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アイルランドのサブカルチャーもいよいよ熟成のときがやってきた、などといったら失笑ものだろう。元々、そういう感性はズバ抜けた土壌なのである。貧困やさまざまな「圧力」により封じ込められていただけのこと。といっても、ほんの数年のことでもあるのだ。もちろん文学では以前よりジョイスを筆頭に数々の輝ける異色の作家群がいたが。この飛躍的な開花はケルト・ブームとの相乗効果であったのだろう。相変わらず私自身はケルトよりは「アイルランド」に対する興味が勝っていたので、実際にその地を踏んでからは以前のように情報を渇望することがなくなったせいか、一連の作品への思い入れも一般的ケルトファンからはたいそう後れをとっていると思う。まあ、まだまだ余命はあることだし、ぼちぼち追いかけて行けばよいというくらいの気持ちだ。
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このところまたエンヤのベストを聴いている。途中にはーぶあるばーとかぁ!?などと思わせるAORな1曲があってご愛敬なのだが概ね「エンヤわーるど」である。思えばエンヤが出てきた頃、外盤屋通いに急速に興味を失ってしまったのだが。彼女の音世界らしきものに触れたいっとう最初は、U2のライブの後きまって流される、クラナドがTVドラマ「ハリーズゲーム」のために作ったタイトルソングだった。まるで教会曲のような神聖さを持つこの曲はボノお気に入りでクラナドとは後年合作もしている。この収録アルバムにはエンヤは参加していないがそのテイストは「まさに」そうである。かつてゴシックロックと形容された4ADのコクトー・ツインズのエリザベス、リンチお気に入りの歌姫ジェリー・クルーズ、そして近年FFのテーマ曲を歌うフェイ・ウォンらはみな美しく心地よく…いや、本来は変拍子や不安定な不協和音さえも彼女らの魔声によって昇華されてしまうという力を持ってしまっている。私がデビュー時エンヤを遠ざけてしまったのはその分かりやすさに対する気恥ずかしさだった。素直にポンと「こういうのっていいでしょ?」と出してみせることへの抵抗。はああっ
そういえば「私、犬になりたい…」と言っていたエリザベスはいまどうしているんだろうか?
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困ったことに(といってよいものかどうか分からぬが)私にとってはアイルランドを間接的にであれ描いた作品に徹底的に「客観視」できない面を否定できない。それはMacのそれと似たようなもので、どんなに内心「???」と感じるところがあっても、それを攻撃的に論じた文章を読むとムカつくのと同じだ。ドイル原作の映画「スナッパー」も「おいおい、お腹に赤ちゃんがいるのにそんなに酒ガバガバ飲むもんじゃないよ」とか思うものの、「アイルランドの普通の家庭」を描いたことだけで満足してしまう。その前の「ザ・コミットメンツ」も負けずにドタドタしたテンポであったけど、こちらは家族よりも主人公やバンドに焦点が当たっており、うんざりするほどの喧噪の後のなんとはなしの切なさが幕切れとして鮮やかであったように思う。で、なんのかんのいって原作の続編「ヴァン」まで買い求めてしまうのだから、親バカな話だ。ジョーダンの「クライング・ゲーム」も観る前、そして観ている間も「ああ、そうなんだ」と納得していた。のっけからアイルランドしていた画面だけでもう満足しているのだから。IRAの煮え切らないテロリストや性的交換をした恋人など、今日的でありながら使い古された題材でもあることすらも、アイルランドの現在の存在位置というフィルターなしには観られない。どうやらアイルランドを論じるには私はもっとも不適格な人間だということを自覚するべきなのかもしれない。
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Webサイトもひとつの文化であるに違いない。
来年(…といっても、ここは自動的に書き込み日時が入る掲示板ではないので日付を入れないことには意味がない。ときどき記載年を書かれていないページを見掛けるのだが普遍性の事象についてならばいざ知らず、日記や情報的なものは何ともいえない気持ち悪さを感じる。ということで、きちんと記しておこう。現在は2001年なので2002年のことになる)また渡愛を計画しているのだが、まあまだ時間もあり過ぎるほどの余裕があるので情報収集を始めている。思えば前回の1998年度はまだ完全にインターネットに乗り換えていない時で、収集といっても関係機関への郵政省メールかオーソドックスに書籍で調べるぐらいだった。それがどうだろうか、インターネット上で検索するとあるわあるわの大放出。あまりに多義に渡るので思わず分別したくなるほどなのだがそんな時間はないので取りあえずざっと訪問してみるが、大層ためになるもの、どうでもいいもの、なかなか楽しく疲れる作業だ。(まだほんの途中なのだが)一番多かったのはアイルランドという「国の紹介」とやはり「旅行記」でこれは弊ページにも設けている。最初のうちこそ読んでみたもののだんだん飽きてくる。ムリもない、ページの数だけあるようなものなのだから。それで速度を上げる意味でキーワードを絞ってみる。例えば「競馬」ならどうだろうか。すると今度は当然のことながら競馬関係のページがまたもや気の遠くなるほどリストアップされる。「競馬」と「アイルランド」は密接といってもいい関係だから。埒が明かない。
つまり何を長々と書いてきているかというと、この2つのカテゴリ以外の充実度というか特異性が現在の異様に増殖している「アイルランド関連サイト」の中での差別化であり、存在価値なのだろう。私自身は「一般的な」読者とはいえないからあまり客観的には見られないのだけれど、同じようなサイトを幾つも訪問してゆくうちに「もうそれは分かったから」「独自の視点はないものか」と読み手は焦れてくるのではあるまいかという類の危惧を描いてしまう。まあ、この文化はまだ始まったばかりであるので、あと数年して自然淘汰されるのではあろうが。情熱を持ち続けるのは並大抵のことではない。その根底に「排他的思考」があるならば遠からず色褪せるだろう。
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