父母のめぐみ(父母恩重経のはなし)

第6回講座

「三宝に廻(めぐ)らし施さば」


法典:


直訳:
88 そこで、阿難尊者(アーナンダ)は礼をつくして進んで、仏さまに申し上げました。 89 「お釈迦さま。このような父母の重きめぐみを、わたくしたち出家修行者はどのようにして報いることができるでありましょうか。事くわしくこの事をどうか説き示して下さい。」 90 そこで、お釈迦さまが答えて下さいました。あなたがた多くの者たちよ。よく聞くがよい。 91 父母に孝養をつくすことは在家の者であろうと出家修行者であろうと変わりがあるはずもありません。 92 外出して、たとえば新しいうまい食物をえたときには、土産にもち帰って父母に差上げなさい。 93 きっとお父さん、お母さんはこれをみて大よろこびによろこび、自分たちだけで頂くのではもったいないというので、 94 まず最初に、これを仏法僧の三宝にめぐらし施すならば、貴い信仰の心をおこすにちがいありません。 95 父母がもし病気にかかったならば、病床につききりで、親しく自分自身で看護してあげなさい。 96 事、親の病気に関する限り、すべてを他人にまかせにしてはなりません。 97 そのよき時を見はからい、便宜をいかがって、心をつくして病人食をすすめるのがよいです。 98 そうしますと、親は子がいっしょうけんめいで看護につとめているのをみて、あまり食欲はなくても子供のつくってくれた食物を食べるにちがいありません。

解説:

「右の肩をはだぬぎ、長き合掌して」、について

「右の肩をはだぬぎ」というのは、尊貴な者や目上の者などに対してインド人がおこなう礼法。 「長き合掌して」というのは、両膝をたがいに地につけてひざまずいて座り合掌する礼法。

「三宝に廻(めぐ)らし施さば」、について

「三宝」というのは、仏・法・僧で、至上の尊いものでありますから、それを宝にたとえています。 「仏」は、最高の宗教的人格の完成者であり、わたくしたちの探究の理想像であります。 「法」は、仏が説かれた真理の教えすなわち不変の理法です。 さらに「僧」は、最高の宗教的人格者たる仏を理想像とし、仏の説かれた真理の教えを実現するために努力する人びとの集まりをいいます。

「三宝に廻らし施す」ということは、施与の根本精神を説いたもので、仏さまにお供えして、感謝と報恩の意をあらわすことであります。このようにしてこそ、父母に対する物質的な孝養が全うされるわけです。つまり、最終的には父母が菩提心を啓発するという、宗教的理想を実現するところまで到達しなければならないというのであります。


法典:


直訳:
99 親がしばしの間でも眠りますと、静かに寝息をうかがい、目が覚めれば、医者に相談して、お薬を差し上げなさい。 100 日夜に、仏法僧の三宝をあつく敬まい、親の病気が平癒するように願い、いつも報恩の心をもちつづけて、いっときたりとも、それを忘れ去るようなことがあってはなりません。 101 このようにお釈迦さまがお説きになったとき、阿難尊者(アーナンダ)はさらにたずねました。お釈迦さま、ご出家なされた尊いお方よ。よくこのようにいあたならば、父母の恩に報いたということになるでありましょうか。 102 お釈迦さまはお答えになられました。いや、そうではありません。これだけではまだ、到底、父母の恩に報いたことにはならないのです。 103 父母がわからずやであって、三宝ををいただかず、たいせつにする心もなくて物を無駄にし、道にはずれて物を盗み、礼儀をわきまえずして男女の道を乱し、いつわって人をだまし、愚かにして酒におぼれるようなことがあれば、子供はそうした親をきびしくたしなめ、こうしたことは悪いのだということらせなければなりません。 104 それでもなお父母はさとることができなければ、たとえをあげてよく分からせるようにしたり、同じようなケースをあげて、因果の道理を説いて、将来報われるであろう苦しみわずらいをすくってあげなくてはなりません。 105 それでもなお父母は頑固であって、おのれの非道を悔い改めないならば、泣きかなしんで、自分の飲食物を断つ、つまり断食をしなさい。

法典:


直訳:
106 そうすれば、どんなかたくなな親であっても、わが子が死ぬのはさすがに恐れますから、親子の愛情にひかれるあまり、あえて我慢しながらも、人としての正しい道にむかうでありましょう。
107 もし親がいままでの心を変えて、目覚めた者が説いているところの人間として誰でもふみおこなわなければならない五つの戒めをいただき、あわれの心をもって生き物殺さず、物の理にかなって盗まず、礼儀があって男女の道を乱さず、信じてあざむかず、よくわきまえて酒に乱れないならば、家庭において、親は子に対して深い愛情をもち、子は親に対してよく尽くし、夫は妻に対して行い正しく、妻は夫に対して心ただしく、身内の者たちはみな仲良くし、使用人は真面目につとめ、さまざまな生きものにいたるまで、すべておかげをこうむり、あらゆるところにいます諸仏、仏法を守護して下さるもろもろの神さま、正しい政治をおこなう為政者、忠実にして善良な官人より一般人民すべての人びとにいたるまで敬い愛しないものはなく、非理非道な君主も、口さきたくみでおもねる臣下も、悪徒やあやしい女性も、あらゆる邪悪怪異なものでも、このように人間として立派な者をどうすることもできません。
108 このようにして、正しい人の道が実現されましたならば、父母は現世において安らかに生活し、死後にはすばらしいところに生まれて、仏さまを見たてまつり、仏さまの教えを拝聞して、長く輪廻転生の苦からのがれるでありましょう。
109 こうして、父母が現世のみならず来世にわたって救われるならば、始めて、父母の恩に報いる者となります。


解説:

「仏の五戒を奉じ」、について

「五つの戒しめ」というのは、インドの言葉でパンチャーラ(五戒)といって、お釈迦さまがすべての人びとに説かれたところの人間としての根本の道であります。 それは

・殺すなかれ
・盗るなかれ
・男女の道を乱すなかれ
・うそをつくなかれ
・酒を飲むなかれ

この「酒を飲むなかれ」というのは、「酒は百薬の長」といわれたりしますが、薬用として使用するならばともかくとして、好みの飲物とすることを戒しめています。インドにはインド教、ジャナイ教、伝統的なバラモン教など多くの宗教があり、いずれも信者たちは禁酒をまもっています。 しかし、お酒を飲むな、とはっきりいってるのは仏教だけです。お釈迦さまは人びとにお酒をつつしめと説かれています。酒は、他の四戒よりは罪悪の度合は軽いのですが、他の犯罪をを誘発しやすいというので、酒を飲むのをつつしむように戒しめているのです。

「六畜虫魚(ろくちくちゅうぎょ)まであまねく」、について

「六畜」というのは、犬、鳥、毒蛇、野ギツネ、ワニ、サルの六種の動物をさしており、 「六畜虫魚まであまねく」というのは、要するに、すべての生きとし生けるものであります。


旧約聖書の十戒

1. 神は唯一
2. 偶像を崇拝するなかれ
3. 主の名をみだりに呼ぶなかれ
4. 安息日を聖別せよ
5. 父母を敬え
6. 殺すなかれ
7. 姦淫するなかれ
8. 盗むなかれ
9. 偽証するなかれ
10. 隣人のものを欲してはならない
「仏の五戒」のうちの4つまでが同じ戒しめです。


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