BONO's page -> マイ・研究室 -> 保管ページ ->

   野口健 [2007年3月]
                            -講演会聴講レポート in コスモ石油アースコンシャスアクト
コスモ石油とJFNによる特別講演会に行ってきました.
野口健はTVによく出るので,ご存じだと思いますが,最年少で7大陸最高峰登頂を成し遂げたアルピニスト.いまは,冒険家としての側面よりも環境 活動の方が有名でしょう.エベレストを始め,日本の富士山などでゴミ拾いをしながら登山する清掃登山を約8年ほど前から展開しています.

その活動を資金面で支えるコスモ石油と,広報面で支えるJFNの主催の講演会でした.


開場後講演開始まで,スクリーンではその清掃登山の模様が映像で流れていました.

その後軽妙な足取りで野口氏登場.
あの独特の高い声と早口で,山に登り始めた頃のことから話始めました.


最初のエベレスト挑戦の時に参加した国際登山隊で,隊長の一言で始まったゴミ拾いがはじめての「清掃登山」体験でした.
極限の世界,極限の体力の中でのゴミ拾いは体力的にも精神的にもきつく,嫌々やっていたと野口氏はいいます.

集められたゴミの山をみると,日本語でかかれたものが大変多かったといいます.
それらゴミをみて,メンバーが野口氏にこういいます.


「日本人はヒマラヤをマウント・フジにするのか」


最初,意味がわからなかった.
富士山は日本一の山で,日本の象徴です.ヒマラヤを富士山にする??意味がわかりません.
世界中の山を登った有名な登山家:ラインホルト・メスナーが1980年頃日本にやってきたときのことです.各地の山を登ったそうですが,当然富士山にも挑戦したそうです.そのとき感じた印象を彼は,ことあるごとに講演などで世界中で話していたそうです.
それは


「富士山は世界で一番汚い山だった」 ということ.



それで世界中の登山家・自然保護関係者の間では,富士山=世界一汚い山という認識になっていたのだといいます.それで先述の言葉が出てくる.

このときのエベレスト登頂は失敗に終わりますが,このときの体験は彼の心の片隅に生き続けました.



3度目の挑戦でエベレスト登頂を果たした彼は,その記者会見の席でつい口をついて出てきたのが「清掃登山」への挑戦だったといいます.それは「日本人はヒマラヤをマウント・フジにするのか」という言葉が焼き付いて離れなかったから.


その後,4年間の計画でエベレストの清掃登山を始めます.
極限の世界での清掃活動はとても過酷なもの.犠牲者もで,自らの体もボロボロになりながらの活動.でも続けることであちこちに広がる様々な思いに駆られて,彼はいまも清掃活動を続けている.それはもう8年になる.
エベレストの清掃登山開始後まもなくして,彼は汚い山の代名詞になっていた富士山にも実際に足を運び清掃活動を始めるようになっていきます.環境 省や自治体の不理解などに苦しみながらも,様々な人々との協力のもとで活動を続けていくと,やはり周りが次第に変わってくる.2006年8月には念願だっ た小池環境大臣の清掃活動の参加も実現.

今は,時間と体力の許す限り様々な活動を行っています.そういった活動にまつわる苦労や喜びをユーモアたっぷりに,時間を目一杯オーバーしながら話していました.



個人的にはゴミ拾い活動もさることながら,3度のエベレスト挑戦時に味わった生死を分けた戦いとそのときの精神状態,3年続けた高度8000m地 点の2ヶ月にわたる清掃活動で味わった苦労などがとても印象に残りました.彼はそれをユーモアたっぷりに話していましたが,ものすごく過酷な状況だったこ とが十分に伺えました.

彼は私と同年です.彼もそうだったように私も故・植村直己氏の著書「青春を山に賭けて」をほぼ同時期に読み,まだ見ぬ世界へと思いをはせました. 私は1996年に日本一周をしましたが,彼は1999年に世界7大陸最高峰登頂を成し遂げています.いままでなんとなくですが彼の生き様を意識していまし た.それもあって今回の講演は私にとってとても感慨深いものでした.いろんなことを感じた講演会でした.




[前画面に戻る]

▲ページトップへ

Copyright(C)1998 Shinichi Takeshita(竹下伸一).All Rights Reserved.