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   土屋賢二:笑う哲学者かく語れり [2006年6月]
                                  -講演会聴講レポート in 慶応MCC夕学五十講
今回は,笑う哲学者として有名なお茶の水大学教授の土屋賢二の講演でした.

途中からなので,全体の流れが把握できなかったんですが,ヴィトゲンシュタインに端を発した哲学的問いのナンセンスさについての話題だったようです.

たとえば,こんな問い
“ロウソクの火が消えると,その火はどこへ行くのか?”とか
“人間は何故8本足なのか?”とか.

「なぜ?」という問いを発する根底にあるのは,そこに実在している事実.これが当然のようにそこにあることを前提として問うので,そのものが存在しない場合,その問いはナンセンスなのだという.
一見,深淵に見えたとしても,問いかけの深遠さと哲学的であるかどうかは無関係なのだと.

同じようにこういう問いも一見哲学的に見える.いまどこかに向かう自分がいたとき,

“自分が行く先は,どうやってわかるのか?”

自分が行こうとする場所をどうやっていま,まさに自分はそこに向かっているのだと言うことを示すことができるのか?

手に持った切符から?
 その切符は目的地に直接届くのか?乗り換えが無いことをどう証明する?
 そもそも書いてある先が本当の目的地であるとどうやって示すのか?

頭の中に目的地があるから?
 たとえば,会社から家に帰る場合.帰宅途中の自分の頭の中には明確に“今自分は家に向かっている”という意識をもっているのか?TVのことや読んでる本のことなどを考えることなく,いつも目的地を頭の中に思い描いているのか?そもそもそれをどうやって証明する?

・・・・とまぁ,問答が続くわけですが,
こういう「自分が決めたものに対して,それがどうしてわかったのか?」という問いについては,まったく問いの形を為していないのだという.

実は世の中には,一見深遠そうに見えるが意味をなさない問いが溢れている.ナンセンスな問いに対して,それらしい深遠そうな答えを導きだす愚を犯している,その行為そのものがナンセンスでたまらないのだという.

土屋氏は,ある問題に対して「哲学の分野ではこういう風に考えるんですよ」的な意見,発想を嫌悪し,生活の中にあるナンセンスな問いを見つけ出し,そのナンセンスさを示すことで言葉の規則性の歪みにあるおもしろみを伝えたいのだと熱く語って,締めくくりました.


哲学的な問答をしてるかと思えば,それはナンセンスなんだとして振り出しに戻る といった展開で話が進むので,ちょっと難しかったようですね.途 中で席を立つ人が多かったように思います.それにポツポツと考えながら話をされるので,講演としてもちょっと聞きにくかったかな.質疑の時,トンチンカン な質問がたくさんされてたってことは,この講演が成功しなかったことを表してますね.

土屋氏は沢山の著書がありますが,私の好きな某哲学者がよく土屋氏を批判していることもあって読んだことがありませんでした.あっでも,某新聞のコラムは読んでるかな.
まぁでも,この機会にちょっとだけ読んでみようかな.食わず嫌いはいけませんからね.

関連書:
 哲学者かく笑えり 2001/講談社文庫 土屋賢二


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