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   「農への回帰」[水文・水資源学会誌,vol.17,5,pp.579(2004) シリーズ「若手のページ」掲載]


  1994年夏.朝5時.愛媛県松山市北部.市内にもかかわらず四国特有の山間部が広がる地区.山腹にはみかん畑が広がる.そこを縫うように走る一本の路.急な坂道をのぼると,目の前にため池が現れる.まだ朝靄が残る時間帯だ.ため池の堤防に目をやると,小さな小屋がある.灯りがともっている.まさかこんなところに人が住んでる?っと思いながら中をちらりとのぞくと,小さなテレビ,テーブル,布団などがあり,そこに初老の男性が2人.水番である.水が貴重な地域では,水を公平に分けるために水を引いていい時間や水路が決められる.この決まりが守られるように,見回りや管理を行う.1994年といえば年降水量が平年の6割という大渇水に見舞われた年である.今でも残るこの水番を見たとき,農業にとっての“水”の価値を実感した.

 私は学部・修士時代を愛媛大学農学部地域環境水文学研究室で学んだ.研究室では愛媛県中部地域(中予)に数カ所の試験流域を持っており,定期的に観測に出かけていた.その中,喜多郡肱川町に,棚田試験流域がある.流域面積10.1ha.流域末端に約3haの棚田が広がる.ちょろちょろと小さな流れが背後の山林から現れる.それらの流れをうまく集めて,最上流の田んぼへ導く.その田んぼから出る水は,直接次の田んぼへ.次々と水の受け渡しをおこなうことで,わずかな水を上手に利用していく.初めから計画的にこのような水利システムが構築されたわけではないであろう.毎年安定に得られる水量から,効率よく利用できる形を試行錯誤的に模索された末に完成されていくのだと思う.この完成されたシステムを見るたびに素直に感動したものだった.

 私のバックグラウンドは農業土木である.農業水利施設の計画・設計のためのツールとして水文学を学んだ.降雨を資源として,蒸発散を消費水量としてとらえ土壌と密接に関わるものとして学んだ.また,流量は基底流量こそが大切であり,降雨,蒸発散も含めた長期間の流出量を流出高としてみることを学び,流域単位における長期間の水収支を強く意識するよう教えられた.以後,私は学問的な嗜好から蒸発散を意識するようになり,水文・水資源学会に入会した.本学会に集う人たちのバックグラウンドは実に多様だ.林学・気象学・河川工学・地理学・地質学などなど.さまざまな立場から見た水循環が展開されている.おなじ蒸発という視点でもそれぞれで見方がずいぶんと異なる.単なる損失雨量とする見方.太陽エネルギーの一つの変換形態としての見方.スケールも様々だ.一枚の葉っぱ.一本の木.大陸規模.私は,これらの違いに大きくとまどい,自分の位置を見失い,いつしか農業土木的な視点に疑問を抱くようになってしまっていた.

 そこで今一度思いめぐらしてみた.農地の存在しない流域はいったいどれくらいあるんだろうか.天水だけで営まれている農地はどれだけあるのだろうか.世界のいたるところに農地が存在し,その農地の多くで潅漑が行われ,潅漑を行うために水を引き,水を引くために水を貯め,そしてそれらをコントロールする.水番をはって水を管理し,うまく水が行き渡るように最適に農地を配置する.それは私が見て,実感して,感動した農業の水利用の姿である.自然な水の流れに,人為が加わることで生まれる多様な水の振る舞い.その多様な振る舞いが,様々な影響を周りの環境に及ぼす.いまや多くの注目がそこに集まる.こうして,私は農業土木的視点からみる水循環を再び強く意識し始めている.

 現在,私はため池を中心とする農地が周辺の気候環境に及ぼす影響や,豪雨時の洪水到達時間を遅らせる効果などを調査している.まさしく農業と水循環の接点であり,多様な水の振る舞いを観察しながら,周りへどのような影響を与えているのかをつぶさに見ているところである.

 水文学.幅が広くて奥が深いこの世界で,未熟ながらも私なりの“農”の視点を持ちながら思考・志向・嗜好していきたい.


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