旅・1998


しんときょろりんの家かじゅある愛蘭土>旅■1998

rain
KIX
ushi
exchange
tea time
baggage
museum & gallery

irish pub
GUINNESS
ST.STEPHEN'S GREEN
ROCK OF CASHEL
ROSS CARBERY にて
high tech
renewal
NORTHERN IRELAND
camera
glasses


 

rain

 

経由地のアムステルダム・スキポール空港からKLM/エア・リンガス機(これは相互提携とでもいうのだろうか?)に乗り、アイルランドはダブリン空港へ。

うっかりうたた寝してしまって、ふと気づいたときにはもう着陸してました。
何せ日本時間ではとお〜に日付が変わってる。

雨でした。
そういえば関空も天気悪かったし、なんかさい先悪いなぁ…と。

さて、これまでのアイルランドへの旅はいつもロンドン・ヒースロー経由だったのですが、単なるトランジットでも英国の入国審査を受けなければなりませんでした(ナゼかって?…私も知らんのよ〜)。
そんでもって、一旦英国入りしたら、アイルランドではノーチェックですねん。
ちうわけで「アイルランドでの」入国審査は今回が初めてでした。

しかし雨が…。空港バスのりばには屋根がない…ふえ〜ん。
でもま、何とか乗れてシティ・センターのバス・ターミナルへ。
料金は前回と変わらず1人£2.5でございました。

 


 

KIX

 

関空のことを少しだけ。

出発の朝は5時起き(←これ、最終日のダブリンのホテルでもそうでございました。
「はるか」に乗って終着駅まで…なんですが、私たちの予約していた列車は始発駅が「きょうと」じゃなかったんですぅ。

ちうことは、去年新しく出来た駅ビルのぴっかぴかのプラットホームではなくて、旧ホームからの出発だったのね。
…それでいきなり「迷子」になりかけてしもうたしぃ。
そんな私たちの様な方のために(?)駅員さんが告知に構内を回ってられました。

「はるか」はいつもながらに快適な移動。
関空にて見送りの友人たちとも難なく合流できて、ともかく4Fチェックイン・カウンターへ。
荷物に付けられたタグを「KIX−DUB」と確認して、あとは空港内をウロつこうと…

しかし結局、「当面最後の日本食」とかいって、みんなでお蕎麦屋さんに入って搭乗時間までPCネタを喋っていたという私たちって…。

後日談として、ダブリン空港から関空までのタグが「DUB−OSA」だったもので、もし伊丹に行ったらどうしよう…と、帰国後、関空のベルト前でその姿を再び見るまでちょびっと不安な2人でありました。

 


 

ushi

 

↑なんでローマ字表記なんだか。

アイルランドちうたら、羊さん、馬さん、牛さんの3巨頭(?)がいらっしゃるんですが、今回はやたら牛さんが目につきました。
数からいえば、やはり羊さんがぶっちぎりなんでしょうが…。
(馬さんはたぶんエリート教育されちょるんやろね。かの地はサラブレッドの宝庫だからして)

インターシティ(アイルランドのJR…IRね)の車窓からも多数目撃しましたし、ロック・オブ・キャシェルちう遺跡付近でも間近に見た(ちと恐かったですぅ)し、ボルティモアちう海岸の街で、東尋坊のような(?)切り立つ断崖近くにもおりました。

なんか私たちの行くところに必ず居るって感じですか〜。
まあ、ダンナは喜んでおったわな〜。

トドメは最終日、早朝、ホテルからダブリン空港までタクシーをとばしていたとき、ふと道路右横を見ると「GATEWAY2000」の見慣れたロゴ・マークが…横を見ると例によってのホルスタイン模様のコンテナが…。
そう、牛工場があったんですよー

インテル社はダブリンの西郊外にあるという情報を得ていたものの、牛工場は知りませんでした(あ、社名から「2000」がなくなるらしいですね)。
これが初日に見つけられてたら、きっと見学に来たのになぁと…。
もちろん外からしか見られないでしょうが。
不審人物と通報されたりして。

のんびりしたアイルランドの牛さん(←ホンモノの)に囲まれて、突如として工場がある風景は何となく微笑ましいものでございました。

 


  

exchange

 

日本同様、IRの窓口もコンビニ、スーパーもカード払いがOKなので基本的にクレジットカード1枚あれば、ほとんど両替の必要はありません。
ただ、パブや大衆食堂みたいなところは使えないところも多いので、いちおう小銭も用意せねばちうことで。

そうそう。
あと、バスは車内精算なので必携ですし…ことに空港バスは釣り銭さえ用意していないドライバーもいますから。
それにtipね。アイルランドはアメリカのように要求はされませんが、まぁ心付け程度。

