1. 旅の概要
私は、96.3.10から約9ヶ月半かけて日本全国を自転車で走ってきた。松山に戻ったのは同年12.24。走った距離は約16390.3km。一日約80km を目標に行動。自転車はランドナーという長期ツーリング用の自転車で前後にキャリアを付けバックを装着。荷台にテントや寝袋を積んだその姿は圧巻である。荷物の総重量約40kg。 一時間に約15kmのペースで、いろんなものをゆっくり見ながら日本各地を訪れた。 2 . 旅のはじめ 旅の動機や予定コースの決定などの出発までの過程を説明する。 2.1 何故日本一周をしようと思ったのか 自分のことは全て自分一人でする旅を、しかも長期にわたってしてみたかった。 今しかできないことをやり遂げたいという思いがあった。 自分の目でいろんなものを見てみたいと思った。 |
2.2 何故日本なのか 旅を決心し、友達などに打ち明けていたころ良く聞かれたものだった。当然私の中にも葛藤があった。でも、海外で興味のあるところが思い浮かばない。 「今の私にとって一番興味のあるところは、日本しかないのだ。」そうはっきりとわかった。 2.3 テーマを持つ せっかく日本中を旅するわけです。何かテーマを持ってして見て回れば、そのテーマを通して何か見えてくるかもしれないと考えた。 以前より、土木史というものに大変興味を持っていた。農業土木と言う分野にこれから関わっていこうとする今、人間の生活のための開発と、自然環境との共存にどのように折り合いをつけるべきなのか、やはり同じように日本の国土を開発してきた過去の技術者たちの足跡の中で、何かを見つけたいと思った。 2.4 紹介状 研究室の先生に旅の計画のことを正直に話したところ、快く承諾してくれた。そればかりではなく、一枚の紹介状を用意してくれた。この一枚の紹介状が旅の間に果たした役割はすばらしいものであった。 |
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3.旅立ち 実際に旅に出てから、どんな出来事があったのかを具体的に写真などを使って説明する。 3.1 各地の大学を訪ねることに いただいた紹介状をうまく利用するすべはないかと考えていた。各地の大学を回ろうと思った。が、なかなか勇気が出ない。ようやく、佐賀大学まできて初めて研究室を訪れた。 これ以降、各地にある農業工学を持つ大学を可能な限り訪れた。どんな研究をしているか?実験施設などを見せてもらった。各大学での理解と協力のおかげでいろんなことに参加する事ができた。 3.2 各地でがんばっている人たち 佐賀大学で文化人類学の先生にお会いした。研究の傍ら日本各地の原発問題に関わってきたという。 「ひとえに環境問題と言っても様々なものがある。自然景観的なものや動植物の生態系のこと、ゴミ問題、食糧問題、原子力発電所問題等。せっかく自分の足で日本各地をくまなく見てこようとしているんだから、環境問題といわず、いま日本が抱えている様々な問題をきちんと見てきたら、君の旅はきっとすばらしいものになるよ。」 |
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先生はそうアドバイスをくれた。そして各地で様々な活動をしている人たちを紹介してくれた。紹介された人たちを訪ね廻る内に、人の輪ができあがっていった。 3.3 旅の仲間達 旅の途中、いろんな人たちとの出会いがあった。多くの場面でたくさんの人に声をかけてもらった。話しかけてくる人たちは少なからず、その人自身も何かしようと思っていた人、実際に自分も何かをやり遂げた人であることが多い。ふつうに生活しているときには、決して触れることのない世界。同じ境遇に身を浸して初めて見えてくる、アウトロー達の世界があった。 3.4 人は何を築いてきたか 安積疎水や信玄堤、箱根用水、通潤橋など各地で、様々なものを見てきたが実際は”農業土木”というものに限ってはいない。広く”土木”として”人は何を築いてきたのか”という観点で様々なものを見てきた。 先人達が築いてきたものが、昔の姿そのままであったり、形を変えていたとしても今もそれぞれの役割を果たしている姿を見るとき、誇りを持てるようになった。 |
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4.旅を終えて 旅の途中の様々な出来事や出会いを通して、自分自身が何を思うようになったのか。 4.1 がんばっている人たちがいるということ 今日、新聞に目を通すと様々な日本のゆがみが見えてくる。旅の前、こういった記事を目にしても、どこか自分とは遠いところで起こっている話だと思っていた。が、いまそれらの記事を目にするとき、その地で暮らす人々の姿が見えてくる。 私が出会ってきた人々は、実際に日本でがんばっている人たちの中のほんの一握りの人たちだ。その向こうには日本を覆い隠すほどの大きなネットワークが築かれつつある。いま、自分が何をすべきか。何を始めなければならないか。私は日本中でそれを教わった。 4.2 勉強することの魅力 各地の大学、研究所をできるだけ訪ねた。多くの学生とも知り合うことができた。大学は違っても、そこに学ぶ学生の姿はどこも一緒である。それぞれに思いをもって取り組んでいる学生達が全国にいる。そういう彼らと知り合えたことで自分自身、彼らに負けないよう早く戻って勉強したいと感じたものだった。 ひとえに農業土木といっても様々なものがある。それぞれの分野で、情熱をもって取り組んでいる人たちがいる。私は、かねてより地域計画をやりたいと思いこんできた。それにこだわっていた。けれども様々な人に会い、その情熱に触れることによって各々の持つ魅力に気づかされた。 |
4.3 農業土木の役割 正直言って私は、農業土木という分野を狭義に見ていた。 土木工学は英語で civil engineering という。そう土木は civil = 市民 のための技術なのだ。その昔、高名な僧達の多くは土木技術に精通していた。そのもてる技術で空海は満濃池を、行基は混陽池をつくった。そこに住む人々に真に必要とされるものを築き上げてきたのだ。 いま農業土木は rural engineering と呼ばれる。rural = 地方の、農業のための技術。昔は日本人のほとんどが農民であったので civil engineering = rural engineering であった。そこに住む市民、農民たちが真に必要とするものを築き上げられたときに、初めて土木と呼ぶことができるのだ。 4.4 農学部であるということ 各地で様々なものを見て、たくさんの人に会い、改めて日本の抱える問題を実感した。そして、私が農学部の学生であるということも。 農業の明日を考えることができるところにいたことを、幸いに感じることができた。農業を通して日本を良くしていくことができるところであることに気がついた。 4.5 日本は広いということ 面積378,000 ku。南北に弓なりに連なる日本という国は、想像していた以上に広い国であった。近年失われつつあるといわれてはいるが、やはりそれぞれの場所に気候や地形に人の生活を適応させてきた風土が残り、その微妙な違いが個性のある風景を生み出している。 もっと日本を知りたい。 今改めてそう思うのです。 |