梅雨が明ける前から、わが家の庭の景色も徐々に変わってきました。梅雨明け早々、カエル君、池に登場です。
コイは梅雨の間は順調でしたが、明けると水温上昇を受けてやや不調、ポンプでの水が必要です。昨年はトンボが池に産卵、ヤゴが成長してトンボになる様子も見られましたが、今年はまだです。雄のトンボが現れ、池際のハンゲショウなどにとまっています。
先祖代々、父母親族のお墓の周りの雑草を抜き、きれいにして、帰路につきました。
町を出ると 水田には稲が順調に成長して、一面緑の青田になり、風が吹くと稲が一斉に動く景色は、まさに日本の夏の原風景です。
例年、お盆の前のこの季節には、ふるさとの菩提寺の墓地を掃除することにしています。残念ながら、脚腰の劣化がひどくなった私は、墓地の石段さえ登れない状況なので、今年も副編集長に代行してもらうことにしました。
7月18日、朝早くクルマで出発した彼女は、丹波篠山市に到着、ハスの花がさいているかとお城の南濠に向かいました。ちょっと早かったようです。ハスにトンボがいました。
2024年
7月27日
梅雨あがる
椰子の実
故郷の岸を 離れて 2 旧の木は 生いや茂れる われもまた 渚を枕 3 実をとりて 胸にあつれば 海の日の 沈むを見れば |
フウランが今年もきれいに咲いてくれました。十数年前、四国の天狗平へ行ったとき、求めたもの、以来今日まで、この季節になると、変わらず咲いてくれます。
小鳥を見つけました。ヤマガラです。
ようやく、当地方も梅雨が明けました。陰鬱な梅雨があがったら、猛暑襲来、熱中症に注意という警告とともに、コロナがまた、流行し始めたいうニュ-スに脅かされている昨今です。
しかし、梅雨もようやく上がり、ほっとした気分です。近くの山々がくっきりと見え、小鳥たちの声もいっそう明るく聞こえるようです。
山並みを引き寄せて梅雨明けにけり 三村純也 大泣きの顔はれやかに梅雨あがる 大林美智子 梅雨明けや牛にお早う樹にお早う 布施伊夜子 |
7月1号、ありがとうございます。毎回の自然描写、感じいっております。
今回のミズバショウ、きれいでした。
暑中ご自愛ください。
◎神戸市灘区 大前啓介さんから
7月第1号発行おめでとうございます。パソコン復活良かったですね。 長蔵小屋に燧ケ岳、懐かしい名前に出会えました。高校一年の夏に、中学校時の先生に連れられて同級生と訪れました。 長蔵小屋に泊り、夜は草原に寝ころび、手を伸ばせば掴めそうな星空に感動したものです。鼻をつままれても分からない闇も体験しました。翌日は早朝から燧ケ岳に登り、日もたっぷり落ちてから終電が出てしまった鉄道の駅で仮眠したのも懐かしい思い出です。ありがとうございます。 若々しいご夫婦のお姿も拝見できました。 どうかお元気でお過ごしください。 実は先生ご紹介の「夏が来れば」の大好きな歌を思いつき、当ホームで毎日曜日に開いているカラオケ会で早速唄ったところ、最古の方は皆が喜んで、最後の方は皆での大合唱となり、私は鼻高々で大変愉快でした。 それから、先生がシーズンに知る人ぞ知る「尾瀬」をご夫婦で二度も訪れておられることを知り、さすがだとおもいました。 私も外出好きですので、若い頃は全国の有名地はよく訪れましたが、そこまでは手がとどいていないので、先生には負けそうです。尾瀬の風景をバックにしたお若いお二人の写真を見ていると、羨ましくなりました。できればお二人のお顔までわかる、もう一つ大きいサイズの写真が見たいものです。 いよいよ梅雨も末期となりましたが、この頃には思い出すのが、昔大雨災害現場で九死に一生を得たときのことを思い出します。それは私が淡路の洲本署にたこと路、40歳過ぎ頃のこと、 梅雨も末期となりましたが、わたくしは毎年梅雨時になると、過去に仕事中。大雨災害により九死に一生をえたときのことを思い出しております。と申しますのは、淡路の洲本署に勤務していた40歳ころことです。ときに淡路周辺の歴史にない大雨災害が発生しその救助活動時の話です。 災害発生の折、私は命を受け一個分隊を連れて、ある地区の避難活動の支援に出動して、任を果たして徒歩で帰路中、当地の大河洲本川沿道の大氾濫に遭遇しました。救助を要求するも、それが待てない状況なので。責任者として帰路突破を決断しました。