今回の両替は2度。1度目はアムス・スキポール空港で。
アイルランド通貨は現在のところIR£(あいるらんど・ぽんど)です。
日本でも一部の銀行で取り扱っているそうです。←しかし、こういうダイレクトに両替してくれる銀行がウチの近くにはなかったということと、過去の経験から、日本円(1万円札に限りますが)をそのまま持って行くのが良いように思いますねん。
間に英国£を挟むとその分、手間も手数料も(キャッシュ、TC共)かかってしまいますからネ。

レートは「北アイルランド銀行」がいちばん良いように思いましたが、ま、余裕があれば比較検討すればいいですにゃ。
今回は訳も分からず、広ーいスキポール空港でたまたま最初に目についた銀行窓口で、まず当面の両替を済ませました。
レートは悪かったです。
ダブリン空港もいいとは言えませんがまだマシだったかも…。
でも到着予定が夜だったので、大事をとって先に済ませた訳です。
閉まっていたら悲惨ですからね。

2度目は1度目の両替のキャッシュが結構長持ち?したので、
帰国直前に飲み代分だけ追加両替しました。←要するにケチケチ大作戦でおました。

 


  

tea time

 

街歩きしていて(田舎歩きでも)ちょっと疲れたら、お茶しよ〜お茶…ちう訳で、「かふぇ」であります。今回は3軒ほどしました。

まずは、アイルランドに来たらビューリーズよぉ〜てな感じで、ダブリンの本店に行ってまいりました。
日本でも東京とナゼか埼玉・所沢にあるそうです。

古〜い、由緒在りそうな木製のごついドアを開けると、左側にテイクアウトとお土産のコーナー、右側が奥の店内で食す用のお茶やケーキを並んで選んでいく半セルフサービス(暖かい飲み物や軽食は係の人が用意します)方式。
昼時だったためか、長い行列が出来とりました。

ま、私たちは軽食をつくってもらう必要はなかったので、飲み物コーナーの列に並びまして、こちらは比較的すいてました。
ダンナはコーヒー、私は紅茶…んでもって、ケーキも2人でひとつ食べようと。
おっきいから1人だと食べきれないかもと(ホンマか?)。

奥の部屋は2階もあってとにかく広いんですが、昼間なのになんだか暗くてみなボソボソと喋っています。
そんなシックな雰囲気をデジカメのフラッシュで台無しにしたのは私です。

お味の方は…これはどこにも言えることですが「違いが分からない私」にとっては、よほどマズくない限り、判別不可能であります。
ケーキは甘かったなぁ。
ダンナはほとんど口をつけないんで、私が責任を持って始末しました。

2軒めはキャシェルちう、城下町で古城見学のあと、疲れた足を休めに(それとトイレ休憩)。
が、これ、偶然とはいえ救われたんですよ。
見つけて入った途端、バリバリ音を立てて雹が降ってきたんです。

最後はコークちうアイルランド第2の都市で駅前の大ショッピングセンター(どれくらい「大」かといいますと、ダイエーとジャスコとマイカル・グループが合体したような規模の…実際、大型チェーン店が何軒かと「ローラ・アシュレイ」のような小売店が多数入ってました)の2階で。
ここもセルフサービスで、ダンナはいつものようにコーヒーでしたが、私は暑かったんでオレンジジュース(←氷ナシ、自分で好きな量を入れる)にしましたのよん。

 


 

baggage

 

まあ2人ともスーツケース持ってませんので。
「機内持込手荷物だけ」でもよかったんですけどね。
実際、過去の1人旅ではチェックイン・カウンターで預けることはほとんどありませんでした。←これには深ーい訳がありましてぇ。
最初の海外旅行で、離ればなれになって大層不自由な一夜を過ごしたことが…。
なんでそんなことになったかは、追求しないでね〜。

荷物は極力少なく…ちうことで、パスポート等の必携品の他は最低の日用品と、あと頭を悩ましたのはいちばん場所取りの「お洋服」でございます。
下着・靴下類は着回す訳にまいりませんので、問題は「うわもの」。
寝間着や風よけのコートは別にして、出来るだけ少ない枚数でラフな格好とレストラン用を念頭に絞り込んだのですが、案の定けっこうな重さになってしまいやした。

気候的にはほぼ北海道に近いものがありますから、薄手のセーターなんぞも一応用意しましたが、今回はあまり着ませんでした。
が、それでもないと困る日もあったんで、必要は必要なんです。
うーん…真夏でも20度いかない国ですからこのあたりのスタイルって本当に難しい。
基本的に風が強いんで、体感温度はかなり低いと思いますし。

