When a Jew seeks wisdom 講座#6

第8章「The value of study」

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第8章「The value of study:勉強の価値」

 あなたは勉強する多くの時間を費やしている。
あなたは学校で勉強している。
そして、ユダヤ人学校で勉強している。
また、ピアノ、ギター、あるいは他の楽器を勉強しているかもしれない。
あなたは、ダンス、演劇、フェンシング、書道、芸術、編物、あるいは空手を
勉強したかもしれない。
おそらくあなたは趣味を勉強するために、そして幾つものゲームのルールを
学ぶために、時間を過ごしたでしょう。
そしてあなたの生活の多くは勉強に依存している!

勉強は行動するための一つの重要な道であると、ラビたちは信じた。
ある意味において、あなたの勉強の全ては行動に帰着する。
勉強自体が一種の行動であると、我々は言うことさえできる。
あなたは勉強する時に、何が真に重要であるかを発見する、そしてそれが、
あなたが何をしたいかについて知的な選択をする助けとなる。

Rabbi Meirは彼の生徒に、富を増やす仕事に少ない時間をかけて、
トーラを勉強することに多くの時間を費やすように勇気つけた。

 財産に骨折りを少なくし、トーラに忙しくなるように....
 もしあなたがトーラを軽視するならば、あなたは、それを軽視する
 ための多くの理由を見つけるであろう。
 しかしあなたトーラに労力かけるならば、あなたに、神が報酬を
 与える多くの方法を見つけるであろう。  [ Avot 4:12 ]

財産は一時的な種類の成就にすぎないと、ラビたちは信じた。
金持ちになった人は、全てが勝利であるとあまりも容易に感じるかもしれない。
しかし世界には金持ちがいつも存在することは事実だが。
短い期間を除いて、金持ちが誰かの所有物であることは決してない。
しかし勉強は永遠に獲得される。
あなたが学んだものは、あなたから盗まれることはできない、そして
あなたがそれを軽視するときに限ってあなたはそれを失うことができる。

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Study is work

 それにもかかわらず、勉強は仕事である。
あなたは「トーラに労力」をかけなければならないと、Rabbi Meirは言った。
勉強がいかに多くの仕事であるか、あなたはすでに知っている。
それは、何度もなんどもレッスンを記憶し試験することを意味する。
あなたは紙に書いて、レポートにまとめなければならないであろう。
それは、読むこと、再読すること、そして記憶することを意味するであろう。
あなたレッスンを理解するために努力しなければならないだろう。

そして他の種類の仕事のように、あなたが成功する保証はない。
幾つかの勉強はあなたにとって易しいかもしれないが、他のものはあまりにも
難しいかもしれない。
あなたはこう発見するかもしれない:
時々、失望してあなたの両手を上げてしまいたい、そして言いたい、
「なぜ私は悩むべきなのか?私は本当にうまくいかない。」

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Study is own reward

 一つの答えがある。成功がその唯一の報酬ではないのだ。
たとえ何の仕事であろうとも、そしてそれに成功するかどうかに関わらずに、
その真の報酬はその行いにある。
ある特別な意味では、勉強はそれ自身の報酬である。

 Rabbi Meir は言った、
 それ自身のために(すなわち成功を考えずに)トーラに労力をかける人
 は誰でも、多くの事に奉仕する;
 そればかりでなく、全世界が彼に恩義をこう:
 彼は友人と呼ばれる、かわいい、全ての生き物の愛人、人類の愛人:
 それは彼におとなしさ、尊敬を付与する;
 それは彼を正義、信神深く、正直な、そして公正にする;
 それは彼を罪から遠ざける、そして彼に美徳に近づける:
 彼を通して世界は助言と知恵ある音を楽しむ。 [ Avot 6:1 ]

ラビは教えた、特に、行動に対してあなた自身を準備する仕事において、
あなたの態度は、その真の報酬はいつも行動の中にあると、考えるべきである。
一人の生徒である場合を考えてみなさい。
我々は全てが生徒として同じ特性を持ってはいない、我々は学問のそれぞれ
の分野において全てが平等に備えられてはいない。
我々の幾人かは、ある学問で他の者たちより優れている。
しかし我々の態度は、「勉強すること」は価値があるゆえに全ての生徒が
価値があると、考えるべきである。

