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   「桜並木の下で」[水土の知 農業農村工学会誌,vol.75,5,pp.424-426(2007) シリーズ「私のビジョン」掲載]


T.今年の抱負

 2007年1月1日.私は手帳に,今年1年の抱負の1つとして,こんな事を書きました.

「2050年の農業・水問題を自分なりに考えてみる」

 なぜこんな抱負を掲げたのか.きっかけはいろいろとあります.
 2004年4月1日.私は宮崎大学に助手として赴任しました.はや3年が過ぎ,いろいろと大学における研究活動や教育活動のサイクルがわかってきたところです.ふと気づくといつの間にか時間が経っていた.そんな感じがしています.そんな場当たり的な対応にそろそろ別れを告げて,一呼吸おき,遠い向こうの景色を確認しながら自分の進むべき方向をおぼろげながらもそろそろ決めるときがきているのではないか.そう思い始めていました.

 それから,きわめて個人的な事ではありますが,私の父はこの1月1日に還暦を迎えました.私は一家の長男として父のために還暦祝いの宴を用意し,親族を集めてお祝いをしました.はにかみながら宴の真ん中にいる父の姿を見つめながら,私が60歳のとき,世界をどんな風にみているのだろうか?その時何をしているのだろうか?そんなことを考えていました.

 私は今年33歳です.60歳のその時,どこで,どんな形態で働いているのかはわかりません.しかしその頃はきっと今よりも定年は延びていることでしょう.たとえば定年が70歳になっていたとすると,それは37年後に訪れます.ということは2044年です.もうあと6年もすれば21世紀も半分を折り返すところですね.2050年.その頃私は76歳.世界が平和で,その上私自身が健康に生活することができていたとすれば,なんとか私自身の目で見ることができる世界です.

 将来の世界を展望した優れた論評は世にたくさん出ています.2006年1月号の農業土木学会誌にも「農業土木ビジョン」が載っています.しかし,それらはどこかよそよそしい.もっと個人的な感覚としての将来を想像してみたい.そうして,現実感のある未来の中にいる自分の姿を想像してみたい.  それが冒頭に紹介した私の抱負の動機でした.

 そんな折訪れたこの「私のビジョン」の執筆の依頼.「私の」と銘打ってあるからには,こんな個人的な展望を述べても許されるであろうと甘い考えを抱きながら,本学会誌の内容からするとちょっと異質なこの抱負を,ちょうど良いこの機会に考えてみたいと思います.


U.2050年未来予想図

 さっそく2050年の世界を想像してみるとしましょう.
 まず,世界の予測で欠かせないのは人口の動態でしょうか.最近の人口予測に寄りますと,世界人口は2050年にピークを迎え約94億人になるとされています.その内訳をみると,先進諸国では軒並み人口が減少する一方で,途上国ではさらに激増することが予想されています.かくいう日本でも,すでに2005年を境に人口減少社会に突入しました.現在のところ2050年頃の日本の人口は約9,000万人ぐらいになっていると推計されています.総人口の減少もさることながら,生産年齢人口の減少が著しいとされています.それに対して増えるのは高齢者人口の割合で,総人口の35%を超えるとされています.これだけ人口が減って,しかも生産年齢人口が減ると,どうしても日本経済は縮小してしまいます.ですから,もはや経済大国としての日本の地位は失墜していると考えるのが当然でしょう.他の先進諸国でも人口の減少と,高齢化率の上昇で経済が縮小傾向へと進むと予想されていますし,とくにアジア諸国でも韓国などは日本をしのぐ急速な高齢化に苦慮していることでしょう.そんな先進諸国に変わって2050年頃の世界経済を牽引するのは,振興めざましいBRICs諸国だといわれています.