ところで、各お宿の消耗備品としては、必ずあるのが石鹸とシャンプー、シャワーキャップぐらい。
そのへんの予備知識はあるんで、歯磨きとリンス類は用意しました。
意外と置いてなくて、あると重宝なのはティッシュ・ペーパーでBOXタイプが便利です。

スリッパも過去の経験から必ず持って行きます。
たとえかさばっても折りたたみの旅行用じゃなくて、スッと足が入る普通のものを。
部屋に帰って靴を脱ぐとき「やっぱ日本人やわ」としみじみ思ってしまう次第で。

 


 

museum & gallery

 

アイルランドは週休二日制の国ぢゃ〜と、実感するのが土日の街歩きでして。
今回、首都ダブリンで過ごしたのは着いた日の土曜日から月曜の朝まで(昼前にIRでコークへ移動)と出発日までの金曜の午後3時前ぐらいから日曜日の早朝(6時前に空港着)までと、モロに週末だった訳です。

ショッピングセンターは日曜日休みだし、ダブリン城の開門時間も遅いシフトに。
とりわけイタカッタのはギネス工場を見学しようとてくてくとリフィー河沿いを歩いていて(←これにも訳が…)、途中でふと不安になりガイドブックを読み直してみると「土日休み」と。がーん

んで、着いた翌日の日曜日なんですが、午後に博物館・美術館めぐりをしました。
日曜日は開館時間がこれまた14時〜とか、遅いんですけど、こういう場所は無休あるいは月曜日が休みですから。

ナショナル・ギャラリーは2度目なんですが、本当に立派で美しく(トイレには感激!)広々としてます。
螺旋階段や明るい中央の吹き抜け、油圧式の円形エレベータもあり、それらを見て回るだけでも面白いものでした。
あちこちに休憩のための長椅子も用意されていて、それらがまたスタイリッシュなデザインで…うん、ここはおススメですね。
街歩きで疲れたときに立ち寄るのにもいいですし。

これら博物館・美術館は隣接地域にあるんですが、次に行ったのがお隣の自然史博物館で、いろんな標本・剥製が展示されているのですが…ここは、ハッキリ言って気色悪かったです。
鳥さん、魚さん…まではいいんですが、虫さん・は虫類さんになるとちょっと…。

あとナショナル・ミュージアムは時間切れとなってしまい(ここは少し離れた場所にあります。
裏から行けると地図上は近いはずなんだけど、1Fの一部しか見られなかったのが残念でした。
ここはアイルランド史の総括みたいな博物館なので、その歴史、ことにケルト・ファンは必見かもしれません。
美術館同様、館内にカフェやショップもあり、平日ゆっくり見て歩きたいようなところでした。

すべて入場無料。惜しむらくは私たちが回った日は天気が悪くて、雨の中を半分濡れネズミ状態で震えながら歩いたことかしらん。
それも私たちが外に出ると降ってくるちうか…ほんに意地悪な空模様でございました。

 


  

irish pub

 

5度目のアイルランドでようやく初めてのパブ体験です。
ま、日本でも1人で飲みに行くことはありませんが。
今回入ったパブは3軒です(なんちうか、好きだね「3」が)。

まず、ギネス工場が休みと知り、「がーん」となったあとに←この「脱力感」をなんとかしようと、休憩のために入ったのがリフィー河北沿いのお店。
パブちうのは基本的にアルコールを出すお店、という認識でよいかと思われます。
確かそのための認可も結構厳しいとか…。
ただし、お昼はランチなど軽食を出すところもあり、日本でいえば喫茶&スナックみたいなところと思ってくださるとイメージしやすいかも。

外が寒かったので、カウンター席に着くなり例によってダンナはコーヒー、私は紅茶を注文して、トイレに直行しました。
地下2階にあってとーっても怪しい雰囲気で…うーん、やっぱり1人だったらコワイかも。

席に戻ると、ナゼカ私の席に「もうかなり出来上がっている妙なオヤジ」が背もたれに手を掛けて立っている…。
アレ?席、間違ったかな??と思ったけど貴重品以外を入れたリュックが確かにその席に置いてあるし…「あの〜」と声を掛けると「あ、ごめんごめん」(もちろんエーゴで)と言ってどいてくれたけど、私が席に着くと再びぴとっと背もたれにひっついてくる。
もしかしたら私が座った席はあのオジサンの定位置だったのかしらん??

