旅・1998 |
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rain
経由地のアムステルダム・スキポール空港からKLM/エア・リンガス機(これは相互提携とでもいうのだろうか?)に乗り、アイルランドはダブリン空港へ。 うっかりうたた寝してしまって、ふと気づいたときにはもう着陸してました。 雨でした。 さて、これまでのアイルランドへの旅はいつもロンドン・ヒースロー経由だったのですが、単なるトランジットでも英国の入国審査を受けなければなりませんでした(ナゼかって?…私も知らんのよ〜)。 しかし雨が…。空港バスのりばには屋根がない…ふえ〜ん。 |
KIX
関空のことを少しだけ。 出発の朝は5時起き(←これ、最終日のダブリンのホテルでもそうでございました。 ちうことは、去年新しく出来た駅ビルのぴっかぴかのプラットホームではなくて、旧ホームからの出発だったのね。 「はるか」はいつもながらに快適な移動。 しかし結局、「当面最後の日本食」とかいって、みんなでお蕎麦屋さんに入って搭乗時間までPCネタを喋っていたという私たちって…。 後日談として、ダブリン空港から関空までのタグが「DUB−OSA」だったもので、もし伊丹に行ったらどうしよう…と、帰国後、関空のベルト前でその姿を再び見るまでちょびっと不安な2人でありました。 |
ushi
↑なんでローマ字表記なんだか。 アイルランドちうたら、羊さん、馬さん、牛さんの3巨頭(?)がいらっしゃるんですが、今回はやたら牛さんが目につきました。 インターシティ(アイルランドのJR…IRね)の車窓からも多数目撃しましたし、ロック・オブ・キャシェルちう遺跡付近でも間近に見た(ちと恐かったですぅ)し、ボルティモアちう海岸の街で、東尋坊のような(?)切り立つ断崖近くにもおりました。 なんか私たちの行くところに必ず居るって感じですか〜。 トドメは最終日、早朝、ホテルからダブリン空港までタクシーをとばしていたとき、ふと道路右横を見ると「GATEWAY2000」の見慣れたロゴ・マークが…横を見ると例によってのホルスタイン模様のコンテナが…。 インテル社はダブリンの西郊外にあるという情報を得ていたものの、牛工場は知りませんでした(あ、社名から「2000」がなくなるらしいですね)。 のんびりしたアイルランドの牛さん(←ホンモノの)に囲まれて、突如として工場がある風景は何となく微笑ましいものでございました。 |
exchange
日本同様、IRの窓口もコンビニ、スーパーもカード払いがOKなので基本的にクレジットカード1枚あれば、ほとんど両替の必要はありません。 そうそう。 今回の両替は2度。1度目はアムス・スキポール空港で。 レートは「北アイルランド銀行」がいちばん良いように思いましたが、ま、余裕があれば比較検討すればいいですにゃ。 2度目は1度目の両替のキャッシュが結構長持ち?したので、 |
tea time
街歩きしていて(田舎歩きでも)ちょっと疲れたら、お茶しよ〜お茶…ちう訳で、「かふぇ」であります。今回は3軒ほどしました。 まずは、アイルランドに来たらビューリーズよぉ〜てな感じで、ダブリンの本店に行ってまいりました。 古〜い、由緒在りそうな木製のごついドアを開けると、左側にテイクアウトとお土産のコーナー、右側が奥の店内で食す用のお茶やケーキを並んで選んでいく半セルフサービス(暖かい飲み物や軽食は係の人が用意します)方式。 ま、私たちは軽食をつくってもらう必要はなかったので、飲み物コーナーの列に並びまして、こちらは比較的すいてました。 奥の部屋は2階もあってとにかく広いんですが、昼間なのになんだか暗くてみなボソボソと喋っています。 お味の方は…これはどこにも言えることですが「違いが分からない私」にとっては、よほどマズくない限り、判別不可能であります。 2軒めはキャシェルちう、城下町で古城見学のあと、疲れた足を休めに(それとトイレ休憩)。 最後はコークちうアイルランド第2の都市で駅前の大ショッピングセンター(どれくらい「大」かといいますと、ダイエーとジャスコとマイカル・グループが合体したような規模の…実際、大型チェーン店が何軒かと「ローラ・アシュレイ」のような小売店が多数入ってました)の2階で。 |
