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   千住明:クリエイティビティのある人生を [2006年11月]
                                  -講演会聴講レポート in 慶応MCC夕学五十講
今回は,作曲家の千住明氏でした.

お兄さんは,著名な日本画家:千住博.妹さんは,天才バイオリニスト:千住真理子.
という才気溢れる千住家の次男です.

若い頃の音楽を目指すきっかけになったできごとから,プロの作曲家になるまでの道のりを千住家の教育方針に触れながら語られていました.

とくに慶應義塾大学工学部教授だった父親の影響が強かったようです.
「やるからには【超】がつくほどのプロになれ」
「人生には何回かのキー(鍵)がある」
「空いている電車に乗れ,混んできたら他へ移れ」etc
つねに新しい世界を求め,そこで第一人者になることを強く意識していたといいます.

進学した東京芸術大学作曲科では,心の中の哲学を音楽で表現するアカデミズムとしての音楽を究めた.東京芸術大学大学院を首席で卒業. 「EDEN」という曲を大学院の修了作品として制作した.この曲は史上8人目の大学買上作品となり永久保存されているという.しかし,それは聴く人を必要 としない音楽.

講演中,実際にその曲の一部を聴衆に聞かせていたけれども,たしかに心地よさや気持ちよさを全く感じない曲でした.それよりも張りつめた緊張感のようなものを感じてしまうものでした.

彼は自ら,自分はボンボンだったという.恵まれすぎた家庭環境だったと.
でも,学生時代にいろいろなアルバイトを経験した.そんなアルバイトで様々な境遇の様々な人々がいることを知ったという.そうして多くの人々と知り合い交流を深める中でいつしか,自分だけの音楽ではなく「誰にでもわかる音楽を」作りたいと意識するようになったのだという.

そして彼はそれまでの芸術音楽.現代音楽,クラッシック音楽から,ポップスへと転向した.芸術から芸能の世界へ.しかし,当初は風当たりが強かった.
アカデミズムの立場の人からは,「何故あっちの世界に行くのだ?」と攻められることがしばしばあった.でも,千住氏はポップスの世界でも見事に才能を開花させる.
それは,一度頂点を極めたからこそ,可能だった路線変更なのではないかと私は感じました.きちんとした基礎があるから,世界が違っても応用ができるんだと.

千住氏の話の中で,「プロ」という言葉がたくさん出てきました.
なによりもプロフェッショナルであることを大切にしている.依頼を受けたからには断らない.
いま,彼は「オーダー作曲家」と自らを呼ぶ.短期間で大量の曲を作る.依頼者側から様々な制約条件をかけられる中で大量の曲を作る.どんな制約条 件の中でつくられた音楽であっても,できあがった曲は紛れもない自分の曲.それを多くの人に聞かせる・聞いてもらう責任を負っていることを自覚しなければ いけないと千住氏はいう.

こんなところに芸術世界のトップから,芸能に移ることで味わった苦労がにじみ出ていると感じました.

そんな今の彼に影響を与え続けている父親の言葉があるという.
それは「結果というのは才能かける努力のたまものである」というもの.
多くの人の才能は1.ちょっと優れた人でも才能は1.2.結果の多くは努力の数によるものだ.と.そうしてその結果に責任を持てと.


あまり表情を変えることなく淡々と話をされていました.でも,語られる内容はとても熱い思いが込められたもので,その言葉にも「プロ意識」を随所に感じることができました.
努力を惜しまないこと.そして結果に責任を持つこと.とても大切なメッセージを残した講演会だったと思います.

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