2軒目、3軒目は明日は日本へ発つちう前日、夕食代わりに(?)飲みに行ったお店です。特に2軒目のお店はアルコール以外はないところだったので、ひたすらギネスを飲んでました。←(注)6時過ぎでまだ外は昼並に明るかったですが。

実はパブに行くのは最終日にとダンナと決めてました。
旅行中にレンタカーを借りる期間とか、いろいろと予定を決めていくうちに、結局余裕のある日がなくて…。
特にダンナは、飲んで体調を崩すのを避けるためにそうしたかったらしい。
ですから1軒目は予定外のもの。
周囲にコーヒーショップがなかったので入ったパブでした。

んで、話を戻して2軒目のパブなんですが、すでにお客さんはそれなりに入っていて、私たちは窓際の明るい席につきました。
パブでの支払いのルールはその場で。
泡の滴るギネスを運んできてもらったバーマンに2パイント分を渡しました。
そうそう、サイズは半パイントがグラスビール、1パイントがジョッキ…と、イメージしてもらえればいいでしょうか。

ダンナが追加の2杯目を飲み干す少し前に、またもやヘンなアイルランド人に遭遇。今度の相手は私ではなくダンナ。
ま、オヤジではなく、どう見ても20代前半の若者(もしかしたらもっと若造かも?)でしたが。
外から入ってくるなりダンナに訳の分からないこと(この方もかなりイッちゃってました)ブッたあげくに、フラフラと壁際の床に座り込みそのまま寝ちゃいました。
しかし夫婦揃ってよく絡まれるもんだにゃ〜。ふ

3軒目はさすがにちょっと小腹膨らしに、お酒以外のモノも置いてそうなところ…と看板を見ながら探して「ビストロ」ちう文字があったのでそこに。
ちうてもサンドイッチぐらいしかなかったけんど…ま、明日は早起きなので早く寝なきゃいけないし、あんまり食欲もなかったんでちょうど良かったんですけどネ。
またもやそれぞれ1パイントのギネスと共に食しました。

そしてアイルランド最後の夜はふけて…と言いたいところなんですが、9時過ぎまで飲んでいたものの、なかなか暗くならなくて。
薄明るい石造りの道をホロ酔い気分で歩いて帰りました。

 


  

GUINNESS

 

ギネスビールのことは、もう日本でも結構有名なんで私がことさら説明するまでもないんですが、地元のそれとの違いはやはり「泡」なんでしょうね。
そのクリーミィさは多くの人が納得されています。
また、その他の黒ビールに関しては日本産は私には酸っぱく感じられますが、ギネスはコクと苦みがあって…以前ニュージーランドから日本に来た人に聞いた話なんですが、「貧血」によいそうです。ホントカナ?
鉄分が含まれているとか…そういう「お味」です。

ところでギネスって「ギネスブック」の? はいはい、そうですよん。
おしゃべり好きのアイリッシュたちのパブでの雑談の中から生まれたそうです。
今回、私たちが経験したパブは一部を除き、皆さんおとなしい方々が飲まれていましたが、通りを歩いていて、ウルサイほど騒がしいパブもありました。

アイリッシュは話し好き。
だけど、ネイティブじゃない私たちは、たとえ話し掛けられたとしてもツライもんがあるでしょうけどネ。
タクシー・ドライバーも話し好きな人に当たると、ちょっとシンドかったです。

そんな彼らの酒の肴(話のネタ)を集めたのが「ギネスブック」…ちうのは大いに「納得」出来ますにゃあ。
さて、ギネスの宣伝コピーはかのジェイムズ・ジョイスも書いちょります。

「 Giunness…the Free, the Flow, the Frothy Freshner 」

ちうんですけど、ジョイスらしい、言葉遊び的惹句ですネ。
ところで、ギネスが100%添加物ナシの自然食品だって知ってました?
んでもって、同量の牛乳と比較してそのカロリーが半分だってことも。
ビタミンとミネラルを豊富に含んだ健康飲料なんだそうです。
さ、みんなでギネスを飲もう!…なんて書いてると、また飲みたくなってきたよ〜。

 


 

ST.STEPHEN'S GREEN

 

今回、8泊10日の旅で利用したお宿は、ダブリン、コーク、ウエストコークの3カ所だったのですが、ダブリンのそれは「セント・スティーブンス・グリーン」と呼ばれる大きな公園の近くにありました。

公園といえばロンドンに行ったときのホテルも、近くに「ハイド・パーク」がありましたが、そちらが広々とした大緑地(英国の公園ってハンパじゃない広さ)だとしたら、「セント・スティーブンス・グリーン」は大きなお庭感覚。
それもそのはず、ここはギネス一族がその私邸を市に寄付したところなんだそうです。

