--発表用資料--


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新潟大学大学院自然科学研究科 D2
越山 直子


新潟平野と潟
〜鳥屋野潟をとりまく環境〜



1. はじめに
「農業というものは,日本のある地方にとって死にもの狂いの仕事の連続であったように思える.」1)
司馬遼太郎は「街道をゆく〜潟のみち〜」の冒頭でこのように綴っている.今でこそ新潟のコシヒカリといえば全国的にも有名であるが,一昔前まで新潟の米は「鳥またぎ米」(鳥もまたいでしまうくらいまずい米という意味)といわれていた.現在のような新潟平野の姿は,まさに排水改良の努力の結晶なのである.筆者は,新潟平野の中でも亀田郷と呼ばれる地域を対象に研究を進めているが,ここでは新潟平野の成り立ちと筆者の研究背景について紹介する.

2. 新潟平野の成り立ち
(1)放水路の開削
面積2,000km2を越える新潟平野は,信濃川や阿賀野川など大小様々の川が運んできた土砂の堆積によって生まれた一大沖積平野である.勾配も緩やかであり,所々にある砂丘や砂丘列が川の流下をはばんでいたために,平野の河川は互いに関連しあい,氾濫などによって生じた大小様々の潟湖が存在していた.更に,日本海の潮汐変動が小さかったことも加わって,末端における排水不良を招き,ほぼ全域が低湿地帯となった.2)
江戸時代の初期では大小の河川が多くあったにもかかわらず,河口は二ヶ所しかなく,低湿地にある潟は遊水池として重要な役割を果たしていた.このような新潟平野での排水改良は,信濃川,阿賀野川の二大河川が流入しているために,至難を極めていた.これに光明を与えたのが,1730年に開削された松ヶ崎放水路であった.この松ヶ崎放水路は,新田開発政策の一環として行われた紫雲寺潟干拓に関連して開削された加治川の放水路である.ところが,翌年に発生した融雪洪水で阿賀野川の水が流れ込み,一挙に川幅が270mにも拡大し,阿賀野川の本流と化してしまった. この松ヶ崎放水路の阿賀野川本流化は,阿賀野川周辺地域の水害を減少させ,低湿地の干陸化をもたらした.これが他の放水路開削に刺激を与え,信濃川の大河津分水をはじめとした14本の放水路が開削されてきた.こういった放水路開削は,新潟平野の開発と治水の特徴でもあり,これらによって排水改良が進んだのである.3)
(2)亀田郷の排水改良
下流に位置する亀田郷は,信濃川,阿賀野川,小阿賀野川と日本海に囲まれた輪中地帯であり,排水改良が最も遅れた地域でもあった.「地図にない沼」と称された亀田郷では,昭和30年頃まで,腰まで泥に浸かりながら稲作が行われていた.農民は,少しでも耕地を高くしようと,鳥屋野潟の底土をさらって客土に用いた.昭和23年になると,栗の木排水機場が建設され,機械排水が行われるようになり,排水の改良が進んでいった.昭和39年の新潟地震によって栗の木排水機場が被害を受けたが,その復旧事業として,さらに能力アップした親松排水機場が設置された.
(3)現在の亀田郷
現在,亀田郷の面積約10,000haのうち,水田が4,100haを占めている.かつては,「亀田郷」というのは水防組織を指していたが,現在では亀田町,横越町の一部,新潟市の一部を含んだ輪中地帯の名称となっている.亀田郷の地形は皿のようになっており,その中心に遊水池でもある鳥屋野潟が位置している.鳥屋野潟の面積は約180haであり,現存する潟として貴重な水環境空間である.鳥屋野潟の北部は新潟市の中心部も近いために,急激な都市化が進んでいるが,南部には水田が開けているほか,潟を中心とした公園化計画が進められている.
亀田郷の2/3はゼロメートル地帯であり,親松排水機場が郷内の排水を行っている.灌漑期になると,郷内にある3ヶ所の揚水機場によって,用水が供給される.非灌漑期のように揚水が行われない時期は,都市排水が鳥屋野潟に流入し,水質の悪化を招いてしまう.そこで,都市排水を希釈するために,9月から3月までの期間は「フラッシュ用水」として阿賀野川などから揚水を行って,鳥屋野潟に導水している.このフラッシュ用水は,灌漑期には農業用排水が水循環速度を速め,水質を浄化する機能を果たしていることを証明していると考えられている.しかし,亀田郷では,今後も農地転用が進むことが予想されており,原風景となっている田園や広い水面を,都市化の中でどう位置づけていくのかが課題となっている.

3.研究の進め方
卒業論文,修士論文では全く違う研究テーマに携わっており,博士後期課程に入ってから,亀田郷を研究対象とするようになった.学部生の時に授業で,亀田郷の排水改良の歴史を描いたビデオ「葦沼」を見たことである.腰まで泥に浸かりながら刈り取りをする姿が,今も目に焼き付いている.亀田郷における排水改良の努力の末に,現在の田園地帯があることを痛感したビデオであった.筆者にとって,新潟の風土を実感できるようなテーマが,この亀田郷地区の水環境であった.
そして現在,亀田郷内の水循環と水質動向からモデルを構築し,農業用水がどのような役割を果たしているのか,また流域内の水収支と水質との関連を明らかにすることを目的として,調査・研究を進めている.このモデルが完成すれば,亀田郷内における自然環境などと調和した水管理を模索できるのではないかと考えている.
筆者はM1のKさんと一緒に,月1回程度の頻度で採水調査へ行く.二人とも方向音痴な上に乗り物がないので,M先生の愛車を出して頂いて一日で20ヶ所をまわる.朝9時に出発して,各地点で採水と流量観測を行い,たいてい3時頃には大学へ戻ることができる.持ち帰ってきたサンプルは,翌日に水質分析を行っている.この他にも,揚水機場や排水機場のデータを拝借しに,亀田郷土地改良区へ足を運ぶこともある.

4.おわりに
亀田郷に通いはじめてから,いつのまにか1年あまりが過ぎた.今後も,水循環を通して,人間活動と自然関係の調和した関係を模索していきたいと思っている.

参考文献
1)司馬遼太郎:街道をゆく9/潟のみち,朝日文芸文庫
2)大熊孝:洪水と治水の河川史,平凡社
3)高橋裕編:水の話T,技報堂出版
亀田郷土地改良区:http://www.kamedagou.go.jp/



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