baggage
まあ2人ともスーツケース持ってませんので。 荷物は極力少なく…ちうことで、パスポート等の必携品の他は最低の日用品と、あと頭を悩ましたのはいちばん場所取りの「お洋服」でございます。 気候的にはほぼ北海道に近いものがありますから、薄手のセーターなんぞも一応用意しましたが、今回はあまり着ませんでした。 ところで、各お宿の消耗備品としては、必ずあるのが石鹸とシャンプー、シャワーキャップぐらい。 スリッパも過去の経験から必ず持って行きます。 |
museum & gallery
アイルランドは週休二日制の国ぢゃ〜と、実感するのが土日の街歩きでして。 ショッピングセンターは日曜日休みだし、ダブリン城の開門時間も遅いシフトに。 んで、着いた翌日の日曜日なんですが、午後に博物館・美術館めぐりをしました。 ナショナル・ギャラリーは2度目なんですが、本当に立派で美しく(トイレには感激!)広々としてます。 これら博物館・美術館は隣接地域にあるんですが、次に行ったのがお隣の自然史博物館で、いろんな標本・剥製が展示されているのですが…ここは、ハッキリ言って気色悪かったです。 あとナショナル・ミュージアムは時間切れとなってしまい(ここは少し離れた場所にあります。 すべて入場無料。惜しむらくは私たちが回った日は天気が悪くて、雨の中を半分濡れネズミ状態で震えながら歩いたことかしらん。 |
irish pub
5度目のアイルランドでようやく初めてのパブ体験です。 まず、ギネス工場が休みと知り、「がーん」となったあとに←この「脱力感」をなんとかしようと、休憩のために入ったのがリフィー河北沿いのお店。 外が寒かったので、カウンター席に着くなり例によってダンナはコーヒー、私は紅茶を注文して、トイレに直行しました。 席に戻ると、ナゼカ私の席に「もうかなり出来上がっている妙なオヤジ」が背もたれに手を掛けて立っている…。 2軒目、3軒目は明日は日本へ発つちう前日、夕食代わりに(?)飲みに行ったお店です。特に2軒目のお店はアルコール以外はないところだったので、ひたすらギネスを飲んでました。←(注)6時過ぎでまだ外は昼並に明るかったですが。 実はパブに行くのは最終日にとダンナと決めてました。 んで、話を戻して2軒目のパブなんですが、すでにお客さんはそれなりに入っていて、私たちは窓際の明るい席につきました。 ダンナが追加の2杯目を飲み干す少し前に、またもやヘンなアイルランド人に遭遇。今度の相手は私ではなくダンナ。 3軒目はさすがにちょっと小腹膨らしに、お酒以外のモノも置いてそうなところ…と看板を見ながら探して「ビストロ」ちう文字があったのでそこに。 そしてアイルランド最後の夜はふけて…と言いたいところなんですが、9時過ぎまで飲んでいたものの、なかなか暗くならなくて。 |
GUINNESS
ギネスビールのことは、もう日本でも結構有名なんで私がことさら説明するまでもないんですが、地元のそれとの違いはやはり「泡」なんでしょうね。 ところでギネスって「ギネスブック」の? はいはい、そうですよん。 アイリッシュは話し好き。 そんな彼らの酒の肴(話のネタ)を集めたのが「ギネスブック」…ちうのは大いに「納得」出来ますにゃあ。 「 Giunness…the Free, the Flow, the Frothy Freshner 」 ちうんですけど、ジョイスらしい、言葉遊び的惹句ですネ。 |
ST.STEPHEN'S GREEN
今回、8泊10日の旅で利用したお宿は、ダブリン、コーク、ウエストコークの3カ所だったのですが、ダブリンのそれは「セント・スティーブンス・グリーン」と呼ばれる大きな公園の近くにありました。 公園といえばロンドンに行ったときのホテルも、近くに「ハイド・パーク」がありましたが、そちらが広々とした大緑地(英国の公園ってハンパじゃない広さ)だとしたら、「セント・スティーブンス・グリーン」は大きなお庭感覚。 色とりどりの花々、広い芝生と様々な樹々、白鳥、カモの親子らが遊ぶ池、そこここにある東屋やベンチ…を白い小径が結んでいます。 折しも大好きなチューリップと桜が満開の状態でした! |