色とりどりの花々、広い芝生と様々な樹々、白鳥、カモの親子らが遊ぶ池、そこここにある東屋やベンチ…を白い小径が結んでいます。
ダブリン市民の憩いの場とされていることがよく分かります。
ダブリンで目覚めた朝にまずゆっくりと、そしてコークから帰ってきてからも、近いせいもあって再度お散歩しました。

折しも大好きなチューリップと桜が満開の状態でした!
チューリップ…本当に愛らしい花ですよね〜。
桜はピンクの八重で、葉もすでに出ていました。
たしか北海道にも花と葉が同時に開花する種類の桜並木があったと思いますが(つい先日「おはよう日本」で中継やってました)、ちょうどそんな感じ。
街を走る車でたまに「花びらまみれ(桜吹雪状態?)」になっちょるのも見かけました。
アイルランドは常に風が強い国なんで、桜の花タチは大変です。

 


 

ROCK OF CASHEL

 

まさしく「石の城」と呼ぶに相応しい偉容な構築物が街の北方、丘の上にそびえ立っています。
ここにはダブリンからコークに移動後、レンタカーを借りて訪れました。
長距離バスルートでいえばちょうどUターンしてダブリンへ戻る道(N8号線)途中にあるキャシェルちう本当に小さな街なんですが、この「ロック・オブ・キャシェル(そのまんまやんか〜)」と呼ばれる石の城で有名なところなんです。

あいにく雲行き怪しいお天気だったのですが、180度視界がひらけているドライブコースを「そろそろ着くかな?」とふと地平線を見ると、まるでその街に君臨するかの如く前方上に忽然とそれはあり(薄もやのなか、浮かんでいるように建ってます)、鉛色の空とあいまって少々異様な趣がありました。(アニメの「ラピュタ」を思い出してしまいました…)

石の城は丘の上にあるので、車を駐車スペースに止めてから、小雨まじりの肌寒い中を徒歩でひょこひょこと登って行きました。
城の中に入ると、ちょっとした展示スペースがあり、そこを抜けるとキャシェルの街が一望できる開けた中庭がありました。
ま、見えるのは例によって、羊さん、牛さんぐらいなものですが…。
折しも雨があがってサーッと日の光がこぼれてき、緑がいっそう輝いて見えました。

ここは歴史的にも何度も改築を繰り返してきたところです。
いちばんの古参はラウンド・タワー(円塔)で、ここのは優美な、それでいて少々寂寥感もありました。
アイルランド名物の円塔はところによっては、中の梯子を使っててっぺんまで登ることができるのですが、ここは残念ながら入れませんでした。

大きな聖堂も併設されているんですが、見事に屋根が抜け落ちていて、青空がのぞいてました。
うーん、廃墟だなぁ…諸行無常の響きあり。てか

大聖堂横には十字架に円をあしらった「ケルト十字」のお墓が多数ありました。
真新しい花束が添えてあったなぁ…。
礼拝堂の外壁は現在修復中のようで足場が築いてありましたが、中は…
やはり一種独特の冷たい静けさがあります。
11世紀造と鑑定されたという彫刻はちょい不気味でした。

さて、石の柵に囲まれた「ロック・オブ・キャシェル」を出て、その周りの道をぐるりと一周しました。
途中でまた雨が降ってきたので、傘の中で2人、震えながらとぽとぽと歩いていてふと顔を上げると、道の頭上に牛さんのデカイ顔が…。
道沿いは牧草地だったのネ。
向こうもビックリしただろうけど、私らも驚いたゾ、と。

道の反対側には遠方に修道院跡の廃墟も見え、小雨まじりの中、ますます寂寥感は深まるばかりでございました。

 


 

ROSS CARBERY にて

 

白く長い道をゆく

見渡す限り、緑の丘のその向こう

小さな車は疾走する

 

くるくる変わる空模様…

水滴が陽の光に輝いている

 

人影のない橋のほとり

180度見渡せば

頬を打つその風の厳しさ、冷たさに身震いがおこる

 

ガラス越しには分からない、ましてや

きれいにトリミングされた印画紙では伝わらない

 

不安な気持ち

孤独な思いをかき立てるこの風に吹き飛ばされぬよう

 

大地に根をはり、

過酷な自然との闘いを癒す温もりを守る家をつくり、

生きていく

 

この風は、足下から髪まで激しく揺さぶる狂った風は、

私が愛したこの国の分身なのかもしれない

 


 

high tech

 

↑これは和製英語なんでしょうか?
私の持っている辞書には載ってませんでした。
一昔前のサイバーパンクでは「ローテク」の連中が、やたらハードボイルドで格好良く描かれちょりましたが。

