2024年
8月10日
炎 暑
暗く暑く大群衆と花火待つ 西東三鬼 大花火沖の暗さを見せにけり 平松萩雨 |
毎年夏には各地で盆踊りや、花火大会が催されます。神戸ではメリケン波止場で行われる「みなと花火大会」が有名で、七十歳台までは、出かけてすばらしい花火を楽しんできました。そのころの画像をとり出し、お目にかけたいと思います。
思い出の花火
我は海の子 作詞・宮原晃一郎 作曲・不詳 一、 我は海の子白浪の さわぐいそべの松原に 煙たなびくとまやこそ 我がなつかしき住家なれ 二、 生まれてしほに浴して 浪を子守の歌と聞き 千里寄せくる海の気を 吸ひてわらべとなりにけり。 三、 高く鼻つくいその香に 不断の花のかをりあり。 なぎさの松に吹く風を いみじき楽と我は聞く。 |
石も木も眼に光る暑さかな 去 来 老骨の夜々に削がるる暑さかな 岡本松浜 暑き日の仔犬の舌の薄きこと 中村草田男 |
◎神戸市灘区 大前啓介さんから
7月第2号、拝見しました。毎回四季の移り変わりを、表現していただいてありがたく読ませていただいております。 暑い折から、ご自愛いただきますよう。 次号ホ-ムページを楽しみにしております ◎神戸市垂水区 二宮尊志さんから 7月第2号発行おめでとうございます。いつも爽やかな風を感じさせてくれます。ありがとうございます。 今年の梅雨は、あっという間に駆け抜けた感じがします。 御菩提寺の蓮の花、風鈴に赤とんぼ。一瞬酷暑を忘れさせてくれます。 風が渡る水田も一服の涼でしょうか。 お庭の小動物も元気そうで、良かったですね。 酷暑はしばらく続きそうです。どうかご無事でお過ごしください。 ◎神戸市北区 肱岡 巌さんから 7月2号有難く拝読しました。 いつも申しておりますが、私の第二の故郷の篠山の風景写真がなんと一番うれしいですね。 そして春日神社やお城祭り、桜見物、盆踊り、などなど沢山の忙しくて楽しかった、年中行事行事を思い出したり、あの広い盆地の山すそまで見わたせる広大な田畑風景が心の中にうかびあがります。 機会があれば、久しく見ていない、あの美しい姿の車塚古墳の遠望写真を見せていただきませんか。勝手を申してすみません.。 梅園の中の一本の老木の太い幹を大胆に前景に入れた、素晴らしい構図の絵ですね。さらにバックの芝生の緑と空の夕焼けの赤色が、なんともいえないほどマッチして、不思議な雰囲気をかもしていますが、写真が余りよくないのが残念です。
ホームページ 97才で970号とは 何と素晴らしい事でしょう。適切な俳句と お里の穏やかな風景を楽しませていただきました。 連日の酷暑に閉口してますが 、青田を渡る涼やかな風を感じました。 蓮の花には絵心を誘われました。 1000号はもうすぐですね。その日を楽しみにしております。
蓮の花の画像がとても綺麗ですね。 セミの鳴き声が響き渡り猛暑の夏です。 関東ではゲリラ雷雨があり、お天気が安定しませんが、やっと数日晴天が続くようです。 我が家では、梅の土用干しを始めました。今年は梅が不作と言われていますが、うちの庭の梅はいくらか実りました。美味しい梅干しになってほしいものです。 次号も楽しみにしています。 ◎神戸市北区 大山嘉子さんから ようやく、梅雨があけました。毎年感じます。梅雨開けと共に猛烈な真夏がやって来ます。今年も、例年通り、猛暑は容赦がありません。ただ、梅雨の間は、見る物すべてが、ぼんやりと輪郭がかすんだようなのに、雨がなくなったら、全ての輪郭がはっきりして、遠くの山並みも、その上に出てきた入道雲も、ハッキリと輪郭をあらわします。「山並みを引き寄せて梅雨開けにけり」 梅雨の間は各地で雨の被害を、もたらしました。「大泣きの顔はれやかに梅雨あがる」 雨が上がった後は、全てが、乾ききったようです。 「梅雨明けや牛のお早う樹にお早う」 唱歌「椰子の実」、この歌も、よく歌いました。 島崎藤村が明治時代に、詩をかき、昭和に入って、曲がつけられたとのこと、感じるところが、あります。 「青田風」 篠山城址のお堀では、蓮の葉で青々と埋め尽くされ、ところどころに、真っ白い蓮の花、見応えがあって、素晴らしいと、思います。もう少し、経てば、真っ白いハスの花で、いっぱいになるのでしょう。 こちらも、素晴らしいと、思います。水田では、稲が伸びてきて、いちめんの青田ですね。遠くの山々の上空は、あおぞらと、白いすじ雲が、広がっています。「山々を低く覚ゆる青田かな」いちめんの青田は広々と広がっています。「一点の偽りもなく青田あり」 いちめんの青田は届かない遠くのほうまで、続いているように見えます。「青田の沖に手を振るつひに両手振る」 梅雨明けの竹内先生邸では、いろんなな生き物で、にぎやかですね。カエルはトノサマガエルのようです。トンボはシオカラトンボで、小鳥はヤマガラ、セミの抜け殻は、面白いですね。 私も近所を、めぐってみました。 