 そうなると心配なのが,日本の食糧事情です.現在の日本の低い食糧自給率は,今後人口が減少していくことで自然と上昇していくかもしれません.一方で,ふくれあがった莫大な胃袋を抱え,しかも経済大国となった中国やインドなどが,その経済力にものをいわせて世界中の食料をかき集める強大な食糧輸入国となっていることを想像すると,日本の食卓は様変わりしていることでしょう.経済的な主導権を失った日本は,国内に入ってくる輸入食品に対する厳しい検査を要求できる立場をも失い,当面の食料を確保する必要性から,仕方なくグレードの劣る輸入食料に甘んじるしかない状態になっているかもしれません.これは少し悲観的すぎるかもしれませんが.

 それでも,こういった世界の食糧事情を受けて,国産農産物に対する国民の期待はかつてない勢いで高まっているかもしれません.それは,ともすると農業土木分野にとっては,待ちに待った好機とも考えられます.でも,果たして日本の農業・農村はその時熟した果実を収穫するための備えはできているのでしょうか?というよりも,果実が熟すまで持ちこたえているのでしょうか.

 他に気になるのは気候変動のことでしょうか.このところ加速している各国の温暖化対策のほとんどが首尾良く実施されていくとして,2050年時点でそれらの効果は現れているのでしょうか.各国の研究機関による気候変動予測を見ると,2050年ごろの世界の平均気温はどんなに低く見積もっても1℃は上昇するようです.気候変動が人間社会にもたらすものは様々ですが,食糧の問題と深く絡むことから特に注目されるのは水循環の変動です.今後,これまで以上に水不足人口が急増すると考えられていますし,降雨の減少に見舞われる地域では穀物栽培が窮地に陥る可能性が心配されています.2050年にピークを迎える世界人口と今後さらに膨大な農耕地の減少が予測されているなかで逼迫していく世界の食糧情勢に,水循環の変動に伴う新たな食糧不足が追い打ちをかけることでしょう.さらには,先に述べた中国・インドなどの経済発展と,加速する貿易の自由化,とくに農産物の自由化によって,食糧不足の偏在がより深刻になる可能性も否定できません.

 もう少し水の問題に焦点を当てると,降雨が減少する地域がある一方で,局所的な豪雨による洪水の発生頻度が高くなるとされています.洪水に関しては,台風の大型化と発生頻度の上昇を懸念して日本でも関心が高まってきています.こういった降雨の激しい変動によって変化する河川の流況は,水管理をより困難にさせ,渇水頻度の増加をももたらしているかもしれません.洪水と渇水という振れ幅の大きな現象の多発に対応するために,今後は集中的な水資源管理から離れ,水利施設・治水施設の多点管理とネットワーク化を進めるなどして,リスクを分散化させる動きを促進させる必要があるかもしれません.

 気候変動に関連して今以上に燃料としての石油の使用は制限されていることでしょう.加えて,いよいよ現実味を帯びる石油埋蔵量の減少を前に,世界的に産油量が調整され,石油価格が高騰している可能性もあります.コスト圧力が大きく働くことで,代替エネルギー利用がもはや常識とされることでしょう.石油の利用は生産原料のみに限られるなどした結果,現在これだけ苦労している温室効果ガス排出抑制目標が大幅に達成されているかもしれません.  

 さて,こういった世界に暮らす私たちの生活環境はどうなっているのでしょうか.私を含めた高齢者は,体力的な衰えとともに必要となってくる移動コストは,燃料費の高騰によって少額の年金で生活している私たちの家計を圧迫することでしょう.家計の負担を少しでも減らすため,あまり移動を必要としない都市域が私たちの生活の中心となっているかもしれません.そういった地域に医療・福祉施設を集中的に施す方が自治体としても便利がよい.行政サービスにしても,防災対策にしても集中的な投資でできることから,こういった流れは加速して,生活に必要な施設をコンパクトにまとめた拠点都市が点在していることでしょう.その周辺には,その都市で消費されることを目的とした農産地が広がります.ここでは多彩な農産物が生産され,私たちはやや高価ではあるものの選択的にそれらを購入し毎日の糧としています.少し離れた広大な農地ではもっぱら中国やインドへの輸出を目的とした作物が大規模に栽培されます.ここで働くのは国産農産物の復権によって,活力と経済力をつけた若年就農者たちなのです.


