白押しの公共事業に代表されるいわゆる「開発」は、ひとつの目的とする結果は得られるけれども、それに反応するその他多くの現象について全く無関心であると思います。「開発」の目的は今も昔も人のため、よりよい生活のためです。生存のための「開発」ですから「開発」によって人の生存が脅かされることはあってはならないことですし、本末転倒です。開発の是非を問うというよりどのように開発するか、なんのために開発するのか、その結果どのようなことになるのかを的確に予測するとが何より大切になってくると思います。そして「自然」、「社会」、を含めた周囲の環境をどのように形作っていくか、如何に「自然のリズム」を理解した開発ができるか(するか、しないかを含めた開発)がこれから必要となっていくことでしょう。
 後になりましたがこのサマーセミナーを開催するにあたって力を尽くしてくださった皆さまに厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。


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