生きていくためには、食料を生産し続けなければならない。遙か昔から、食糧を確保するために自然を農地化してきた。人間の数が増えて、より多くの食料が必要になるたびに、さらに農地化したり、既存の農地からの収量を上げるために、様々な技術が導入されてきた。積み上げられた技術を元に、灌漑をすることで自然状態では農地に適さなかった乾燥地、半乾燥地といった土地でも、農業を行うことが可能になり農地を拡大してきた。
しかし、そのように乾燥地・半乾燥地で開拓された農地において、徐々に収穫量が減ってきたり、農地や作物の葉に塩の白粉が現れるようになってきた。”塩害”と呼ばれるその現象は、国連食糧農業機関(FAO)の調査によると世界の灌漑農業地帯の約5分の1で起こっており、現在もその範囲は広がっているという。
塩が蓄積するのメカニズムは、こうである。水に溶けた塩分が毛管力によって土壌表面に上昇する。そこで水分だけが蒸発して、残された塩が集積していく。作物の葉の表面においては、塩を含んだ水が葉に付着し、やはり水分が蒸発して、塩が残るというものである。
塩はどこにあるのか。
灌漑水がもともと塩を含んでいる場合もある。その地域の自然土壌に塩性があり、そこに降雨がある。土壌の塩を含有した水が、河川水へと流れ出す。その水を灌漑水として利用する場合だ。肥料に含まれる塩性が、農地に蓄積されている場合もある。
どうして土壌の表面に塩が集まるのか。
大量に灌漑をおこなって地下水を上昇させていれば、水は容易に表面に到達できる。大型機械の利用により土壌構造が破壊されて耕盤層をつくっていたら、農地の排水を著しく悪くし、宙水を発生させているかもしれない。
塩分の移動は、すべて水に溶けた状態で起こっている。ということは、水、灌漑のコントロールによって、塩の移動を制御することが可能であると思われる。
暗渠を行うなどによって排水を良くすること。これによって水の上昇を防ぐ。また、これと組み合わせて大量の灌漑を行うことで、塩の容脱を行う。ドリップ灌漑などの灌漑水の少量化や灌漑水の水質の向上によって集積速度を低下させる。これも排水改良、大量灌漑で定期的に容脱する必要がある。
結局のところ、塩を洗い流し続けることが重要であるのだ。しかし、塩を洗い流せば下流の水は、より高濃度の塩性を帯びる。一帯で塩を洗い流し続ければ、その下流にて塩が蓄積されるのは明確だ。
1980年、アメリカ・カリフォルニア州のケスターソンにある湿地帯で、水鳥が大量死するという事件が起こった。
農地からの排水が、湿地帯へと流れ込みそこに含まれていたSeによる影響であるとわかった。そのため農場内で塩類を含んだ水を処理するように、各農場内に蒸発池が設けられるようになった。
またオーストラリアの例もある。ここはもともと灌漑水そのものの塩濃度が高い。さらに大量の灌漑により農地の地下水位を上昇させてしまった。毛管上昇によって水が地表面に現れ、水分が蒸発したのち塩が現れ、果樹園に被害が出るようになった。そこでとにかく地下水位を下げる必要があるとして、ポンプにより水をくみ出し、蒸発池に流し込むようにした。しかし、それによって得られる効果にも限度があるため、水田の数を制限したり、もともと浸透の少ない土壌であったため、代かきを行わないことによって浸透を抑えるなどの対策により被害を少なくしている。
どちらの場合も、農地から塩を容脱させたあとの水が、環境へ与える影響を憂慮している。
一方で、農地排水の塩濃度の上昇を予め考慮した、水の利用も考えられている。
そのシステムはこうである。農地に運ばれてきた灌漑水は、まず耐塩性の低い作物にあたえられる。農地に含まれる塩を吸収して塩濃度が高くなった農地排水は、耐塩性の高い作物に与えられ、さらにその排水はユーカリの木など、さらに塩に強い植物に供給される。そうして、高塩濃度になった農地排水は蒸発池へと流入するという仕組みになっている。
しかし、この場合でも蒸発池に流入した高濃度の塩を含んだ水は、水分が蒸発したあと底部に析出する。大量に出現した塩は、結局のところそれを化学的に処理するか、廃棄せざるを得ないのである。化学的に処理するためには、新たな技術・施設やそれにともなう莫大な費用がかかるし、廃棄するにしてもどこへどういったかたちで廃棄するのかが大きな問題となる。
このように灌漑農地の塩類集積問題は、農地の塩類化による作物の不作などの影響ももちろんであるが、農地からでる高濃度の塩を含んだ水の処理が大きな問題となっている。しかし、これは塩に限った問題ではない。肥料や農薬によるものでも見られる問題である。
アメリカ・カリフォルニア州では5月になるとサクラメントの水道水が苦くなることがあった。よくよく調べてみると、水田にまかれた除草剤が、排水に混入し水道水へと流れていた。以後条例によって除草剤散布後、その影響がほとんどなくなるよう28日間排水を規制するようにしている。
日本においても、同様である。
台地でスイカや白菜を生産するとき施肥した肥料が、長年にわたって蓄積。その結果台地の下方で湧出する水に、蓄積された物質が溶けだし水を汚染するといったことがおこっている。また、畜産農家から出る大量の糞尿物による水の汚染もまた、霞ヶ浦の水質環境の悪化などと絡んで大きな問題となっている。
このような現状を見るとき、農業は環境を汚染しているとしかいえない。
農村の集水域には豊かな自然生態系がある。その中には窒素・リンを吸収し浄化する作用を持ったものも存在している。とくに窒素の除去については、水田や湿地は大きな役割を果たしているのがわかってきた。これは淡水によって土壌が還元状態になり、「脱窒作用」が働くからである。よって稲作期間の水田や湿地では植生による吸収とともに脱膣によってかなりの窒素が除去されている。今までの研究によってそういった例は数多く報告され、灌漑期・非灌漑期・水温・藻類の有無などによってかなりの変動があるが、一日あたりの除去量は0.02〜0.8g/u/dとされている。
しかし、広い水田地帯全体の除去量は水田の中の水の流れが均等に行き渡らないことや、除去に関与しない水田があるなどから、単位水田の測定値よりも小さくなる。
また湿地にはえるアシやヨシ、セリ、アヤメなどによって窒素やリンが除去されるという報告も多く見られ、その効果が期待されている。
水田が多く広がる農村域を広く窒素除去域としてその効果を期待することも可能であるが、その効果を過剰に期待するのではなく、あくまでもその発生源を減らす方向でその対策を考えていかなければならないのではないか。
農業が環境を汚染している限り、人類は滅びる方向に向かうのであろう。これは古代オリエント文明が発達したときから、人類に課せられた大きな問題である。これを克服したとき、人間ははじめて地球上で生き続ける権利を獲得できるのだと思う。
[前画面に戻る]