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私にとってこの研修旅行は,内蒙古という土地と人々とに感銘を受け,この企画や,日程を支えてくださった方々や,様々なことに感謝の尽きない1週間でした.また,実際の乾燥地農業と潅漑および排水の実態,塩害の発生している様子を確かめられたり,内蒙古の友人を作る事が出来たりと,得るものが多かった旅でもあります. 8月24日,呼和浩特に到着し,陽気な冀さん達に迎えられバスで運ばれて宿に着き,簡単なミーティングが終わる頃には何故か私は学生交流会での日本学生側の発表者の一人に決まっていました。これはとても幸運だったのかもしれません.というのは、発表者になったせいか現地学生に話掛けて貰える機会が多く,私のこの研修全体の印象が,ほぼ学生同士の交流に色付けられているからです.そう思い返すと,翌8月25日の内蒙古農牧学院の方々との交流会では勿論の事,その後の潅漑区への見学にも草原への観光にも同行してくださった同学院の方々のお陰で,現地で生活する立場での視点を与えられ,学生の熱意には本当に触発されていました.まず,意見発表や隣席した方とのお話等で分ったのですが、片親が死亡や病気をしていたり,元々豊かではない家の事情だったりで経済的に難しい生活を送っているという話をちらほら聞きました。けれども生活疲れの様子は微塵も見受けられず,それどころか目的意識の強い意見を聞かせてくれて,自分と引き比べて恥ずかしく思った事も1度や2度ではありません.学生達が食生活の改善や水利施設についての勉強などを語りながら見せる,自分自身や故郷に注ぐ熱意には,同じ分野を学ぶ者同士としてショックさえ受けました.他にも,蒙古族出身の生徒は大体が日本語に,漢族の生徒は英語にたんのうで,立派なバイリンガル或いはトリリンガルだったのが驚いた事の一つです.必ずそのどちらかで話し掛けてくれるため,全行程を通して日本人学生は語学面で甘えっ放しだったと言っても良いでしょう.本当に交流会だけでなく移動の時も,食事の時も,観光の時間も,学ぶ事の多い交流の場だった様に思います. 私は残念ながら4日目にお腹を壊して河套潅区潅漑排水システム等の最も重要な見学が出来ませんでしたが,全行程で目にした多くの光景に,いくつかの感慨を持ちました.夜の12時台にも自転車の人々が何人も通りを往来する,学生と観光の街呼和浩特や,メロンや西瓜が通り沿いに山と積まれ,機械関係の店が軒を連ねる工業都市包頭などにも内蒙古と中国の姿を見ましたが,言及する事はやはり移動の際に見た内蒙古の姿にこそあります.地平線までたなびく雲の下、広く広く続く畑は大規模農業が行われている事を教えてくれて,それを囲みながらあちこちで途切れている土水路は潅排設備が末端までは整備されていない事を示していました.この時期はネギ,高粱,大豆,ヒマワリ,コムギ,トウモロコシ等,夏の収穫と秋の実りで畑々が最も豊かな様相を呈する時だそうですが,耐塩性に強いヒマワリばかり広範囲に栽培された潅区下流では,塩害の顕著さを見る思いがします.また,木材や土塀で骨組みのされた野菜用のハウスや,水路沿いに植えられたポプラと柳には厳しい環境条件を克服しようとする人々の逞しさを知らされます.かつて草原だった土地が,長大な潅漑の歴史を礎にして耕作地として存続し,今も塩害や乾燥と直面しながら作物を生産している様を実感しました.一方,草原観光の時には,途中に通過した賑やかな高原都市や山上にまで展開する畑と,観光地ではあっても草原の人々の生活を窺わせる草地を比較して戸惑いを感じました.土地を耕作する事で生産性も人口も居住地も増大していく事と,昔からの生活様式で牧畜を続ける事で,草原という環境を維持していく事と,どちらが本当に豊かな形と言えるのかは解りません.ただ,生産性の増大だけに執着せず使う分のみを摂って送る生活が,結果的に草原という環境を守ってきたのでは,と考えられます. 他にも鳥梁素海や,平地と大青山脈での放牧や,樹林の様子等に思う事は色々とありますが,全行程を通して今更ながら考えたのは,乾燥地での潅漑農業にはどれほどの未来が許されていて,私達はその未来をどれ位広げる事が出来るのか,と言う事です.人々が潅漑耕作地ではなく草原という未来を選択する時があるのかもしれません.けれど1度始めた潅漑農業は,こと乾燥地においては養うべき人口や期待される経済効果を抜きにしても,後戻り出来ないのが現状です.この選択肢の先行きを担う農業土木の責任を,改めて思わされました. 最後になりましたが,佐藤先生、中村先生,陳さん,冀さん,内蒙古農牧学院の方々,そしてこの旅行の仲間達に心からの感謝を捧げます.我想説上真的謝謝?們.本当に謝天謝地な研修旅行でした. |
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