エッセイ


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ポストカード

初めてアイルランドへ行ったときから細々と続けている買い物がポストカードである。その存在意義はもちろん美しい写真そのものにあるのだが、マシン・周辺機器ともに紹介できる環境にない。ただポストカードには著作権のようなものがあるのだろうからたとえ環境が整ったところで勝手に張り付ける訳にはいかないだろう。それに美しいカードやたとえ自分で撮った写真でもULすればどんどんページが重くなる。それを見ただけで言葉による説明など馬鹿らしく思えるかもしれないし、絵日記のようなのもそこへ行く準備をしているガイドブック的目的の人以外は面白くないのではあるまいか? 美しい写真のいっぱい入っている本は私も嫌いではないが、そういった事情もあるのでほとんど実現はされないだろう。だもんで、カードや写真そのものではなくそれらについてのさまざまなエピソードを書き綴っていこうと思っている。
ところである人が丸山薫作「汽車にのつて」という随分と古い(昭和初期)アイルランドを歌った詩のイメージが現在ではあまりにも牧歌的で誤解を生むのではないかと批判していた。詩自体を貶していた訳ではなくて、そういった調子で紹介されるガイドブックを直接は指していたわけであるが。常々思うのだが、「本当のところ」というのは当事者でさえよく分かっていなかったりする。アイルランドの大きな街の書店で「日本」を紹介するガイドブックを探してみたことがあるのだが、そこに描かれていた日本はきっと日本以外、いやアジア以外の諸国が持っている「日本」というものの表面的なイメージでしかないと思う。「日本の今」を掘り下げ「本当のところ」を紹介しようとしたところで、そんなものはどこにあるのだろう?と。例えば私の生まれ育った京都の伝統的な祭りの代表である「祇園祭」にしても、母によると一時期行う予算に事欠き寂れかけたらしい。現在の「盛大に」行われている状況からは想像しにくいことなのだが。着物離れが進み京都の伝統的な地場産業が廃れていることは事実であるし、京都はとうの昔に「みやこ」ではなくなっているのだから活気がなくなってしまうとしても仕方がない。「大文字の送り火」にしても既に形骸化していて住んでいる人間でさえ「観光客的気分」で接してしまう。だから私にとってアイルランドのイメージというと陰鬱で凄まじい風が吹き荒ぶ聖地であり、恐ろしく気分屋で熱い魂のケルトの末裔であり、それでいてのんびりとした牛や羊のいる緑の草原が続く丘なのだが、それが「アイルランドの今」を語っていないといわれたところで息苦しく戸惑うばかりだ。
どうして私はアイルランドについてのページをつくり、何を語ろうとしているのかと自問する。結局のところは分からないのだ、彼らの国だから。私は異邦人で異分子で言葉さえロクに理解できない。でもある風景に涙が滲むほど感動したり、シャッターを次々と押させるほどの魔力にとらわれてしまったり、そのまま倒れて地面と同化してしまいたい誘惑に駆られたりする「なにか」を感じている。歴史や風土を調べ、自分なりに消化してここに記し、感じたことを書く。理解したいのだろうか? そしてまた共感してもらいたいのだろうか? たぶんそうだと思う。愛しているから。一方的な愛し方だけど。

 