さて、私が某ボードでもその昔「アイルランド〜」て、書き込んでいたとき、「アイルランドといえば、新電子立国ですよね」というRESが付き、はて?私は知らんゾぉーと思って質問しましたら、一昨年「ASAHIパソコン」の特集記事になってましたよ、とお返事をいただきました。

今から考えると、アイルランドに興味を持ち始めたのと最初にコンピュータらしきものを手に入れたのはほぼ同時期だったのですが、この両者が再びクロスオーバーするとは…まったく面白いものだとしみじみ思った記憶がございます。

きれいな水と空気があること、知的水準が高い割に労働対価が比較的安くて済むこと、同じ英語圏、他に競合する地場産業がないこと(伝統的に(?)移民の続く歴史を見るに、むしろアイルランド側としては大歓迎だったんじゃないでしょうか。
若い労働力流出をストップさせる意味でも)…などなど、インテル社等がアイルランドという地を選んだことの理由としては、なるほどと頷けるものです。
まあ、工場見学はムリとしても、ショップ巡りをしてみようか…と、これは今までの旅行では考えもしなかった新しい街歩きのネタです。

まず、コークのとある街角の家電製品の店。テレビやオーディオに並んで…ちうより、扱いは最上級かもしれませんでした。>パソコン群
いっちゃんイイ場所にディスプレイされてましたから。
まず目を引いたのがパッカードベルの曲線を生かしたボディ。しかし、どデカイ次にコンパック…これまたデカイ。
店内でこれだけ大きく感じるんですから、部屋に置いたらもっと大きいでしょうネ。
さすが「どすぶい」マシンです。

ダブリンに戻って、セント・スティーブンス・グリーン近くに「コンピューストア」なる店が…名前からして、PC専門店だなぁ、と。
ここは明るくて、いかにもハイテク売ってますって感じの内装。
ダンナはひたすら「怪しいソフト」等をお土産に買うんだと探していたようですが、こんな正当派のショップにはないでしょうネ。>ジャンク品
日本でいえばJ&Pやコンプマートみたいなところですから…。
でも、片隅のワゴンには何やら型オチの部品が無造作にブチ込まれてました。

ここでもハバをきかせていたのはコンパックとパッカードベル。
ちうか、この2ブランドしか見ませんでしたネ、デスクトップは。
ノート型なら日本では珍しい(と思われる)オリベッティがどちらの店にもありました。
また、プリンタはキャノンやエプソンが頑張ってましたよん。

りんごは…見なかったなぁ。
しかし、レンタカーで街を走ってるとき前を行く車のリアウインドウに例の虹色りんごまーくのステッカーが!
アイルランドで遭遇したただ一つのりんご関係者(?)でした。

そうそう。ハイテク話といえばもう一つ。
アイルランドでも「携帯電話」が大流行中でした。
街を歩けば、あちこちで「ぷるるるる」ちう電子音が。
もちろん歩きながらしゃべっている人もいるし。
基本的に話し好きの民族ゆえ、こりゃ日本は大阪以上のブームになるかもネ。
あ、もうなっているのかしらん??

 


 

renewal

 

この前ダブリンに来たときはG.P.O.こと中央郵便局の外壁が工事中でしたし、最初にひとり旅したとき泊まったホテルのラウンジは数年前、U2のメンバーが改装してオシャレなナイト・クラブ(日本のソレとはちょっとニュアンスが違うかも。
トレンディ・ディスコ…かな?)になっちょるらしいし、首都ダブリンは何やら再開発ブームなのかしらん??と思っていたら、今回利用しましたIRヒューストン駅と空の玄関口ダブリン空港が現在改築中でおました。

そぉいや、最初に来たときも、巨大なショッピングセンターと出来たばかりのヴァージン・メガストアの超近代的な造りには、ちょっとびっくりしましたが。
都市部のこうしたメカニカルな建物には、いつも単純に新鮮な驚きを感じます。
モノトーンを基調(白とメタリック)とし、ガラスや金属を多用した明るく清潔感溢れる骨格のその根底には、機能美の追求とばかりはいえない、おそらく計算しつくされた空間があるのでしょう。

いつもお世話になるツーリスト・インフォメーションも移転してまして、こちらは聖アンドリュース教会跡に外観はそのまま、内装に少し手を入れて、独特の雰囲気を出してましたネ。
以前はざわついて騒がしかったインフォが、元教会ちうこともあってか、皆さん静かに順番を待ってられました。