ROCK OF CASHEL
まさしく「石の城」と呼ぶに相応しい偉容な構築物が街の北方、丘の上にそびえ立っています。 あいにく雲行き怪しいお天気だったのですが、180度視界がひらけているドライブコースを「そろそろ着くかな?」とふと地平線を見ると、まるでその街に君臨するかの如く前方上に忽然とそれはあり(薄もやのなか、浮かんでいるように建ってます)、鉛色の空とあいまって少々異様な趣がありました。(アニメの「ラピュタ」を思い出してしまいました…) 石の城は丘の上にあるので、車を駐車スペースに止めてから、小雨まじりの肌寒い中を徒歩でひょこひょこと登って行きました。 ここは歴史的にも何度も改築を繰り返してきたところです。 大きな聖堂も併設されているんですが、見事に屋根が抜け落ちていて、青空がのぞいてました。 大聖堂横には十字架に円をあしらった「ケルト十字」のお墓が多数ありました。 さて、石の柵に囲まれた「ロック・オブ・キャシェル」を出て、その周りの道をぐるりと一周しました。 道の反対側には遠方に修道院跡の廃墟も見え、小雨まじりの中、ますます寂寥感は深まるばかりでございました。 |
high tech
↑これは和製英語なんでしょうか? さて、私が某ボードでもその昔「アイルランド〜」て、書き込んでいたとき、「アイルランドといえば、新電子立国ですよね」というRESが付き、はて?私は知らんゾぉーと思って質問しましたら、一昨年「ASAHIパソコン」の特集記事になってましたよ、とお返事をいただきました。 今から考えると、アイルランドに興味を持ち始めたのと最初にコンピュータらしきものを手に入れたのはほぼ同時期だったのですが、この両者が再びクロスオーバーするとは…まったく面白いものだとしみじみ思った記憶がございます。 きれいな水と空気があること、知的水準が高い割に労働対価が比較的安くて済むこと、同じ英語圏、他に競合する地場産業がないこと(伝統的に(?)移民の続く歴史を見るに、むしろアイルランド側としては大歓迎だったんじゃないでしょうか。 まず、コークのとある街角の家電製品の店。テレビやオーディオに並んで…ちうより、扱いは最上級かもしれませんでした。>パソコン群 ダブリンに戻って、セント・スティーブンス・グリーン近くに「コンピューストア」なる店が…名前からして、PC専門店だなぁ、と。 ここでもハバをきかせていたのはコンパックとパッカードベル。 りんごは…見なかったなぁ。 そうそう。ハイテク話といえばもう一つ。 |
renewal
この前ダブリンに来たときはG.P.O.こと中央郵便局の外壁が工事中でしたし、最初にひとり旅したとき泊まったホテルのラウンジは数年前、U2のメンバーが改装してオシャレなナイト・クラブ(日本のソレとはちょっとニュアンスが違うかも。 そぉいや、最初に来たときも、巨大なショッピングセンターと出来たばかりのヴァージン・メガストアの超近代的な造りには、ちょっとびっくりしましたが。 いつもお世話になるツーリスト・インフォメーションも移転してまして、こちらは聖アンドリュース教会跡に外観はそのまま、内装に少し手を入れて、独特の雰囲気を出してましたネ。 さて、ヒューストン駅の完成はまた次回のお楽しみですが、ダブリン空港はどうやら半分ほどは出来ていて、免税店がおそろしく広くなっておりましたぁ…と。 |
NORTHERN IRELAND