それで流されないように捕縄で2.3人づつ体をしばってつなぎ、みんなが手を握りあって一列になり、臍までつかり、それぞれが大声をあげてお互いを励まし合い、警杖と足で道路をまさぐりながら30分ばかり難儀しながら、ようやく難を逃れやっと帰署しました。 その時私達の遭難を知って心配していた署員達全員が拍手で迎えてくれときの感激は、いまだに忘れません。少ししんきくさい話が長引いたようで。どうもすみません。 次に添付の浮世絵は「鈴木春信」の「雪中相合傘」と題する有名作品です。晴信は江戸中期にわずか10年ほど活躍した有名浮世絵作家ですが、絵はもちろん、多色摺りの錦絵の印刷にも大変功績をのこした人のようです。ところがその作品は日本には少なく、なぜか外国で多く(特に米国)保存されているようです。 若い男女の相会傘なんて、錦絵とは思えぬほど魅力がある、私の大好きな絵です。ご覧ください。 ◎神戸市北区 小坂隆一さんから インターネットの不具合でお気遣いされてお疲れさまでした。 尾瀬ヶ原の様子を楽しませていただきました。副編集長様のお好みでしょうか、 水芭蕉や かたつむり のカットも素敵ですね。 お若い頃のお二人の写真を見せていただき 昔からあちらこちらへお出かけになってお楽しみになり、現在もなお 森林植物園や 高山植物園の様子をお伝え下さっているなど、人生を謳歌なさっていて、素晴らしいと思いました。 幻の尾瀬ヶ原昔、むかーし 学生時代に友達と尾瀬ヶ原へ行く約束をしました。ところが 当日になって母の体調がよくなくて 一人娘の私は父と弟の世話があるので、尾瀬行きを断念しました。今でも「夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空」とよく歌います。 その後 尾瀬ヶ原へ行こうとしなかったのは、行った友達が見せてくれた写真が リュックサックを背負って 雨降りだったのか 頭からカッパを被っているものでした。綺麗な水芭蕉ではなかったと思います。私は そういう 出で立ちで旅をする気にならないのが、原因になったのだと思います。そこで私の 心の風景は 何時までも「はるかな尾瀬 遠い空」 なのです。 歌だけで満足してます。 ◎カナダ アルバ-タ 治代・小西・ヘイゼルトンさんから 先生にとってホームページが生き甲斐とのこと、私にとって、日常生活の中に絵になるものを見つけるのが生きがいです。メールのおかげで、先生といまだに会話できるのも人生の大きな楽しみです。
ホームページのお知らせをありがとうございました。 35年前の尾瀬のお写真素敵でした。 カタツムリも可愛いですね。 我が家では、大事にしているハイビスカスがやっと咲き始めました。毎日猛暑ですので、朝夕の水やりが欠かせません。たくさん蕾がついているので、これからが楽しみです。 このところ猛暑に加え、突然の雷や豪雨で、自然の怖さを感じます。どうぞご自愛ください。 ◎神戸市北区 大山嘉子さんから 梅雨深し7月1号拝見しました。 4年に一度、第44回オリンピッツクがパリで7月26日からパリで開催。世界の若者があらゆるスポーツで競い戦う。フランスのクーベルタンが「来るべき未来をつくり出し、過去と未来の調和を図ることは、青年たちの手にかかっている」と提唱した。 現実はいまだに世界に平和は訪れていないが、このパリ五輪が平和をもたらす祭典であることを祈りたい。私がオリンリピックに驚いたのは昭和39年の第18回東京オリンピックである。葺合高校卒業して2年の秋10月10日晴天下で日本の輝きを全世界に示した。親父がカラーテレビを買ってくれて、テレビに夢中になった。想い出は多くあるが、開会式同じ年の坂井義則さん(早稲田大)が、国立競技場最終聖火ランナーでの階段駆け上り聖火台に点火する。ことがいまだに記憶の中に鮮明に残っています。坂井さんは先の東京五輪前に亡くなられておりました。前回の東京大会の時、記念に思い画に描きました。 この昭和39年は高度成長最大の時を日本は迎えてように思います。この大会はマラソン円谷幸吉、ニチボー貝塚女子バレー、体操男子団体、ウエイトリフティング三宅信が金メダルを取り日本国中湧かせました。以後60年多くのオリンピッツクを見せてもらいました。前回の東京も4コマ漫画に描きました、今回も画にして見たいと思います。兵庫出身柔道阿部兄妹、陸上田中希実、飛び込み玉井、ガンバレ11.