必要な記憶

2回目の旅行の時だろうか、「緑の小径」と呼ぶにふさわしい場所に初めて出会ったのは。それ以来、そういう場所を探し続けているのかもしれない。もっと以前の記憶…アイルランドという国も知らないずっとずっと以前の記憶に同じ切れ端がある。まだ小さくて自分の足ではそう遠くも行けない頃、家族で行った場所の記憶。それは家からはそう遠くないはずである。車で連れて行かれたと思う。そこは緑の草原のような小さな丘になっていて、静かで私たち家族しか人影はなく、日差しは柔らかく心地よい風が吹いている。ただそれだけなのだが、今となってはこれが本当にあった記憶なのかも確かめることが出来ない。いや、親はまだ生きているので聞けば思い出してくれるかもしれないが、そうしたくない「自分」がいる。ひとことで言って「幸せの記憶」なのだから、どんな「現実の出来事」からも守りきりたい気がしている。そのためにはこの何かしらただ幸せな気持ちにさせてくれた場所を心のどこかにとどめておけさえすればいいのだ。現実と照らし合わせて打ち砕く必要など、どこにもない。それで長いことこの記憶は沈んでいたのだと思う。それが浮上してきたのがその「緑の小径」の場所であったわけだ。アイルランドにはどこということなく、こういう緑に包まれた場所がたくさんある。いや実際は日本にだってたくさんあるはずなのだ。ただ記憶の場所というのは特定できず、ある日突然に出会うようなものであってほしいと思っている。そこでは何か別の風景を見る気持ちで佇む。このまま行ったら戻ってこられないのではないかと、そんなあるはずもないことを夢見る。さわさわと揺れる木々のひとつひとつがまるで吸い込むように1つの風景を見せてくれる。錯覚だと思う。この国に私が勝手に託した幻想に過ぎないのだと。
アイルランドという国を知るきっかけとなったU2の疾走して行く音世界が、過去の記憶を呼び起こす。それ自体は具体的な色も空気も運んでは来ないのに、そうして物事が結びつき私がここにいる不思議。運命なのだろうか…いつかここに来ることに、あのときから決まっていたのだろうかと、しばし足を止めてその小径に見入る。私が撮る写真の多く、あるいは手に入れるポストカードの中に何の変哲もない木々の被写体がある。でもそれはそこに自身は現実を見ているわけではないのかもしれない。いくら探しても、いくら集めても過去の記憶には追いつけない予感もしている。なぜならますますそれは輝きを増し、新たな表情がつけ加えられてゆくのだから。アイルランドという日本からは遠く伝説に彩られた国だから、特別な力が作用して私に「そうであったかもしれない風景」を見せてくれているのかもしれない。そんな勝手な思い入れを静かに受け入れてくれる場所として「必要としている」のかも…と。

 

ジャンクなコレクション

おみやげというと職場へのお約束であるが、アイルランドというまだ珍しい部類の地域性かあまり悩んだことはない。シルクカット(煙草)やキャドバリーのチョコレートといったお手軽なものから日本にはウエッジウッドが代理店としているウォーターフォード・クリスタルの高級品まで。あとはキルトやランチョンマット・ナプキン等のファブリック類も安くて見栄えの良いのが手に入る。ケルティック・アクセサリーや妖精の置物なんぞもポピュラー。ギネスの故郷ということで、グラスや灰皿、ステーショナリーにギネスのロゴが入ったグッズが山とある。もっと有名なところではアラン諸島が生んだセーターの一大カテゴリーであるフィッシャーマンズ・セーター。アラン模様というのは二本針で編む「縄編み」の様々なバリエーションなのだが、その昔、荒れ狂う海へ漁に出る男たちにその恋人や家族が溺死してもそれが誰だか判別できるように、各々特別な模様を編み出したというまことしやかな言い伝えも残っている。いちばん慎ましやかな(?)ものとしてはアイルランドのシンボルであるシャムロックというクローバーの種を小さな紙の袋に入れて売っている。いうなれば「雑草」であるが、アイルランドを思い出すには充分なのかもしれない。私も育てもしないのについつい買ってしまったりする。(種で何年保つのだろうか?)
上記にあげたものはすべて買ったことがあるが、当然のことながら現在私の所有物ではない。シャムロックの種を除けば最初の渡愛で手に入れた安物のアランセーターだけがかろうじて残っていぐらいだ。なかなか「自分のために何か」を買うということが出来ない。それは予算のせいでもあるし、だいたいがアイルランドの土を踏むことが最大の目的であることも関係している。そういう訳で「思い出の品」というとほとんど紙屑同様のリーフレットやチラシの類になる。それでもまあ、アイルランドで手に入れたものなら少しは意味があるようなもんだろうが、以前弟夫婦が住んでいた長野県に遊びに行ったとき入った喫茶店になぜかおいてあったギネス関連のチラシまで後生大事に持っている。要は「アイルランドだったら何でもよい」訳だが、そんな私であるから去年両替に立ち寄った銀行の窓口に無造作に置いてあった「 Plant a MONEY TREE 」と書いた小袋もごく自然に手に取っていた。なんなんだろうな、これは。アイリッシュ・ジョークなのか、それともそういう種類の木が実際にあるのか。そんなジャンク品の数々、いまはまだかろうじて本棚の中だけで収まっているのだが、この先はさてどうなることやら分かったもんではない。
そうそう。ジャンクといえばこれを忘れてはならない。あなたが今読んでいるこれ、このサイト、これこそ私が所有(だろうな、一応)している最たるジャンクであるのは間違いない。

 

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