VENOSA
ヴェノーサ
2013.4.26

<概要>

 Venosaは人口1万2千人の山の中の小都市。ローマ植民都市であり、アッピア街道が通っていたがトライヤヌス帝時代にアッピア街道は北に移設された。

<見所>

 旧市街の見所は1470建立のCastello。は考古学博物館(Museo Archeologico Nazionale)になっていたが、旧石器時代の物が多かった。Castelloを出ると再び曇り空。でも雨は降っていない。

 旧市街のメインストリートであるCorso Vittorio Emanuele IIを北に向かうとOrazio(ローマ時代の詩人ホラティウス) の像があるPiazza Orazio Flacco Poeta Latinoに出る。シエスタのせいもあって人影は少なくてちょっと寂しい感じ。

 さらに進むと右手に市庁舎、左手に1502年完成のDuomoがある。15-16世紀にかけて近郊のローマ遺跡から大量のローマ時代の石材を利用して建設された。

向かいにある17-18世紀のPalazzo Calvino(市庁舎)は閉館だった。内部にはハンニバルとの10年以上にわたる戦いの末、紀元前208年にVenosa近郊で果てた執政官マルクス・クラウディウス・マルケルスの遺骸を収めた壺がある。数万人のローマ兵と何人ものローマ執政官が戦死する中、会戦すれば必勝のハンニバルとの全面対決をさけながら「イタリアの楯」と称される執政官ファビウスはハンイバルを追い詰め、一方で執政官マルケルスは果敢にハンイバル軍に食らいつき、少しずつ損害を与えていった。そのマルケルスは「イタリアの剣」と称される。名門クラウディウス家の男らしく独断的で、屈強で、逞しい体格の人物だったらしい。最後にはハンニバルもマルケルスの遺体を丁寧に火葬し、遺灰をローマに届けさせようとしたが、途中で部下が副葬品に目がくらんで奪い合い、遺灰は大地にまかれてしまった。ハンニバルは静かに「それもあの男の運命だろう」といって立ち去ったという記録がある。その遺灰の一部が収められているかも知れない壺を見られなかったのは残念。紀元前34-28年のローマの役人の名前を刻んだ大理石板(Fasti Municipale)もあるらしい。重ね重ね残念。

  Palazzo Calvinoの先を右に曲がるとCasa d’Orazioと呼ばれるローマ時代の遺跡がある。2世紀頃の貴族の邸宅に付随していたであろう半円形プランの遺跡(公会堂または浴室)はOrazioの家かどうかは疑わしいが、いずれにしても今は廃墟。

 一旦Castelloに戻って車に乗りParco Archeologico (考古学公園)へと向かう。車を停めて野晒しのローマ時代の遺跡の発掘現場を歩いて回る。舗床モザイクの断片を残す大浴場施設、紀元前2世紀の住宅街跡、1世紀の円形闘技場(道路を挟んで反対側で入れない)。雨露に濡れた雑草の上を歩く。周りはオリーヴ畑とブドウ畑が広がる。奥にはAbbazia SS. Trinitaがある。旧初期キリスト教時代の教会、1059年ノルマン時代の大修道院、ベネディクト会修道士による未完の新教会(ローマ遺跡の材料を多用)の複合という珍しい建築物。


Castello


Castelloの中庭


Corso Vittorio Emanuele II


Piazza Orazio Flacco Poeta LatinoのOrazio像

Duomo
Palazzo Calvino(市庁舎)は閉館

Casa d’Orazio

Casa d’Orazio

Corso Vittorio Emanuele IIの洒落たタイル屋

S. Philippo Neri(Chiesa del Purgatorio)

Parco Archeologico (考古学公園)ローマ浴場の舗床モザイク

Abbazia SS. Trinitaの未完の新教会

Abbazia SS. Trinitaの未完の新教会

Purgliaの田園風景

Purgliaの田園風景