In 1996,Reports - Around of Japan by bicycle -


PREVUPNEXT


土木遺跡


 口県鹿野町。錦帯橋で有名な岩国市へ流れる錦川の上流に位置する、山間の小さな町。ここにぜひ見たいと思っていたものがある。町の観光協会で場所を訪ね、町役場の奥にある漢陽寺を訪ねた。背後の山に抱かれるように、小さいけれども立派なお寺がたっている。入り口で訪ねると人の良さそうな住職さんが応対してくれる。きれいに磨かれた廊下をつたって奥の方へ。ふと耳をやると建物の中だというのに清廉な水の音が絶えずする。きれいな水が流れる小さな水路が奥の方から続いている。その水路に沿って奥へ奥へ。次第に水の音が大きくなる。やがて石垣で囲まれた四角いトンネルが現れた。

 音洞。1654年周防国鹿野村の岩崎想左衛門の尽力で完成した、灌漑用水と防火用水を兼ねたトンネル式の水路である。ここは唯一の灌漑用水源である錦川が、村の中央を流れているものの最も低い部分にあるため、有効利用が困難であった。そこで岩崎想左衛門が萩藩に申し入れ、錦川の支川である渋川から幅約一m、高さ六十cmの開水路で取水し、取水口から約五十mのところに、この水路を流れる水量を調節するための石堰を設けている。さらに水路は古刹漢陽寺がある漢陽寺山に突き当たり、潮音洞に流れ入っている。洞の名につけられた潮音とは、仏の説法が大きくあまねく聞こえわたることを海の音にたとえた表現である。
 思わず声が漏れる。胸が熱くなってくる。約300年もの間この村の生活を支えてきたこの想左衛門のおもいが伝わってくるようであった。住職さんの話によれば今も灌漑用水として使われているという。

 はかねてから土木史に大変興味を持っていた。日本中の港や水路を築いた河村瑞軒、土木の近代化を支えたファン・ドールン、大堰川・高瀬川の角倉了以、甲斐の武田信玄、土佐の野中兼山、行基・空海といった人たちが残したもの。近年、日本だけでなく世界全体を見渡したとき、ダムなどの開発による自然破壊が叫ばれている。こういった情勢の中にあって、自然を”治める”ためのものではなく、自然と共に生活していくための技術というものが、いかにしてなされてきたかをじっくりとこの目で見てみたい。
 農業土木もやはり開発のための技術である。森林を切り開くなどして、食料生産の場を作り上げていく。宅地などを造る場合とは異なり、そこに穀物などの植物を育てる環境を作り上げるのであるから、完全な自然破壊にはならないのかもしれない。けれどもそこにあった多様な自然に、人間が手を加えることによって、ある程度破壊されているのには違いはない。
 食料生産の場をつくる農業土木と言う分野に、これから関わっていこうとする今、人間の生活のための開発と、自然環境の保全にどのように折り合いをつけていくべきなのか、同じように日本の国土を開発してきた過去の技術者たちの足跡の中で、何かを見つけたいと思ったのだ。

 礼を言って外へでるといつの間にか、雪がちらつき始めた。来るときには気がつかなかったが、耳をすますと町中に水の流れる音がする。水路が町の至る所を潤しているのだ。町ではこの用水を生かし、水車小屋やベンチなどを配置している。その一カ所を選びテントを張ることにする。また雪がちらつき始めた。明日は寒くなりそうだ。 


PREVUPNEXT


Copyright(C)1998 Shinichi Takeshita.All Rights Reserved.