3.河套灌区の塩分集積問題

  (1)塩分集積問題の経過と現状
塩害  河套灌区が開発開始以来,塩分集積問題は灌区最大の問題であった.1961年三盛公枢組完成の後,用水路系統の整備が徐々に進められた結果,灌漑可能水量の増大は塩分集積した荒地の除塩を可能にし,耕地面積を61年の31万haから81年の45万haまで飛躍的に拡大した.分散的に存在していた耕地は,互いに接近して存在するようになった.灌漑水量の増大は,灌漑できずに塩分集積し,放置されていた微高地,斜面を比較的良好な耕地にする一方で,永年にわたって良好な耕地であった平坦窪地へのアルカリ塩集積を激しくするという皮肉な結果となった.灌漑は粗放的に行われ,総幹線排水路,第6,第7幹線排水路は完成していたものの,末端までほとんど排水路が至っておらず,排水は自然河川−烏加河−に頼っており,灌区のアルカリ土壌化(塩分集積)面積の拡大は,日増しに深刻化し ていった.耕地面積は全体として増大する一方で,非塩分化耕地面積は減少し,塩分集積耕地面積の増大を来たした.1970年代はこの傾向が著しく,耕地面積は拡大すれども農業生産は長期にわたって以前と同じ水準を低迷していた.
 1975年総幹線水路の断面拡張,幹線排水路の掘削が完了し,圃場レベルでの灌漑排水系統まで完了した杭錦后旗,臨河地区では,地下水位が低下し,塩分集積が軽減され,収穫量が増加する良好な傾向が認められた.また,1983年烏梁素海から黄河への排水路が完成すると,アルカリ塩集積の加速傾向はいくぶん緩和された.
 1987年末端圃場レベルでの設計が完成し,1989年,末端圃場レベルでの水路建設が本格的に開始した.この計画は1995年完成をめざして現在も続けられている.世界銀行の融資を受けて進行している「水利規画」実施後の灌漑面積と穀物生産の推移をみると,灌漑面積の増大,単位用水量の減少,生産量の増大の傾向が認められる.

(2)河套灌区の塩分収支
 河套灌区への総灌水量と総幹線排水路を通じて烏梁素海への排水されている.灌水量40-50億m3/年に対し,排水量は76年以前の約1億m3から揚水ポンプ完成後5億m3まで増加しているが流入量の約10%にすぎない.したがって流入量の大部分が灌区内で蒸発等により消費されている.また,排水路水の塩分濃度は近年いくぶん低下し,除塩効率の停滞を見せている.排水塩分濃度と排水量から,烏梁素海へ排出される塩分の量は1985年65万tと計算される.一方で黄河より流入する塩分量は,黄河の塩分濃度0.34g/lと灌漑量から計算され,175万tとなる.したがって年間約110万tが灌区に蓄積している.流入と流出の収支を合わせるためには,灌水量および排水路塩分濃度の大きな変化がないものとすると,現在の2.7倍の排水量を確保する必要がある.

 
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