In 1996,Reports - Around of Japan by bicycle -


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ふるさと


 取大学の研究室を訪ねたあと、乾燥地研究センターへ向かうわずかな距離で、旅人に出会った。しかも自分と同じチャリダーである。初めてあったのに昔から知ってたような親しさを覚える。彼は沖縄を出発して神奈川へと向かっているという。自転車を見ると結構な強者のようだ。変わっているのはリヤのサイドバックにリュックを使っていることと、大きなバケツを摘んでいること。これはおもしろそうだ。お互い今夜は砂丘近くのキャンプ場で泊まるつもりだったのでともに夜を過ごすことにした。
 千代川沿いからサイクリングロードが砂丘までのびている。その果てにサイクリングセンターがあり、そこにキャンプ場が併設されていた。手続きをしてテントを張る。幸運なことにセンター内に浴場があり、自由に使えるという。お互い旅の汚れを落とす。でも風呂で洗濯していたため、管理人に怒られてしまった。火をおこし、ともに夕飯を作って、酒を交わして語り合った。
 沖縄から来たという彼は、実は神奈川県の出身だという。小さい頃からずっと暮らしてきたその町がいやになり、もっと自分にふさわしい場所を求めて、各地を転々としてきた。オーストラリア、伊豆、沖縄など。それぞれの場所で家を借りて働いて、生活をしてきた。最初は良い。だがどこにいてもやがて自分の居場所がないことに気がつく。そのたびに場所を変えてきた。結局は、直面する問題に逃げ続けてきた自分の姿に気づき、今度こそ逃げずに向き合っていこうと決意した。その決意を自分自信よくかみしめるため、沖縄で自転車を買い、こうして生まれ故郷である神奈川へと向かっているのだという。
 人の生き方がそれぞれであるように、旅の姿もそれぞれであることを改めて実感した。故郷を求めて旅をする。果たして、私の故郷はどこだろう?

 朝。良く晴れた青空にもう太陽が上っている。いつものように出発の支度をしつつ、何となくぐずぐずしていた。私はこれから東へと向かう。彼は南へと向かうそうだ。ここで分かれることになる。砂丘の上に座り、どこまでも青い空と海を眺めつつ、また必ず会うことを約束して旅だった。たった一晩だけの仲間であったがとてつもない寂しさを感じた。

 はやがて分岐し、日本海側を走る国道178号線に乗った。兵庫県日高町へとやってきた。ここは冒険家植村直巳の故郷である。是非、一度たずねてみたいと思っていたところだ。この旅は、決して冒険と呼べるものではない。しかし、旅立つにあたって少なからず彼の影響を受けている。彼の成し遂げた栄光もすばらしいが、彼の著書の中に見て取れる夢を決してあきらめない姿勢、常に前向きであると同時に、人間的な弱さを隠さないまっすぐさにとても心打たれた。一人の偉大な冒険者であると同時に、一人の実践哲学者であった彼をとても尊敬している。
 彼は 年世界初北アメリカ大陸の最高峰マッキンリーの冬季単独登頂に成功した直後遭難。その遺体はいまも見つかっていない。その彼の墓がここにある。日高の町を見下ろせる小さな山の上に、ひっそりと立っている。時折、人が訪れるのであろう。真新しい花が供えてあった。彼のような心を持ち続けたいと願うと同時に、静かに冥福を祈った。
 
 山川にそって北上し、城之崎温泉で体を休め、峠を越えて京都に入った。懐かしい景色が広がる。実をいうと私は、京都府峰山町で生まれ、小学校2年生までここで過ごしている。京都府でありながら日本海に面したこの地方は、独特で素朴な雰囲気を残す。感慨に浸りながら生まれ故郷へと入った。商店街を抜け北丹後鉄道峰山駅、小学校、保育園、そして昔の我が家をゆっくりと見て回った。幼い頃はとても広く感じていたこの町も、こうしてみるととても小さなものだったんだなと改めて感じる。
 街から少し山へと入ったところに矢田という集落がある。そこのとある神社へ寄った。急な階段の上には、小さな小さなお堂があって、青々とした木々から漏れる陽をいっぱいに浴びていた。急に誰かに手紙を書きたくなった。階段の一番上に腰を下ろし、この街で一緒に過ごした幼なじみの友に手紙をしたためた。下の方から丹後ちりめんを織る機織り機の音だけが響いてくる。

 こに一つ、僕の故郷があったんだなと感じた。


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