8月25日(火) 報告

竹下&伊藤
 
 の日は朝から晴天。8時に集合した時には薄ら寒かったが、強い日差しのため昼までに気温はどんどん上昇。早速気温の日較差の大きいことを実感した。この集合時間、寝坊のため遅刻する者約2名。しかし朝食以後のスケジュールに支障はきたさなかった。
 予定では8時40分出発だったのが少し遅れて、8時55分に内蒙古農牧学院へと移動する。この日の主要な目的である学生交流のためだ。学院にはバスで運ばれたのだが、敷地内もバスで巡りたくなるほど広く建物が多い。学院全体のための、セントラルヒーティングの働きをする石炭炉まであるので、「これが内蒙古の学生生活空間か」と感心してしまった。
 ちろん途中で降りてまずは、餐庁(つぁんてぃん:食堂)へと案内され、茉莉香茶でのもてなしを受ける。農牧学院の方々との顔合わせだ。まず同学院の性副学長から、挨拶をいただいた。この学院は内蒙古で最も古い農業大学の一つであり、1950年頃から岡山大学と交流があるという。そのあと佐藤先生が挨拶をされた。私達が農業土木を学ぶ学生であることや、中国と日本は養牛を通じて古くから交流があるなどを説明された。次に学生が一人ずつ名前、出身校および学年などの説明と簡単な挨拶をした。わたしたちはみな北京語も英語も使えず、陳さんに通訳を頼りきりだったのだが、学院の方々の英語もしくは日本語での自己紹介に、「た、立場無し…・」と思わされることしきり。受け入れ側の確かな語学力には、圧倒されてしまった。内蒙古農牧学院では外国語に日本語か英語を習わなくてはならないらしい。一方私達は、中学校から数えて10年以上英語を習っているけれど、あれほど美しい英語は喋れない。ラジオや大学の授業でやっと接することのできる北京語など、推して知るべしといった所か。
 通り自己紹介が終わった10時30分頃、学内見学となった。ここから個々人での交流が始まり、学院学生と日本学生とが一対一か二対一の組になってゾロゾロと行動した。私には包艶(ぱおゆぇん)さんという女子学生が一緒について説明をしてくださった。まずは図書館にある展覧室へ。内蒙古で最初の大学としての歴史、生化学・農業工学・農業経済学・社会学・獣医学…等などの構成であること、授業の様子や教科書等が事細かに展示されている。包艶小姐(ぱおゆぇんしゃおぢぇ)は食品化学分野で勉強をしているという。大方の説明は飲み込めるが,獣医学部の展示などは専門用語尽くしで、さすがに意思疎通に困った。が、そこは筆談でフォロー。漢字文化圏で生きる者同士ならではの展開だ。最後に、模型による学院内の説明があった。この模型の大きい事と言ったら!端の方に目が届かなくてあんまりよくわからない程の大きさである。前述の如く学院は広い広い敷地内に多くの建物を含み,学生寮、職員社宅、餐庁、プール、実験室、競技場などが見事に詰まっている。
 書館を出ると一段と日差しがキツくなっている。次の見学場所は水利実験室。学生の王麗萍(わん・りーぴん)さんの実験装置を見せていただいた。曲線を描く自然の河川を模した水路と、取水施設から続く水路とで構成されていた。王小姐(わんしゃおぢぇ)は英語で説明をしてくださった。黄河から取水する頭首工のモデルだということだった。しかし、私にとっては装置のことよりも、My major field of study is the water-engineering.と語られた時の誇らしげな表情ばかりが印象に残っている。
 のあと土壌物理実験室に通された。岡山大学で研究されたこともあるという史海濱教授に装置の説明をしていただた。驚くべきことに実験装置は何から何まで全て手作り。土壌の透水係数測定装置、含水量や電気伝導度を測定する装置、間隙水の挙動を見る装置、この全てがことごとく手作りなのだ。並ならぬ労働力が費やされたことが想像された。また出入口付近には筒状の装置に砂を充填したものがあり、長−いカラムに熱電対やECメータを差込んだ造りになっている。現在はコンピューターに繋がれて測定結果が随時記録されているらしいが、以前は全て手作業、肉眼作業での測定だったのだそうだ。それは私達の引率者である冀さんが修論に使われた装置で、夏季の砂中の土壌水分移動についての研究に用いられたという。「あの時は本当に忙しくて、ずっと学校で寝泊りしたものです。」と熱心に説明してくださった。
 にお昼どきとなったので、再び餐庁に戻り、学院の方々と昼食をとる。といっても昼食会のような感じで、その量と種類の多さに圧倒された。しかもまだ明るいというのにビールなどが振舞われる。油こい料理が文字通り山と並べられて、『サスガ交流重視の日は豪勢だなぁ』と思っていたのだが、なんのことはない、旅行中を通して毎日昼も夜もこんな形式が続くのであった。
 のあとホテルに戻り、1時30分から3時までをお昼寝用に休憩がとられた。これは内蒙古独特の風習で、日中の暑さを避けるためのものなのであった。バスで再び内蒙古農牧学院へと移動。またまた広〜い構内を歩きながら、学内見学をした。午後は主に獣医学科や食品化学科にあたるのだろうか、生化学分野の研究室を1階2階3階と順に見て行く。
 一階 コンピューター実験室(学内RUN) 開発中の病理学のソフト 電子顕微鏡
 二階 分子生物部(タンパク質の研究) 生物行程部(遺伝学部門) 
     電気泳動分析機
 三階 アミノ酸の研究  原子吸光 遠心分離機
     ガスクロマトクラフィー 等など
大体以上のような内容だったが、皆専門分野ではないので折角丁寧に説明して頂いても分かることが少なく残念だった。ただ、数々の装置が古い新しいに関わらず大切にされていることだけは良く分かった。それが日本製である場合には「HITACHIのものだ」「Shimazuのだ」と、嬉々として教えてくださるのには少し困惑したけれど。誉めていただける機械について、ろくに知識がなかったので、どうとも反応できなかったのだ。