V.そして展望

 こんな未来を想像して,私は何を展望するのか.
 大学の外周道路沿いに咲き誇る桜並木の下をゆったりと散策しながら考えました.桜の寿命は60年といいます.宮崎大学は平成元年にいまの場所に移転してきたので大目に見て今の樹齢は20年ぐらいでしょうか.とするとちょうどこの桜たちが寿命を迎える頃がちょうど2050年です.そのころ同じようにこの道を散策しても,山は同じようにそこにあり,町も同じようにそこにあって,今とあまり代わりなく人々は平穏で安らかな人生を願いながらそこで生活しているでしょう.

 しかし,そこに至るまでに私たちはいくつかの転機で何かを選択しているはずなのです.
 もはや思うように食料を輸入することができなくなると悟ったとき,国内に残された農地を有効に活用しようと動き出す.しかも少なくなった労働力で,多くの高齢者を飢えさせないだけの食料を,今よりも厳しい環境規制の中で生産していかなければならない.そのための技術はすでに開発され・実用段階にきているでしょうか.燃料としての石油の利用は規制され,しかもリンなどの肥料も資源枯渇のために規制される中で,代替エネルギー,代替資源は発見され,それらを有効に活用しながら必要な毎年安定した生産量を確保できているのでしょうか.

 今よりも気温が高く,降水の変動が激しいために水の確保が難しくなっている中で,洪水と渇水のリスクをうまく分散しながらも安定的な生産量を確保することができるだけの生産基盤をきちんと整備できているのでしょうか.

 こういった選択の中に私たちがこれから取り組むべき課題があるのではないかと思います.まずは,選ばざるを得ない状況に陥る前に,なんとか世界を予見して,選ぶことのできる余裕をもってその時を迎えたい.そのために研究者としての私の力を注いでいきたい.そう思い至りながらも,今回2050年の世界を想像する中で,もう1つ私に課せられた役割を意識せずにはいられませんでした.

 2050年の世界で,実際に社会の中心になって活躍しているのは今大学生として私たちのもとで学んでいる学生たちなのです.今年卒業した大学生が社会での役割を全うし,定年を迎える頃がちょうど2050年.そのころ中堅として活躍しているのは今の小学生たちです.

「先生になる人は学問ができるよりも学問を青年に伝えることができる人でなければならない」

 これは,札幌農学校でクラーク博士のもとで学んだ内村鑑三が,明治27年の夏に学生たちを前にして語った言葉です.
 研究者としての使命を果たすとともに,学問を伝えながら,先生という職分をも果たしていきたい.そう強く願うのです.


W.終わりにかえて

 今回大胆すぎる仮説に基づいた未来社会を想像し,そこに向かうだろう私の姿をイメージしてきました.このように時の流れを意識するときに,いつも私の脳裏に浮かんでくるグラフがあります.それは朝永らとともに1965年ノーベル物理学賞を受賞した理論物理学者R・P・ファインマンが物理学の講義で描いた図です.O点を交点とし,横軸に空間,縦軸に時間をとった時空間を表したこの領域は,光の速度を一定とすると3つの領域に分けられます.光の速さに勝るものはない私たちの世界では,“いま”を示すO点に対して,領域2は過去を表します.ここに含まれる実に多くの過去の事象が“いま”を表すO点に影響を与えうる.そしてそれは,領域3に広がる未来へとつながっていく.“いま”何かをしておいたら,実に多くの未来の事象に影響を与えることができるということを表しています.

 この図を思い描くたびに“いま”の価値を心にとめながら,しっかりと使命を果たしておきたいと思うのです.
 2050年.寿命を迎えつつある桜の木の下で,心安らかに世界を眺めることができるように.


1)内村鑑三:後世への最大遺物・デンマルク国の話,岩波文庫,p.51(1946)
2)坪井忠二訳:ファインマン物理学T,岩波書店,p.241(1967)


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