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Four qualities

 ラビたちは時間の多くを勉強と教えに費やし、こう発見した:
人が勉強するために持ってくることができる異なった4つの特性あるいは
アプローチがある。 
生徒の中にはこれら4つの極端がある。実際には、我々のほとんどは
そんなに極端ではないと、ラビたちは認めていたが。
しかしその4つの極端を知ることは、あなた自身のアプローチをどちらの
方向に変化させたいかを、判断する助けとなり得る。
これらのどの記述が最もあなたに似ているか見てみなさい、
そしてあなたをどちらに変えたいかを見てみなさい。

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The first quality

生徒の中での最初の極端は、こういう人である:

 早く理解し、早く忘れる---彼の獲得(の長所)は彼の損失(の短所)
 によって相殺される。 [ Avot 5:15 ]

もしあなたがこの生徒のようであるならば、あなたが学んでいる学科を
素早く理解する、しかしその後に素早くその理解を失ってしまう。
この生徒は実際に勉強による獲得に失敗している。
この問題のために、ラビたちは単純でかつ確実な矯正法を提案した:
あなたが学科を理解するやいなや、それを繰り返しなさい。あなたの記憶に
それが定着することを確信するまで、それを再び繰り返しなさい。

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The second quality

繰り返しはまた、二番目の極端な生徒にも良い方法である。

 遅く理解し、遅く忘れる---彼の損失(の長所)は彼の獲得(の短所)
 によって相殺される。 [ Avot 5:15 ]

もしあなたがこの生徒のようであるならば、実際に学ぶことが難しい仕事
のように見える。しかしそれはまた偉大な成功である。
なぜならば、あなたが物事をいったん学んだならば、あなたはそれを簡単に
忘れることがないから。

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The third quality

 Pirke Avot 注解の中で、Rabbi Nathan が第3番目の生徒とを
「勝利者」と呼んでいる。これは勉強で簡単に成功する生徒である。

 早く理解し、遅く忘れる---これは幸運な運命である。 [ Avot 5:15 ]

もしあなたがこの生徒のようであるならば、あなたは実際に幸運である。
しかしそうであっても、あなたは勉強の仕事をしなければならない。
あなたが勉強をやめた時に、あなたの学びは止まってしまう。
この第3番目の生徒は、彼にとって勉強は簡単であるが、なおも
「勉強することを記憶し」なければならない。

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The fourth quality

生徒の中で4番目の極端がある。

 遅く理解し、早く忘れる---これは不幸な運命である。 [ Avot 5:15 ]

しかしラビは、簡単に理解できず長く記憶できないこの不幸な人でさえも
希望を見た。
そしてこれこそが、我々が4つの特性を話した理由である。
人々は勉強の方法を知って生まれてきているのではなく、我々は勉強の
方法を「学ぶ」のであると、ラビたちは信じた。
これこそが、勉強へ向かう態度がとても重要な理由である。
あなたが前向きに勉強する時に、あなたの勉強はそれ自身の祝福を運ぶ。

その4番目の極端な生徒でさえも、勉強を続けることによって、そのゲーム
をプレイする報酬を得る。
もちろん、あなたがこの4番目の極端な生徒のような困難な経験をする時に、
また「邪悪な衝動」が近寄ってくる。
あなたはこんな気分になるかもしれない:
勉強することよりも良い成績になることの方がもっと重要ではないか。
なぜ「ごまかし(cheat)」しないの?