 て、学内見学も終わり、4時30分頃に三たび餐庁へ。学生交流会となる。学生生活について、日本の学生と内蒙古農牧学院の学生が互いに代表者を出して発表することになっていた。
それぞれの代表者と発表順序およびその内容は以下の通りである。

日本学生 ………・・…・竹下 伊藤
内蒙古農牧学院学生…王麗萍(わん・りーぴん) 阿拉達(あらっだる) 白貴蓉(ぱい・ぐいろん)

T 竹下(日本語) 日本の形、自分の生活した場所の位置、人口
         大学制度、大学生活 
         休日の過し方 自分の研究テーマ 将来やりたいこと

U 王麗萍(英語) 故郷(包頭)について;メロンや西瓜の生産地で、内蒙古
         自治区の中央北側(日本の本州の中、石川県のような位置)
         に位置すること。
         水利工学を学んでいること。
         日本人学生の皆に、この研修旅行の機会を利用して良い学
         びと経験を得て欲しい、ということ。

V 伊藤(日本語) 所属大学の研究室とそこを選んだ理由
         (日本の高校制度と高校生の話とからめて)
         日本の農業について思うこと。
         自分の学生生活について。

W 阿拉達(日本語)高校2年の時に2ヶ月半日本に滞在していたこと。
         モンゴル族出身であること。故郷の生活のこと。
         獣医であること。
         学院の学生は皆寮生活をしていること。
         就職には自分の能力を活かせる仕事につこうと思うのは日本
         でも同じだろうけれど、自分は牛や馬に囲まれて育ったから
         獣医になることを選んだのだということ。

X 白貴蓉(日本語)修士3年生であること(修士制度の日中の差をからめて)。
         研究と勉強でとても忙しい生活を送っていること。
         獣医学科で乳酸菌の研究をしていること。
         将来は内蒙古の食生活の改善に努めたいこと。

