今回の講演者は,2001年「あかね空」で第126回直木賞を受賞した作家:山本一力氏. 現在は作家ですが,それまでは旅行会社での営業マン,ビデオ店の経営とその倒産など,数多くの人生の困難を乗り切って,いまに至る事もあって,そのタイトルは“人生の目利きになる”というものでした. 自分が人生の目利きだと思ったことはない. ただ.ひたすら,セールスをやり続けてきたという自負はある. と,噛みしめるようにいうところから,山本氏の話は始まった. セールスすること.それはすなわち,必ず相手がいるということ. 今,多くの人が自己完結する傾向にある.相手の中に何かを見ようとしていない. 書くことは生業である.ということは誰にでも出来ます. でも,本当の意味で生業となるには,まず,書いたものが本に成らなくてはいけません.そして,その本が書店に並ばなければいけないし,それを手にとる人が必要で,手に取った人を物語に引き込ませ,価値を見いだしてもらって,お金を出してもらわなければいけません. でも,これでもまだ真の生業となるには不十分です. お金を出してまで手に入れた読者の“わくわく”する気持ちに答えなければいけないのです. もし,この人が“面白くない”と感じたら・・・, “購入してまで読む価値無し”と判断したら・・・, この人は,友人達にそう伝えるでしょう. こういったネガティブな情報は,これから読もうと思っていた人の心をいとも簡単に変えてしまうことが出来ます. そうやって,淘汰されていくのです. 相対することで物事は進んでいく. 決して,自分がやったことで完結してはならないのです. こういった物事に対する考え方は,初めて勤めた旅行会社で,徹底的に教えられたのだといいます.数々の厳しい“しつけ”で身に付いたもの. その中にもうひとつ,いっておきたいものがあるといいます. それは,簡単に“責任をとる”と言ってはいけない.ということ. これは何も,責任を逃れるための処世術ではありません. 人は簡単に誰かの責任を負うことは出来ません. 怪我をさせた責任をとる・・・・ この場合何をする? 誤る?・・・誤ったって怪我は治りません. 仕事を辞める?・・・あなたが仕事を辞めたって怪我は治りません. とるべき本当の責任は,怪我をさせる前にあるものなのです. そんな目にあわせないように,心をつかうこと.それが責任なのです.と. 山本氏は2001年に直木賞を受賞しました. 直木賞の前後で変わったことが一つだけあるのだといいます. それは,相手の門が向こうから開くようになったこと. しかし,これは非常に怖い罠. これに勘違いしてはいけない. 世の中の“センセイ”という言葉は,“〜さん”と同じ言葉だと思わなくてはいけない. 確かに,セールスの前半部分は省略できるかもしれない. でも,読者の“わくわく”は,以前よりも確実に高まっています. 作者の奢りはすぐに伝わる. 一瞬たりとも気を抜いてはいけない. 今の本が面白いからといって,次の本も面白いという保証は一切無い. あのチャールズ・チャップリンは,記者の質問にいつもこう答えたのだそうです. 「私の自信作は,次回作です」と. それはまるで自分に言い聞かせるように,言い放ちながら話の幕を閉じました. 今回も私の質問に答えて頂く機会を得ました. 質問は,“社会人になって先輩達に厳しく教えられたことが,後になって本当に良かったと思える”という話を受けてのものです. “今,大学には学生達が授業を評価するシステムがあります.このシステムのもつ良い面はもちろんたくさんありますが,学生に対して厳しいことが良い難くなるといった面があるのも確かです.こういった環境の中で,厳しい言葉を相手に届けるためには何が必要ですか?” と.これに対して山本氏は, “相手の為だなどと,ウソをいってはいけない. それは自分の為ではないですか? 想いを込めた言葉が理解されるまでには時間がかかるものです. 今,伝えようとしていることを,今,わかってくれよ,と相手に求めてはいけない. すぐにわかってもらおうと思わないで,ひたすら相手に向かって話し続ける. そういう覚悟=責任をもつことです.” という,含蓄ある言葉を下さいました. 一つ一つの言葉を,慎重に選びながら,巧みに“間”を採りポツポツと語る言葉は,さすが“作家”と思わせるものでした. 90分という時間の中で,確かにしっかりとセールスされた,今回の講演会でありました. [前画面に戻る]
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