さて、ヒューストン駅の完成はまた次回のお楽しみですが、ダブリン空港はどうやら半分ほどは出来ていて、免税店がおそろしく広くなっておりましたぁ…と。
これまでのアイルランド入国はダブリン・コークの両空港だけからなので、私はぜひとも西の玄関口のシャノン空港に行ってみたいと思っているのですが
(ここは世界で初めて免税店が出来たところなんですよ。また、アメリカからの旅行客はダブリンよりこちらの方をよくを利用するそうです)こうなると改築後のダブリン空港にも再度来てみたいものです。

 


  

NORTHERN IRELAND

 

「アイルランドの男女国民に告ぐ。神の御名と、国家の古き伝統を今に伝えた亡き幾世代もの名において、祖国アイルランドは、その子らが、われらを通して国旗のもとに結集し、自由のために戦うことを求めている」(「暫定共和国政府
樹立宣言」より)

ケルトで最も有名な神話伝説の中に、ク・フーリンとメーヴ女王の壮絶なる戦いの物語があります。

コノハトの女王メーヴはある夜、寝物語に夫アリールとお互いの財産自慢(昔、アイルランドでは結婚の際に持参した財産の所有権をその後も「個人として」保持するものだった)の果て、雄牛「白き角」の分だけ負けていることが分かる。
するとメーヴは夫と対等になるために、「褐色の雄牛」を所持するアルスター王に使者を送り、貸して欲しいと申し出るが聞き入れられない。

そのためメーヴは牛争奪をかけてアルスターに宣戦布告。
しかしアルスター側の無敵の英雄ク・フーリンの活躍によりついに長い戦いはコノハト軍の負けとなり、そもそもこの戦いの目的であった「褐色の雄牛」も「白き角」との対戦で命を落とし、メーヴは退却を余儀なくされる…。
(「クーリーの牛奪り」より)

この女王と英雄の確執はその後も続き、イエイツの劇「ク・フーリンの死」にもあるようにメーヴはその女の執念を達してようやく幕となる(立ったまま死にたいと言って野の石柱に身体をしばりつけたク・フーリンの姿が、ダブリンの中央郵便局の
広間に銅像となって建てられている)。
あ、これは史実ではありませんからネ。あくまで伝説です。

また、アイルランドで工場を営んでいる日系企業の管理職の方が、「こちらの人はたいそう感情的で、スローガンなきストライキには参りました。話し合いを…といっても争点がないのですからどうしようもない。ストライキをしたいからする、というのでしょうか」といった話も読んだことがあります。

私自身、たった今、にこやかにお話ししていたかと思うと、急にプイとされたことが(何か私が悪いことでも言ったんでしょうが…)あり、感情の起伏の激しさは、なるほど聞きしに勝る…と思ったこともあります。←あまり気にしてはいけない。数分したら、元に戻ってますから。

北アイルランド紛争は、ひとくちにこうなのだと語れない歴史の積み重ね(怨念?)がありますが、「絶対に後には引かない」「理屈より感情」「とことんやる(行くとこまで行く)情熱家」の民族であるということが解決を長引かせているとは思います。
感性の人に対して論理の人(英国)が噛み合わないのは納得かな、と。

「国境なんてないと思ってごらん…」と歌った、故ジョン・レノンもまたアイルランド系でしたが、「ひと続きの島なんだから、全部アイルランド」ちうまさに何の理屈もない(アイルランド側にすれば「真っ当な」)言い分に、なんのかんの理屈
をつけて説を曲げない英国側。
ま、IRAのテロ活動に対して英国軍やプロテスタント側の地下活動があまり報道されないのは公平ではないかも?…ん??(・_・;

その昔、統一国家をつくることが出来ず大ローマ帝国に屈したケルト。
それぞれが個性的で協調性に欠ける民族性にその原因があるといいます。
「敵が結束をかたくする」と司馬遼太郎氏が言及したように、対英国ちう、ただそれだけで一丸となれることは、逆説的に言えばこの紛争がなくなれば、またもやバラバラな国になってしまうのでしょうか?……

とはいえ、近年アイルランドは変わってきています。
少しずつ。
まず教会の権力が弱まりつつあります。その原動力は「女性問題」。
そして映画・音楽等のサブカルチャーに於いてのアイリッシュの台頭。
その作品の質が全世界の評価を受けるとともに、今まで教会権力によってタブー視されていた問題に光が当てられることとなりました。
そしてなにより、迫り来るEU統合の時代が。

ジョンの理想に一歩近づくことになるのでしょうか、それとも…?