公園の遊歩道で、ムクゲの花を、見つけました。炎天下でも花をつけますが、夕方には、しぼんでしまいます。 花壇では、夏の草花の苗に植え替えられていました。ペチュニア、センジュギク、ベゴニア、ジニア(百日草)が、育ってきました。順に添付します。 ◎神戸神戸市灘区 重村 仁さんから パリ五輪が開幕 4年に一度、第44回オリンピッツクがパリで7月26日からパリで開催。世界の若者があらゆるスポーツで競い戦う。 フランスのクーベルタンが「来るべき未来をつくり出し、過去と未来の調和を図ることは、青年たちの手にかかっている」と提唱した。 現実はいまだに世界に平和は訪れていないが、このパリ五輪が平和をもたらす祭典であることを祈りたい。私がオリンリピックに驚いたのは昭和39年の第18回東京オリンピックである。葺合高校卒業して2年の秋10月10日晴天下で日本の輝きを全世界に示した。 親父がカラーテレビを買ってくれて、テレビに夢中になった。想い出は多くあるが、開会式同じ年の坂井義則さん(早稲田大)が、国立競技場最終聖火ランナーでの階段駆け上り聖火台に点火する。ことがいまだに記憶の中に鮮明に残っています。坂井さんは先の東京五輪前に亡くなられておりました。前回の東京大会の時、記念に思い画に描きました。 この昭和39年は高度成長最大の時を日本は迎えてように思います。この大会はマラソン円谷幸吉、ニチボー貝塚女子バレー、体操男子団体、ウエイトリフティング三宅信が金メダルを取り日本国中湧かせました。以後60年多くのオリンピッツクを見せてもらいました。前回の東京も4コマ漫画に描きました、今回も画にして見たいと思います。兵庫出身柔道阿部兄妹、陸上田中希実、飛び込み玉井、ガンバレ11. 竹内先生、猛暑の中テレビ時差がありますが、是非見て元気もらってください。 ◎神戸市北区 犬塚弘一さんから ホームページリリースのお知らせありがとうございます。 海面温度が、高温なのに対し、フィリピン海沖合いにはラニーニャが発生しておるかもしれません。何せ、友人同士の挨拶は「クソ暑い!」が一般的です。 俳句3つに眼を通し、布施伊夜子の俳句は、面白いですね。梅雨明けの嬉しさを牛や樹にまで、お裾分けしている風景がレビューとして私の脳裏に浮かんで思わず。笑みが、溢れました。 唱歌の「椰子の実」は、歌詞を読みました。遠くから来た椰子の実に思い入れを歌ったのですね。切なさが、心の襞をすり抜けて行く刹那、切なさが、溢れ帰りました。 そして、アキアカネが、勢力を延ばしつつ有るのでしょうか? ヒタヒタと秋の足音が、迫って来る気がしてなりませんが、まだまだ暑いので、我が家のキュウリ栽培は失敗に終わりました。暑すぎて、成長する前に枯れつつ有り、貧弱なキュウリしか、摂れませんでした。 ハムサンドにして、娘に学童保育のお弁当として、持たせたのですが、綺麗に完食しておりました。夏の暑いのに食欲が、あって安心しました。 ではまた、危険な暑さの中、ホームページ作成に勤しまれて、お疲れ様です。
梅雨が明けて本格的な夏。しかも日本各地が体験したことのない猛暑に見舞われていますね。もう冷房なしでは生きていけない、といっても過言ではないですが、前に冷房の効いた甘味処でかき氷を食べたら、何か違うと思ってしまいました。やはり、縁側で食べるスイカ、暑い場所で出されるかき氷の ありがたみ といったらないですよね。 無理して暑い所にいる必要はないですが、小さいうちわを片手に、昼下がりに日陰をさがしなから神社にふらっと参ってみるのも悪くないと思いました。 さて 前説が長くなりましたが、ホームページでは、そんな夏の風物を思わせてくれる沢山のお写真ありがとうございます。副編集長のトンボや小鳥、蛙のショット、相変わらず素晴らしい。蓮や青々とした稲も美しい。そしてご先祖様のお墓のお手入れ、お疲れさまでした。 島崎藤村の「椰子の実」。これは好きな歌です。子供の頃に母が歌ってくれたような気がします。あと私が子育てしていた時、溝の口(川崎)では夕方5時のメロディで鳴っていました。季節によっては「夕焼けこやけ」でしたけど。とても懐かしく思いました。 先日山口の周防大島に行ったときのヒマワリと海の写真をお付けします。 猛暑ですので、呉々もご無理なさらないよう、ご慈愛ください。
970号、おめでとうございます。 山口誓子の句は「一枝の影もあざむかず」を思い出せます。なんにせよ、ばっしっと決めるタイプなんでしょうか。 いろいろな動物、身近な観察、さすがです。暑い中、ぜひ、気をつけてください。 |
今回は昔なつかしい「我は海の子」を選びました。1914年(大正3年)に文部省尋常小学唱歌第6学年用です。歌詞は文部省の懸賞募集に応募した鹿児島市出身の宮原晃一郎(Ⅰ882-1945)の詩が採用されました。歌詞は七番までありますが、一般には3番まで。明治後期の詩人による作品だけあって古めかしい表現が多いです。