雪の結晶ができるときは、周りの過飽和の水蒸気から結晶が生じる。そのとき結晶化することによって余分になったエネルギーは熱として放出されている。このとき周辺のエントロピーを増大させてしまう。
人間がつくったすべてのものは、自然の成り行きによって徐々に崩れたり、破壊したりとごちゃごちゃになるように感じられる。たとえば農地をつくって、整然と作物を生育させているとしよう。きちんと農民が管理しておけば、きちんと作物は収穫できる状態になる。しかし、そのまま頬っておけば、やがて雑草が生えたり、作物の一部は枯れてしまったりとごちゃごちゃになり、最期にはどこが農地だかわからなくなってしまう。
このように自然には方向性があって、人間がつくったものをごちゃごちゃにしてしまうようにみえる。これを我々は「自然はエントロピーが増える方向に変化する」と表現する。
この「エントロピーが増える方向」というものは、いろいろな変化の方向を特徴づけるものである。たとえば、整然と並んだものが乱雑になっていく方向ともいえる。また乱雑であるというのは、「無秩序」といい変えることができる。秩序のあるものが無秩序な状態になる方向ともいえる。いろいろなものがどこにも同じようにごちゃごちゃになっている、バラバラに混ざり合っている状態はまた「平均化」されているともいえる。コップの水の中に角砂糖を入れると、だんだんと水に溶けて、コップの水のなか全体に均一に砂糖が広がっていく。このプロセスは「拡散」である。均一で偏らないことはまた、「平等」であるともいえる。ある状態が、「乱雑」「無秩序」「平均化」「平等」といった状態に向かうこと、変化の方向があることを「エントロピーが増大する」と表現するのである。
自然現象あるいは一般の現象はだんだんとでたらめさが増えていく。これが自然の傾向であるが、これを元に戻すことは必ずしも不可能でないだろう。散らかった部屋をかたずけるには、一日がかりで掃除すれば何とかもとにもどるだろう。しかしこの労力は大変である。これと同じように、一般にエントロピーが大きくなってしまったものを元に戻すには、そのエントロピーが大きいほど大きな仕事が必要である。ほおっておいたとき自然に元に戻るという現象は起こらない。つまり逆にすることができない現象を不可逆現象という。エントロピーとはつまり、不可逆な現象を特徴づけるものなのである。
今まで見てきたように、自然界はでたらめになっていく性質を持つが、一方、生物には自分の組織がでたらめにならないように自分で自分を保つ機能を持っている。いいかえれば、生物は体のエントロピーが増えないようにしているわけである。自分のエントロピーを小さく保つために、まわりに非常に多くのエントロピーを作り出さなくてはならない。
自然には可逆な現象はあり得ない。したがってエントロピーは絶えず増大していることになる。このような意味から最近よく「エントロピー」という言葉がマスコミなどで使われるようになった。特に人間活動と地球環境問題との関係において良く用いられる。石油などの資源を燃やして発生する熱や排気ガスが大気のエントロピーを増大させているとか、生活ゴミや産業廃棄物そのものを増大してしまったエントロピーであると。人間が生活することで、絶えず周囲のいいかえれば、地球のエントロピーを増大させている。
雪の結晶は、エントロピーが小さい。しかし、一部の水蒸気を結晶化させて過飽和状態をなくすと同時に、全体のエントロピーを増加させている。周囲の温度を平均化する、すなわち熱平衡の状態にさせる。このように周囲のエントロピー増大が大きいために雪は結晶でいられるのである。
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