追記:2001年9月11日のWTC無差別テロを切っ掛けとして、IRAは武装解除を宣言しました。

 


 

camera

 

今回用意したのは2台。デジカメ(オリンパス)と普通のカメラ(京セラ)で、ダンナと私がそれぞれ暗黙の了解で分担しました。
ここで補足。
私自身は過去に約一ヶ月に渡ってアイルランドをウロウロと半周した際、被写体としてのアイルランドは、その集大成というべきアルバムを完成しておりますので「カメラに取る」ちう行為自体に、もはや「よっしゃ、この景色もらったぁ」ちう
思い入れがありません。

事実、それ以降の旅に於いては、フィルムを忘れるわ、それ以前にカメラ自体を忘れるわ、はては床に落っことすわで…カメラにとっては迷惑千万な扱いをしてきておる次第でして。
今回もダンナからフィルムは3本ほど…とリクエストされたものの、はたして使うかなぁ??と自問しておりました。

いままでで最高の眺め…ちうのは、今回も訪ねたコークちう都市からさらに西方、グレンガリフ〜キラニーまでの長距離バスルート。
まさに絶景の「緑の谷」が拝めます。
ただ、すごい急な山の縁に関わらず(道は細いし、くねくねカーブだし…で)、
めちゃスピード出すんです>バス・ドライバーですんで、写真を撮るどころか、前の座席にしがみついてました。
でも、あそこはアイルランドのピカイチだと個人的には思っています。

ま、私がアイルランドで撮してきたものちうのは、最初の頃こそガイドブックにあるような有名どころだったのですが、だんだんに無名のものになってゆき、このごろは単に緑の大地や廃墟、輝く海と黒い岩とか…。う〜む

そんな私が今回期待していたのは、例の「ロック・オブ・キャシェル」。
何度も言うようですが、ここはもぉ期待たがわず…ちう被写体でございました。
「天空の城」ちうのがあるとしたら、あんな感じかな〜??
まわりに高い建物がないので、遠くからでも目立ってましたネ。
お城自体もイイし、まわりの景色もワタシ好みで。

ところで3本のフィルムなんですが、結局2本は未使用で帰ってきました。
もともと写真をあまり撮らない私たち。
次のアイルランド旅行まで(いつ行くんや?)腐らないかしらん??なんてね〜。

 


 

glasses

 

2人とも目は悪い方なんですが、私の方はまだ裸眼で何とか支障はないんです。
しかしダンナは学生時代からすでにメガネのお世話になっておりまして、もちろん今回の旅行にも携行品ちうより、カラダの一部として持って行きました。
が、行きと帰りではその外見が変化しちょりました。
…以下、その一部始終です。

まあ、洗顔やお風呂に入るときメガネは取るんですが、モンダイはその置き場所です。
とりあえず無頓着にどこにでもホイと置くんですね。
畳の上やら椅子に掛けてあるカーディガンの上とか、朝食の時のおかずを置くスペースとかにもヒョイと。

「え゛(・_・;」とか、なっても、いちおう目に付くところなら、安全な場所に退避させたり出来るのですが、死角ちゅいますか、足もとなどは大変キケンなのでありますよ。
ダンナは自分でも踏んでしまって「わぁぁぁぁ」と、夜中叫んでたコトありましたし。

んで今回は6泊目だったかな、コークのホテルでダンナの入浴中、私はベッドの上でざくっと荷物の整理をしていたんです。
ベッド・スプレッドは大柄なバラの花模様。
これがまだ無地とかだったら、光源が間接照明のアイルランドでもまだ見えたと思うんですけど…要するに、彼は今度はベッドの上にメガネを置いてお風呂に入ったんですね。
で、お風呂から出てきて「あーーーーっ」と叫びました。

正直言って、そうダンナが叫んでも、ワタシは自分が何をやらかしたのか分かりませんでした。
「ベッドに座った?」と聞くので「うん…(はて?) 」。
まだ分かりません。
ペシャンと「真っ平ら」になったメガネ・フレームを見せられてようやく…。

幸い(?)ベッドの上だったのでレンズ自体は無事だったのですが、フレームは片方が完全に折れてしまいました。
ふえーん…ごめんよぉ。

翌日、ダブリンの眼鏡屋さんでフレームだけ買ったんですが、いわゆる「眼鏡屋さん」ちうのがないんですよぉ〜こりが。
私なんぞ、ショッピング・センターやデパートに行けば大丈夫とタカをくくっていただけに参りました。
正確に言うと、サングラスはありましたケドね。

んで、あちこち探し回ってやっと見つけて一件落着したんですけど、ホテルに帰ってよくよく見れば「メイド・イン・ジャパン」でした。
なんと大騒ぎして買ったジャケット・パンツと同じ「ヨージ・ヤマモト」。
これには2人とも、とりあえず笑うしかありませんでしたワ。

 

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