| 聖徳太子の真相を糺す |
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太子の実像を求めて |
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| 太子批判の著作を見る |
実在の物的証拠 |
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1 三 経 義 疏 |
2 天皇紀・国記等 |
3 天壽國曼荼羅繍帳 |
5法隆寺の献納物 | |
| 【聖徳太子の実像を求めて】 編集/更新:2009年04月25日 |
| 我が国の古代正史・日本書紀(以下、書紀と略記。古事記と合わせて表記する場合は、記紀と略記する)は、飛鳥時代に朝廷を転覆、乗っ取った征服王朝の記録だった。
その記述は、権力により史実を改竄(かいざん)・偽作し、弥生時代から祀られてきた古神社の祭神や縁起まで改竄され、そのうえ書紀の記述に合わせて造られた神社も幾つかあった。 国民は長らく記紀に騙し続けられ、国家の黎明の記憶を失ってきた。このことは、すでに「記紀に改竄・抹殺された日本の古代史」100)で詳しく考察した。
飛鳥・奈良時代の古代史を追究する者にとって、聖徳太子の真相をを明らかにしなければ時代を下れない。その実像を解明し、太子の偉業はどこまで史実だったのか。どの点が偽作だったのかを明らかにしたいと思う。 「聖徳太子は架空の人物だった」と断定する説や、太子を批判した論調も多数ある。だとすれば、創作された意図やその背景を推理しようと思う。太子批判の論拠も明らかにしなければならない。 聖徳太子に縁(ゆかり)の深いとされる法隆寺は、後に太子の怨霊(おんりょう)を沈めるために、当時の皇室や藤原氏の思惑によって再建された96)と云うが、果たしてその真相はどうかも検証しようと思う。歴史の追究は史実の証(あか)しを探し求めることにある。 人は歴史の中に育ち歴史を育てていく。蟹(かに)は己の甲羅(こうら)に似せて穴を穿(うが)つ如く、ある人は大きく、あるいは小さく、深く、浅く、分相応に様々な足跡を描いて、この世を去っていく。 この国、このふる里の長い歴史を教訓に、身の回りに起こっている今の問題、明日の課題にどう対処すべきかを考える指針にできたらと思う。 古代史関係の文書は古漢字が多く、ご覧いただくパソコンに古漢字フォントがインストールされていないと、?マークになります。極力、( )書きで読みをひらがな書きしました。 更新:2009年04月25日 山人 記 2008/6/11 |