BEAUVAIS
ボウヴェ
<旅のメモ>

2016.7.14

 パリから北に50kmほど行ったところにあるピカルディ地域圏のBeauvais。人口は約5万5千人。

 中世には伯爵領となり、その居城がおかれた。百年戦争においては、1346年に一度イングランド軍に攻められた後、1433年に再び包囲された。のち1472年にはブルゴーニュ公軍に包囲されたが、この包囲戦ではある勇敢な女性(Jeanne Hachette)の奮戦が知られている。これを記念して、毎年8月14日にボーヴェでは仮装行列が行われる。

 第二次世界大戦でボーヴェの旧市街の八割は灰燼に帰し、中世およびルネサンスの重要な建造物が破壊されたらしい。

 まずはPlace Jeanne Hachetteに車を停めて、左手にMairie de Beauvais(市庁舎)の立派な建物を眺めながらお目当てのLa Cathedrale Saint-Pierreへと向かいます。昼頃のためか、街の中心にもかかわらず閑散とした感じですが、お店やレストランはそれなりにあるようです。

 アミアン大聖堂を抜いて世界最大の大聖堂となるはずだったボーヴェ大聖堂の建設が始まったのは1225年。高さに無理があったために二度にわたって崩落し、2011年現在でも身廊自体は未完成のまま。身廊がないままのなんとなく丸っこいままの大聖堂は妙な感じです。周囲には137年の大学La Collegiale Saint-Barthelemyの遺構やMUDO(Musee de l'Oise)が見えます。

 大聖堂内部にはJeanne Hachetteが彼女の奮闘の様子を描いた絵画とともにまつられている(注)。16世紀のステンドグラスや金色の天文時計Horloge Astronomiqueが目立ちます。


Place Jeanne Hachette前のMairie de Beauvais


繁華街の様子


La Cathedrale Saint-Pierre


La Cathedrale Saint-Pierre


Jeanne Hachetteが彼女の奮闘の様子を描いた絵画

La Collegiale Saint-Barthelemy

 車に戻ってAMIENへ向けて出発です。

(注:個人のブログ)

 オルレアンの少女ジャンヌ・ダルクが1431年に処刑され、1453年イングランド軍敗退により100年戦争終結。その後もブルゴーニュ公国は領土拡大を目指していました。
 1472年ボーヴェの町は「豪胆公」と呼ばれたブルゴーニュ公シャルルの軍に包囲され士気を失いつつありました。
 要塞が包囲された数日後、ブルゴーニュ軍の兵士の一人が軍旗をかざし塀を乗り越えようとした時、塀の上にジャンヌ・レスネという名前の少女が現われ兵士の旗を奪い堀に突き落とします。この少女の勇敢な行為がボーヴェの市民の勇気を奮い立たせフランス王シャルル11世の援軍の到着までブルゴーニュ軍を攻撃し続けました。
 少女の身に帯びていた小さな手斧(Hachette)からジャンヌ・アシェット(手斧のジャンヌ)と呼ばれるようになります。
 感謝の印としてシャルル11世は毎年6月最後の週末にジャンヌを記念した祭りには女性を先頭に行進するよう命じたとのこと。
 ボーヴェでは毎年6月末の週末に当時の衣装を着けた人々の仮装行列が行われているそうです。先頭はジャンヌ・アシェット。

 それにしてもジャンヌ・ダルクを異端審問で火刑に処したのはイングランド、ブルゴーニュ軍と通じていた当時のボーヴェ司教コーション。当然ボーヴェにはいられなかったわけで、ジャンヌ・アシェットたちが勇敢に戦った頃コーションは既に死亡していましたがボーヴェ司教は不在、酷いものです。市民たちの手でボーヴェの町を救ったというわけですね。

 ブルゴーニュ公国はこの戦いに敗れ、1477年ブルゴーニュはフランス王領に編入されました。
 ジャンヌ・ダルクは火刑され聖女となりましたが、ジャンヌ・アシェットは結婚し母親となり普通の穏やかな人生を送ったらしいです。
 ジャンヌ・アシェット広場のジャンヌ・アシェット像は1850年にヴィタル・デュブレーにより作られ、1851年にルイ・ナポレオン・ボナパルト(後のナポレオン3世)により除幕式が行われたそうです。