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Winning and losing

 もしあなたが友人とテニスをしていて、あなたがボールをサーブする時に、
いつも友人がそれを捕まえてネットに走って、「タッチ」と叫ぶならば、
あなたはテニスをすることにとても飽きあきしてしまうでしょう。
もしあなたがバレーボールをしていて、相手のチームがネットの下に
走ってコートの両側からプレイするならば、あなたは彼らにルール違反
だと言うでしょう。
彼らは答えるかもしれない、「我々は勝っている限りはルール通りに
プレイしょう。我々が負けている時は、我々はずるをしよう。」
その時、あなたはおそらく答えるであろう、「それは子供じみている。」

勝つために勉強でずるをすることを想像することは子供と同じである。
ずるをする人は全体的に失っている。ずるをする者は学科を学ぶことを失う
ばかりではなく、彼は実際に何も得ていない。
良い成績は成就の「しるし」だけであり、それは本当の成就そのものではない。
良い成績を得るためにずるをすることは、店に行ってあなた自身が
ボーリングのトロフィーを買うようなものである
---それは本当に決してあなたに多くを財産となるものではない。

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What is value?

 しかしこれはたいへん複合した主題である。
正直であるためには、ある方法で成績をカウントすることを認めなければ
ならない。
あなたは良い成績を得ようという重圧にある;
あなたは良い生徒であろうという重圧にある。
時々これら2つは同じであり、そして時々それらは違う。
時々、何が本当に重要であるか知ることがまさに苦痛で困難である。

しかしずるをすることは、自由の現実の挑戦から我々を空にするだけである。
我々がずるをする時は、誰か他の者に正当に属している物を盗んでいる
ばかりでなく、我々自身の魂から盗んでいるのである。
我々のまわりの現実の挑戦に直面することは、勇気のいることであり、
我々自身がもっと責任を受け入れることを意味する、
しかしそれは我々の自由を保護し、そして我々を正直にする。
我々の問題にオープンにそして勇敢に直面する時に、我々は突然に分かる:
ずるをすることは、我々が弱い所で決して我々に力を与えない。


 さて勉強をするという時に、可能な最も良い方法で我々の記憶を使う
ための学び方の答えがある。
一つの案内として、生き生きとした言葉の描写を使って、ラビたちは
4つの記憶(メモリ)の極端な記述をした:

 それはスポンジ、送風管、こし器、ふるい。
 スポンジ(sponge)、それはあらゆるものを吸い取る。
 送風管(funnel)、それは一方から受け、他方から出す。
 こし器(strainer)、それはぶどう酒をこし、おりを集める。
 ふるい(sieve)、それは粗い粉を取り出し、上質の粉を集める。
                    [ Avot 5:15 ]

「あらゆるもの吸い取るスポンジ」のようなメモリを持つことが一番良い、
あなたは最初にそう思うかもしれない。
確かに、それは「一方から受け他方から出す送風管」よりは良い。
「粗い粉を取り出し、上質の粉を集めるふるい」のようなメモリを持つことは、
「ぶどう酒をこし、おりを集めるこし器」よりも良く見えるかもしれない。
しかし実際には、これらのメモリの型の各々が異なった方法で共同体社会を助ける、
そして我々のグループが四つの型のメモリの全てで祝福されるならば、我々は
いつも高められる。
 このページ先頭へ  coffee break

The sponge
The funnel
The strainer
The sieve
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The sponge

 スポンジのようなメモリは、
今日我々が「 photographic memory 」と呼ぶものである。
それは全てのものを記憶する。
倉庫を持っているかのように全てのものがその中に納められる。
この型のメモリを持つ場合のただ一つの可能性のある問題は、
何が重要で何が重要でないかをその人がいつも知っているとは限らない、
ということである。
しかし他の誰もが答えを思い出すことができない疑問が生じた場合に、
例えば第一神殿が壊された年あるいは貨幣ディナールの価値を我々が知りたい時に、
スポンジ・メモリはしばしば指先で答えてしまう。

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The funnel

 送風管メモリがなぜ重要かを見せることは難しい。
我々は皆このような人を知っている、
そして「一方の耳からから入って他方に抜ける」と笑って言う。
送風管メモリの学生は、いつも試験に注意深く勉強し、試験が終わるやいなや
学習したことを忘れてしまう。

しかしこの種のメモリでも、また、価値はある。
送風管は、一方の端が他方の端よりも口が広がっており、より広い水差しから
もっと小さな口の水差しに水を注ぐことに役立つように、このメモリは大量な
知識を消化してそれを要約して人を助ける。
時々、良い報道者は、ある事件について全ての人の意見を聞いて、
それから少ない言葉で全てのことを表す短いレポートを書く。
これは送風管型メモリのよい応用例である。

