GERNIKA
ゲルニカ
<旅のメモ>

2008.12.22

 San SebasianからGernika(ゲルニカ)へと向かいました。この辺りの地図を持っていなかったので、ガイドブックの付録の地図などを参考に出かけました。とにかく、ビルバオの近くだと。いい加減に出かけた割には以外にすんなりとGernikaにたどり着きました。案外こざっぱりした町です。ちょっと市内を走り回って、ピカソのゲル二カの絵のレプリカのある場所を探して、その近くの路上駐車場に車を停めました。小銭がないので自販機で駐車チケットを買えません。まあいいかとそのままにしようとしたのですが、向こうから駐車チケットを確認しながらやってくるオジサンがいます。取りあえず、オジサンが来るまで待ってオジサンに話しかけました。
 
“小銭がなくて、駐車チケットが買えなくて困っている。”
 
“両替はもってない。”
と表情を一つも変えずに冷たく言い放ちます。
 “そこの下に行けば商店街があるので両替してから戻ってくればいい”
 “え?”
 
“君たちの車は見たからしばらくはチケット無しでも大丈夫。”
そう言って立ち去って行きました。
 
案外、親切なんだ。そういえばバスク地方に入ってからホテル、レストランなどで接した人達の印象がとても良いんです。皆さん親切です。

 早速商店街に出てツーリスト・オフィスを見つけて市内地図を手に入れました。係りの人は地図で名所を丁寧に説明してくれます。向かいの土産物屋で絵葉書を買って小銭を手に入れ、すぐに駐車チケットを購入しに戻り、ダッシュボード上に載せました。再び戻って行くと、先ほどのオジサンが向かいから歩いてきました。
 
“駐車チケット買っておいたよ”
 
“OK”
にやっとしながら立ち去って行きました。

 車を停めたところからピカソのゲル二カのレプリカが描かれている壁はすぐ近くでした。バスク地方がフランコ将軍に対抗したとのことで、ナチスがこの町を初めて無差別爆撃し、一般市民を含む2000人以上が殺害されたとのことです。その事実が逆にここのバスク人の民族意識をさらに高めているようです。その爆撃で奇跡的に残ったのがバスク総評議会とそしてゲルニカの樫の木だそうです。この樫の木を町の人々、いえバスク人はことのほか大切にしているようです。ゲルニカの樫の木は3本あり、1番目は“お父さん”と呼ばれ14世紀に植えられ450年生きた。次の樫の木は“ご老体”とあだ名され1742年から1892年まで生き、現在でも化石状態でバスク総評議会の庭にコンクリートの東屋みたいな建造物に守られている。北はナバラ・カスティージャ・アラゴン等の領主達はこの樫の木の下で法を守る宣誓をしなければならなかったという。そして初めての無差別空爆を見たのが3番目の樫の木。今ではこの木は図らずも“バスク祖国と自由”、いわゆるETAの象徴にもなっているのだが、2004年に枯れたそうだ。このような高い誇りを持つ町です。

 ツーリスト・オフィスでは朝市に出かけることを進められたのですが、既に昼を過ぎており、ほとんどのお店は閉まりかけていたのですが、まだ開いていたお店で見慣れないソーセージを買ってしまいました。


ピカソのゲルニカのレプリカ壁画<gernika-p05>


街のメインストリートのようです<gernika-p18>


国会議事堂から見た街並み<gernika-p13>


バスク総評議会<gernika-p12>

二番目のゲルニカの樫の木<gernika-p07>

二番目のゲルニカの樫の木(柱の中)<gernika-p14>

三番目のゲルニカの樫の木<gernika-p11>

バスク総評議会内部<gernika-p09>

バスク総評議会内部<gernika-p10>

フォル広場(Plaza Foru)<gernika-p17>

なんか中国っぽい建物<gernika-p20>

カテドラル<gernika-p03>

市場の近くの唐辛子屋<gernika-p15>

雑貨屋<gernika-p16>

窓の回りの色違いの石組みがバスクっぽい感じ<gernika-p19>