U2


しんときょろりんの家かじゅある愛蘭土>U2

 

U2という記号的なネーミングのバンドを知ったキッカケはたぶん、FMから流れてきた「New year's day」だったように記憶している。当時はニュー・ウエーヴ全盛期で彼らもその中の1バンドとして認知されていた。私が彼らをユニークだと思ったのはそのメロディラインや特徴的なブレス音が入るボノのヴォーカル以外に、活動のあり方だった。いや、活動というよりはひとつの「コミューン」である「リプトン村」なる想像の住人としての存在…カルトな人気を誇ったヴァージン・プルーンズたちとの交流の方だったかもしれない。バンドという形態自体、もちろん「好きな音楽をやりたい」という認識のもとに集まったのだろうが、それ以前に彼らにとってはそれ以上の「何か」であったような気がする。気の合う仲間といつまでもバカ話に興じていたいというか、終わらない「オトナ」になってしまう前の過渡期でとどまりたいという幻想を形にしたというか。その母体の一方はU2となって後々世界的にもブレイクし、片や一部熱狂的信者を持ったもののいつの間にか消えてゆくに至ったプルーンズとなったということで、これはプルーンズ自体が告白している。元々はひとつのものだったが、U2の陰の部分を自ら負っているのだと。私にとってはそれが何よりも羨ましくそういう「精神性」の方に多くの部分、惹かれていたように思う。そこには今日的にはあるボードに集まり、互いに深くコミュニケート出来たときのネットワーカーの姿をも見ることができる。リプトン村では本名でなくお互いに決め合った架空の名前で呼び合うこととされていた。「ボノ」や「ジ・エッジ」という少々奇異なネームの由来はそこにある。ネット上で名乗るところのハンドル名のようなものだ。彼らはそこできっと、日常を捨てて本来の姿で興じていたことだろうと想像する。そう。すべては想像の産物だ。彼らはそうではなかったかという「幻想」の。彼らの音の煌めきはもちろん鋭く突き刺さるものなのだが、それ以外の部分においてある種の理想を実現していたという点が、まるで小説や空想上の登場人物としての存在であるかのように思わせた。生身の人間でありながら、ふと誰の心の中にも飛び込んできそうな近しい存在。そして、それはそのまま、彼らを育んだアイルランドという土地と分かち難く結びついているように私には思えるのだ。

 

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