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The sieve

 ふるいメモリは持つのに良い種類のように見える。
ある意味ではスポンジのようでもあるし、別の意味では送風管のようでもある。
スポンジ・メモリのようによく記憶する、そして送風管メモリのように多くを
入れて小さな量に縮めることが出来る。
しかしスポンジとは違って、それは価値の無いものを分離して、本当に重要な
ものだけを残す。
聞いたことを基本的に繰り返すのみの送風管とは違って、新しい声でしゃべり
教えるように説明する。

ヒレル(Hillel)はふるい型メモリのよう例である。
 「あなた自身のようにあなたの隣人を愛しなさい。これがトーラの全てだ、
  そして残りは注釈である---さぁ、行って学びなさい。」
ヒレルは膨大な教えを要約して役に立つすばらしい方法で学問をした。
彼は実際に、粗雑な穀物を分離して精選された粉を集める、ふるいのようであった。

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The strainer

 こし器メモリがいかに価値があり得るかを見せることは難しい。
ちょっと見ると、単なるじゃまもののように見える、なぜならばあらゆるもので
最も重要でないものを記憶しているからである。

それでもなお、あらゆるものは何かしら重要なものである、
こし器は特にしばしば「ワイン」、すなわち「良い教え」を知らずのうちにでさえ
通過させている!

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Reflection

 「アボット」を作り教えていた人にとって、
学問、特にトーラの学問は重要なテーマの一つであった。
彼らは基本的に先生でもありまた彼ら自身が生徒でもあったので、
学ぶことと記憶することの問題を理解していた。
タルムードはライダ(Lydda)という地で行なわれた論争を記録している、
「学問と行動のいずれがより重大か」という質問であった。

 ラビ・タルホン(Rabbi Tarphon)は言った:
 「行うことがより重大だ」
 ラビ・アキバ(Rabbi Akiba)は言った:
 「学問がより重大だ」
 ラビの大多数はアキバに同意した、そしてこう宣言した:
 「学問はこれら二つのうちでより重大である、なぜならば学問は行動を
  導くからである」       [ Kiddushin 40b ]

この態度のため、ラビはトーラの学問に非常な重要性を置いた。
彼らは学問の他の分野があるのを知っていた。
彼らは「アボット」の中で、これら他の分野を学問の「デザート」と呼んだ。
トーラという養い育てる食べものがすでに食べられてしまった後で、
人が食事の最後に食べる美味しいごちそうである。

 Rabbie Eleazar Hisma は言った:
 立法は.....重要である。天文学、幾何学は知恵のデザートである。
                 [ Avot 3:23 ]

トーラの学問は最高のものである。
それが最も重要なのは、正しい行動に導く実用的な勉強であるからである。
トーラにはこう述べられている:

 その道は喜ばしく、全ての道は平和である。
 それを最初につかむ人には、命の木となり、
               (箴言3:17-18)

学生たちは異なった性質で勉強に接近しているのを、ラビたちはもちろん
知っていた。
ある者は他の者よりも長く記憶していたし、ある者は他の者よりも早く学んだ。
人々が異なった記憶の方法、異なったメモリの型を持っていたことを、
ラビたちはまた知っていた。
しかしこのことは彼らの主要な関心事ではなかった。
ラビたちは、あらゆる人を偉大な生徒あるいはラビにする、つもりは無かった。
彼らは、あらゆる人のメモリがヒレルのようであること、を望まなかった。

実際に彼らは、トーラを勉強する各々の人にこのような確信させることに、
興味を持っていた、生徒がこう知ることで十分であった:
ユダヤ人の行動は何か、
ユダヤ人の夢は何か、
そしてユダヤ人の理想は何か。
それゆえ、勉強の本当の祝福は勉強それ自身である、
なぜならば勉強が行動を導くからである。

それゆえ彼らは言った:

 「知恵のある生徒たちは世界において平和を大きくする」
                  [ Berachot 64a ]
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