ホームページを拝見しました。 露末期の豪雨に警戒と、ウェザーニューズはインフォメーションをするのですが、空振りが多いですね。又は、就寝中の出来事かも知れませんが。 唱歌の夏の想い出が懐かしいですね。みずばしょうがどんな花なのか、竹内さんのホームページで分かりました。 子供の頃、カタツムリん見つけては採集して観察ケースに入れて観察したのになんの変哲もなしに時だけが、経って忘れられて干からびたカタツムリが、哀れでした。 梅雨となるとすがたを現すカタツムリはメジャーですが、最近オケラの声を聴いてない事に気付き、我が家の庭に居るかも知れないと耳を凝らしてみますが、梨の礫です。 梅雨の盛りでいつ驟雨に見舞われるか分からないのに取材に行かれてカタツムリの写真を我々に提供頂いてありがとうございました。 鬱陶しい梅雨空の割れ目に陽射しが確認出来て、目映い光の元を辿ると面積の小さな青空に光溢れた池を眺めている様な気分にさせてくれました。 本日も晴れの日の様な楽しいホームページを拝見できて良かったです。どうもありがとうございました。
ホームページ7月(1)号を拝見しました。更新がされる度に、お二人の行動力と編集の仕事量、そして情熱に驚かされています。 思うように外に出られないこの季節でも、お庭や遊歩道をよく観察されていて梅雨の風景を楽しみました。カタツムリ、沢山いますね。 尾瀬は私にもとっても大変思い出深い場所です。高校のESSクラブの合宿が尾瀬で「かしや」という古い旅館にお世話になっていました。今でもたまにその宿での集まりがあるのですが、タイミングなど合わず行けていません。顧問だった恩師がお元気なうちに一緒にまた行きたいと思っています。 また次号を楽しみにしております。. ハンゲショウのことやタコのこと、初めて知りました。知らないことばかりです。カタツムリ、可愛いですね。こちらではとんとみません。見えてないだけかもしれませんが。 ご一緒に尾瀬に行ったのは懐かしく、また、とてもいい思い出です。6月でしたが、天気も良くて、また、水芭蕉や好きな坐禅草も見れて楽しかったです。もう、35年も前になるのですね。 |
セミが鳴き始めました。抜け殻があちこちに。なんと2階にベランダの屋根の下に
見つけたときはビックリです。何処からやってきたのでしょう?
山々を低く覚ゆる青田かな 蕪 村 一点の偽りもなく青田あり 山口誓子 青田の沖へ手を振るつひに両手振る 斎藤美規 |
今回は島崎藤村作詞、大中寅二作曲による「椰子の実」を紹介します。この詩は柳田国雄が明治38年、伊豆半島の伊良湖岬に滞在中に見つけた椰子の実のことを親友の島崎藤村に告げたのを藤村が、椰子の実の漂泊の旅に、自分が故郷を離れてさまよう.憂いを重ねて、詩にしたといわれています。