「アイルランドの男女国民に告ぐ。神の御名と、国家の古き伝統を今に伝えた亡き幾世代もの名において、祖国アイルランドは、その子らが、われらを通して国旗のもとに結集し、自由のために戦うことを求めている」(「暫定共和国政府 ケルトで最も有名な神話伝説の中に、ク・フーリンとメーヴ女王の壮絶なる戦いの物語があります。 コノハトの女王メーヴはある夜、寝物語に夫アリールとお互いの財産自慢(昔、アイルランドでは結婚の際に持参した財産の所有権をその後も「個人として」保持するものだった)の果て、雄牛「白き角」の分だけ負けていることが分かる。 そのためメーヴは牛争奪をかけてアルスターに宣戦布告。 この女王と英雄の確執はその後も続き、イエイツの劇「ク・フーリンの死」にもあるようにメーヴはその女の執念を達してようやく幕となる(立ったまま死にたいと言って野の石柱に身体をしばりつけたク・フーリンの姿が、ダブリンの中央郵便局の また、アイルランドで工場を営んでいる日系企業の管理職の方が、「こちらの人はたいそう感情的で、スローガンなきストライキには参りました。話し合いを…といっても争点がないのですからどうしようもない。ストライキをしたいからする、というのでしょうか」といった話も読んだことがあります。 私自身、たった今、にこやかにお話ししていたかと思うと、急にプイとされたことが(何か私が悪いことでも言ったんでしょうが…)あり、感情の起伏の激しさは、なるほど聞きしに勝る…と思ったこともあります。←あまり気にしてはいけない。数分したら、元に戻ってますから。 北アイルランド紛争は、ひとくちにこうなのだと語れない歴史の積み重ね(怨念?)がありますが、「絶対に後には引かない」「理屈より感情」「とことんやる(行くとこまで行く)情熱家」の民族であるということが解決を長引かせているとは思います。 「国境なんてないと思ってごらん…」と歌った、故ジョン・レノンもまたアイルランド系でしたが、「ひと続きの島なんだから、全部アイルランド」ちうまさに何の理屈もない(アイルランド側にすれば「真っ当な」)言い分に、なんのかんの理屈 その昔、統一国家をつくることが出来ず大ローマ帝国に屈したケルト。 とはいえ、近年アイルランドは変わってきています。 ジョンの理想に一歩近づくことになるのでしょうか、それとも…? 追記:2001年9月11日のWTC無差別テロを切っ掛けとして、IRAは武装解除を宣言しました。 |
camera
今回用意したのは2台。デジカメ(オリンパス)と普通のカメラ(京セラ)で、ダンナと私がそれぞれ暗黙の了解で分担しました。 事実、それ以降の旅に於いては、フィルムを忘れるわ、それ以前にカメラ自体を忘れるわ、はては床に落っことすわで…カメラにとっては迷惑千万な扱いをしてきておる次第でして。 いままでで最高の眺め…ちうのは、今回も訪ねたコークちう都市からさらに西方、グレンガリフ〜キラニーまでの長距離バスルート。 ま、私がアイルランドで撮してきたものちうのは、最初の頃こそガイドブックにあるような有名どころだったのですが、だんだんに無名のものになってゆき、このごろは単に緑の大地や廃墟、輝く海と黒い岩とか…。う〜む そんな私が今回期待していたのは、例の「ロック・オブ・キャシェル」。 ところで3本のフィルムなんですが、結局2本は未使用で帰ってきました。 |
glasses
2人とも目は悪い方なんですが、私の方はまだ裸眼で何とか支障はないんです。 まあ、洗顔やお風呂に入るときメガネは取るんですが、モンダイはその置き場所です。 「え゛(・_・;」とか、なっても、いちおう目に付くところなら、安全な場所に退避させたり出来るのですが、死角ちゅいますか、足もとなどは大変キケンなのでありますよ。 んで今回は6泊目だったかな、コークのホテルでダンナの入浴中、私はベッドの上でざくっと荷物の整理をしていたんです。 正直言って、そうダンナが叫んでも、ワタシは自分が何をやらかしたのか分かりませんでした。 幸い(?)ベッドの上だったのでレンズ自体は無事だったのですが、フレームは片方が完全に折れてしまいました。 翌日、ダブリンの眼鏡屋さんでフレームだけ買ったんですが、いわゆる「眼鏡屋さん」ちうのがないんですよぉ〜こりが。 んで、あちこち探し回ってやっと見つけて一件落着したんですけど、ホテルに帰ってよくよく見れば「メイド・イン・ジャパン」でした。 |