上のような発表を通して、お互いにぐんと情報量が増え、話題も親密さも増した様に思う。日本の学生として、学院側の発表をどの様に聞いたのかを言わせていただければ、まず明確な目的意識があること、自分の勉強を社会と繋げて考えることが当然のように語られていること、そしてやはりその語学力に、ガツーンとやられたと言いたい。本当にこちらが恥かしくなるほど、触発されるものがあった。しつこい様だが語学力にはただただ感心させられ、日本学生の発表者二人は『肩身狭いねー…』とつぶやきあってしまったほどだ。また、発表の後に飛び入りで格日勒鬪(ぐるど)さんという男子学生の方が、自分の父親は逝去しているので学費を稼ぐためにアルバイトをしていること、今日はだけどそのアルバイトを断って交流会に参加していること、日本人学生は親の金で遊んでばかりいるというイメージがあったけれど、そうでもないことが分かったことなどを話してくださった。自身の苦労話をあまりにもあっけらかんと語られるので、厳しい学生生活を笑ってこなす逞しさを感じて心が動かされた。
 の後、佐藤先生からプリントを配られ、世界と日本の酪農業と草原との関わりについてお話しがあり、これをもって交流会はしめくくられた。
 
 のあとは夕食会である。3つほどの円卓に、ふたたび日中入り混じって着席した。学生同士で住所の交換をしあうなど、より打ち解けて交流できた様に思う。私の両隣にも学院の方が座って話しをしてくださる。二人とも、片親が病気だったり、逝去されていたりしてやはり生活は苦しいのだが、まぁなんとかやっている、と言うような事をこれまた明るく聞かせてくれた。聞いてみるほどに、苦学生のなんと多いことか。そしてその苦労をモノともせず乗り越える強さには感服してしまう。
 の夕食の時は各テーブルで差はあるものの、熱烈に白酒が振舞われた。慣れないままカパカパ杯を開けて、酩酊する者が約2名。第1日目でなにも見当がつかなかったからとはいえ、お酒に対する配慮が足りなかった結果と言える。
 食のあとは二次会としてカラオケ・ダンスパーティーが開かれた。学院の方々にはモンゴルの歌と踊りを披露して戴いたが、これに応える日本の歌を即座に歌うことは残念ながら出来なかった。それにしても学院の方々の歌いっぷりには唖然。カラオケで次々流される蒙古族の歌を男女問わずろうろうと唄いあげてゆく。そうこうしている内に突入したダンスタイムでは、やはり学院側の老若男女を問わぬ軽快かつ激しい踊りっぷりに更に唖然。簡単なステップのついたチークまではついてゆけたが(男性も女性もリードが上手くて、もう)、ディスコダンスになった時は一曲でもう力尽きてしまった。もちろん日本の学生で、共に踊り続ける者も多数いたのだけれど。しかし内蒙古まで来て、ディスコダンスとは、予想外だった。

 烈な交流会も11時にはお開きとなった。ホテルへと戻り、簡単なミーティングで翌日の予定を確認した。ここで改めて日本人同士で自己紹介をし、1日目の感想を述べ合った。感想の内容は以下の通り。
    ・英語力(語学力)の不足を感じた。
    ・中国人学生が勉強に対する目的意識を持っているのに驚かされた。
    ・専門外のことはよくわからなかった。
    ・酒を飲みすぎた(飲まされ過ぎた)。
    ・ 集合時間を守りたい。
    ・コミュニケーションには歌や踊りが大事だと思った。
    ・交流会の時、もてなしへの感謝の意をはっきり示せていなかった。
    ・11時30分頃解散となり、それぞれの部屋に戻った。
 上のようにこの日は、第1日目として足慣らしのようなスケジュールで、この旅行のコンセプトの1つである「内蒙古の学生との交流」に重点が置かれた1日であった。後半になってお酒で失態を見せ、通訳をしてくださった陳さんに夜中に迷惑をかけてしまったりもしたが、内蒙古学院の方々の真摯な態度には触発されるものがあり、各々にとって学ぶことの少なくない1日だったと思う。この様な人々と知り合えた事は、この旅行の最も大きな収穫の1つではないだろうか。この後、旅行中を通じて彼らと行動を共にできたことで、日本人としてだけでなく現地の人々の視点でものを考える事ができたと思う。この日、このような学生同士の交流の機会が与えられたことに、心から感謝したい。

 
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