In 1996,Reports - Around of Japan by bicycle -


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能登

 取川の扇状地をくだり金沢へと抜け、日本三大庭園の一つ兼六園に行く。

 大勢の観光客を後目に、園内をめぐる水路を追って歩く。ゆったりと流れる水の流れと、木々の根元の苔の具合が非常に美しい。なんというか山の中を散策中に、ちょっとした水の流れを見つけたようなそんな感じだ。
 同じく三大庭園の岡山の後楽園は、開放的な雰囲気に包まれている。広々とした青空の下に、大きな池が広がり、そこに投影される遠景の森と烏城。そういうイメージとはまた違う、この庭園の美しさに満足する。もう一つの水戸の偕楽園は、いったいどうゆう庭園なのだろうか。

 辺の内灘町から伸びる能登海浜自転車道を北へと走る。が、海岸線沿いに伸びるこの道は、風に運ばれた大量の砂で埋まっていて、とても走れるものではなかった。仕方なく迂回路をいく。海辺の公園で一泊。
 今度は羽咋健民自転車道にのる。やはり海辺の道だが、今度は走りやすい。人の気配がないのが良い。ここのところ、人のいないところを思いっきり走りたい衝動に駆られる。旅立つとき、もしかすると一日に一言もしゃべらない日があるのではないかと思っていたが、そんなことは決してないのがわかった。いくら人気のないところを走ってもやっぱり、街と街とをつなぐ道路は走っているわけだから、車が必ず通るし、どんなところにも集落がある。この日本ではとうていかなわないことなのだろうと感じた。

 までは、旅に出て知らない人に会うことが、旅の目的の一つになっていた。旅の作用は、日常の世界から非日常の世界である場所で、自分にとって非日常の人に出会い、そして、自分と自分を取り巻く環境を再認識させることだ。けれども、今の私にとって本来非日常であるところの旅が、もはや、日常になってしまっている。出会う人たちも、それぞれで見たら確かに初めて会う人たちで、十分に非日常的な人たちなのだが、自分にとっての非日常性が失われつつある。人との出会いの中で、再認識していくことが困難になりつつある今、逆に人と出会わないことでその作用が初めて働くようになってきている。

 門、ヤセの断崖と能登の海岸美を楽しみつつ走る。北西の風がかなり強い。自転車も思うように進まない。向かい風は非常に体力を消耗するやっかいな存在だ。この風の強さを証明するかのように海辺に面した家々には竹を壁状に組んだ暴風壁があり、路地を狭くした集落が転々とある。輪島市の袖が浜のキャンプ場でテントを張り、沈みゆく夕陽を堪能した。

 朝、能登の朝市をのぞいてみる。狭い一本道にびっしりと並んだ露店。日本海に面した街らしく魚介類や、箸などの漆器ものなどが多い。輪島市から能登半島のさらに端へと向かう。海辺の断崖上を走る狭い道だ。交通量は少ないが、アップダウンが激しく結構苦戦する。名舟海岸の白米にやってくると突然目の前に、棚田が広がる。能登の千枚田と呼ばれる見事な棚田の風景だ。全体を見渡せるところにポケットパークがあり、目の前の田圃からできた米などを売っていた。

 道を離れ、さらに道が狭くなり、おまけにアップダウンの規模も大きくなる。交通量が少なく、人気がないのがまだ救いだ。だんだんと最果感が出てくる。狼煙禄剛崎。能登半島の端っこだ。何もなく、ただ白亜の灯台と目の前に広がる青い日本海が旅情を誘う。転じて南に向かう路上、富山湾を挟んだ遙か向こうに立山連邦の白峰が見えた。始めてみる立山の美しさに思わず立ち止まった。


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