In 1996,Reports - Around of Japan by bicycle -


PREVUPNEXT


旧友

 11月12日。お世話になった信州大学を跡にして権兵衛峠を越える。伊那用水を写真にとって木曽路へと下りる。中仙道の中間点、日義村で昼食をとった。木曽の梯という看板を目にする。

曽の梯。
安岐の錦帯橋、甲斐の猿橋とならぶ日本三大名橋のひとつである。前もってこれらの位置を確かめ、旅のコースをとり他の二橋は見てきた。しかしいくら探してもこの梯だけは地図で確かめることができず、半分あきらめていたのだった。長野県のどこかにあること走っていた。いろんなガイドブックを調べたが、写真はおろか、紹介文すらなかったのだ。半分、あきらめていたところに、その看板を見つけた。心が沸き踊った。道ばたの道路案内板を見るとたしかに、”木曽の桟”とかいてある。急いでこぎ出した。
 川沿いの道ばたに”木曽の桟”とかいた石碑を見つけた。しかしその橋がない。ただたくさんの石碑が並んでいるだけだ。それらによると、確かにここには木製の桁で、藤の蔦で絡んだ見事な橋があった。しかし、鉄道工事によってそれは壊されてしまったと。が、当時の美しさは、詩の枕詞として今でも残っている。

 籠、馬籠などの宿をすぎ、岐阜県恵那市で人に泊めていただいた。この辺りで過剰なゴルフ場開発に反対している、農家の方だった。


 11月15日。愛知県豊橋市。ここで高校卒業後音信不通だった友人と会うことができた。しかし同日、紹介された人にどうしたもあわなければならなかった。その方は渥美半島の端にいる。でもここ数年あってなかった友ともっと語り合いたい。無理を言って彼のバイクに乗せてもらうことにした。紹介してもらった人は、渥美半島の自然保護活動につとめている高校の先生だった。半島独特の自然、そこに忍び寄る開発計画の嵐、そして話は教育のことにもおよんだ。
 日が沈み、きれいな星が出てきた頃再び、豊橋の彼の家に戻った。4年ぶりだった。昔話に花が咲く。中学の時の一番の友達だった。いつも一緒にいたが、同時にいいライバルであった。高校で別々になり、たまにしかあわなくなった。
 それから彼は工業高校にいき、推薦で工学系大学に合格。サークルで障害児福祉の活動に目覚め、思い直して大学を中退。現在、福祉の専門学校へ行くことを決意し、アルバイトに励んでいる。しかし、周りの理解が得られず苦しんでいるという。そんなことを不安そうに話す彼。
 でも私は、とてもうれしかった。中学、高校の時からは考えられない彼の生き様に心から拍手を送った。また一人、がんばっている友達がいた。それがとてもうれしかった。


PREVUPNEXT


Copyright(C)1998 Shinichi Takeshita.All Rights Reserved.