最終更新 2024年3月3日  三ノ宮 花時計とトーテムポール


1970年1月 戌年


銀行に変化  




花時計写真をクリックすると大きくなります。
駅に近いので必ず立ち寄る花時計とトーテムポール。
  

1961年10月19日、シアトル市派遣チーフ、ジョー・フレア氏が
山手小学校にやって来て、カヌー漕ぎの実演を見せてくれた。
(6年間の歩み参照)

5日後、
NHK“それは私です”司会 高橋圭三、に出演し、
同じ、カヌー漕ぎの実演だった。
この時、シアトルの大酋長が持ってきたトーテムポール。


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2013年の写真は羽がなく
2015年の写真はトーテムポールがありません。


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2015年、54歳、まだ若いのに、神戸森林公園で、土にかえるそうです。



兵庫駅~新開地~神戸駅~元町~三ノ宮
気象台に住んで居た頃の記憶の行動範囲で
食べ物、飲み物の記憶と考察で再編する。

神戸のえべっさんは兵庫駅の南側で、柳原蛭子神社。
十日えびすの帰りに北側の商店街の甘納豆屋で買う。
後日、老舗 岡女堂であることを知るが、
紙袋で量り売り、大好き、あずき、うぐいすを選ぶ。


柳原蛭子神社 兵庫駅ホームから撮影

新開地は小学校の仲良し同級生の家が旅館で、ホールに卓球台があり、
6年間、よく遊びに行ったが神戸一番の歓楽街、
子供が遊ぶには昼間でもふさわしくない場所だった。

友達の家側は映画館、モスラやラドンを見ている。
お笑いの松竹座、エンタツ・アチャコ時代で平和ラッパが面白かった。吉本はまだない。
神戸には珍しく 松坂牛のお高い食堂など記憶している。


   

入口の左は“ええとこ、ええとこ聚楽館”(大きな映画館とスケート場)があった
スケート場には小学生時代、1回、入っている。
中央は、お嬢さんたちがフィギュアスケートの練習、不良ポイお兄ちゃんがリンク滑走。
残りは 真鍮みがき(意味わかる?)

中ほどに春陽軒があり、安く、外食で最も多く利用し、
特に火鍋(ホーコー)は汁物として必ず、ひとつ取っていた。

(東京で唐辛子の入る赤い火鍋が2000年以降に、流行したが、味があるの?)

その先が湊川公園、日比谷とは違う楠公さんと続く。
    
                
1965年8月 日比谷公園 楠木正成 馬がアラブ種か

神戸電鉄の駅があり、商店街が荒田まで続いて、担任の先生の家があった。
隣がうどん屋さんで、遊びに行くと必ず 玉子とじうどん を取ってくれる。
我が家で唯一、うどん派に育ってしまったがルーツは荒田市場にある。

お店は変わっていたが、平日なのにすごい人出で、にぎわっていた。



神戸駅 湊川神社
 

    

 
神戸市立山手小学校の校章は菊水(流れ+巻きひとつ)

楠木正成の家紋からだが
湊川神社には、巻き2つや流れが観られる。
瓦煎餅は水が大きく流れている。

神戸駅近くに、上島珈琲(UCC)の本社がある。出張の無錫で発見 漢字が同じ。
 

親はコーヒー好きで、頭がガラスのパーコレーターを使っていたが
ポコンポコンと面白い。UCCでなくアーミーグリーンを多く飲んでいた。
ふたのガラスはよく割れ、三越の地下でガラス部品を買っていた。
1960年代はゴムパッキングのサイホン式、なんとなくゴム臭い。
1970年代からペーパードリップと耐熱ガラスの紅茶と共用のポット。

熊本出向の時、土日はバスで交通センターに出て、喫茶店へ。
UCCモーニングは茹で卵とトーストと、コーヒー。
コーヒーはブルマン以外から選択でき、サイホンで入れてくれる。
こういう場合、性格上、端から順番に頼んで、ガテマラ、マンデリン、
キリマン、モカ、コロンビア、ブラジル、・・・そしてブレンドにたどり着く。
免許を取得して、バスに乗ら無くなり、モーニングは2年で終了。
現在は 特売UCCを安価な電気式でペーパードリップ。


珈琲の後に順序は逆だが 
日本酒の話
我が家の定番(1965-1983頃、酒屋に配達してもらう品名)
瓶ビール キリンビール ラガー 1ケース
日本酒 菊正宗1級酒
ウヰスキー サントリー 角(後半はデカ瓶)

1996年5月と2007年1月 
湊川神社
  
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神社によく見かける、日本酒の菰樽、ここは結構多い。

就職前に、1級酒、一升瓶を持ち寄って、酒盛りをして
大体、灘の酒は飲み比べている。
写真は 灘の3白 ひとつ欠けている、白鶴 白鹿 白( )。
白雪ではありません。
この中で、大黒正宗はまだ出会っていない。
正宗には珍しく、甘口と聴いていたが、
東京でも辛党の剣菱を扱う居酒屋は多いが甘党の大黒正宗はみかけない。


宮城時代のお気に入り。
1999年頃、日本橋のちょっと良い居酒屋で、浦霞、お燗するんですか
仲居さんに何回も嫌味言われたが、カウンターの中から親方が
お燗して持ってこい と言ってくれた、仲居さんはまだ不満そうだった。
東京人は端麗辛口を “冷や”でやるのが粋らしい。
裏面ラベルに、冷して~上燗 と書いてはある。
モッキンポット神父は ”赤ワインは室温(RT)で飲む” と教えている。
ラベルの 冷や定義が15~20℃は、結構難しそうな設定温度ではないか。


日本酒の味基準は、燗酒で美味しい中庸の
菊正宗にしている。
浦霞、北雪、八海山が好み。真野鶴、梓錦はお燗で、いやな香りが苦手




熊本時代、業務上日本酒は工場地元の瑞鷹、これ以上まずい酒はない。
同じ川尻の焼酎 太鼓判 は 鼻をつまんで飲んでいたが
瑞鷹は息を殺して飲んでいた。
町内に東肥酒造の東京出張所がかなり前からあり、大宮八幡宮の参道、
居酒屋に肥後の酒の、看板が出ている店が2軒あった。
最近、出張所のショーウインドウに品評会の賞状がたくさんあり、
近年、美味しくなりましたと書いてあった。(やっぱりね)
熊本15銘柄で旨い酒はなかったが、香露が唯一飲める合格点。

冷酒は 香りも立たず、舌が麻痺するのか、亀満も蔵王も瑞鷹も飲めるけど。

美味しんぼの作者は福島だそうだが、やたらと 天狗の舞 や 菊姫 が出てくる。
山形工場の方々は出羽桜が一番と言われる。
熊本時代、上司から東京生まれの神戸育ち、根無し草と言われたが、
ふるさと指向も無く、こだわりもなく、安くて旨い酒なら何処でも良い。
 
佐渡工場の宴会で、北雪をリクエストした時、店の社長令嬢高校生に
ここは真野なので、真野鶴を飲んでくれと言われた。
酒を飲まない現地部長が、台所に、北雪もあったからと頼んでくれた。
2か月後の宴会で、女子高生、 金鶴 を飲んでくれ。
 佐渡情話 女子高校生、島のなかでも地元愛が・・深い。
金鶴、癖がなく、なかなか美味しいお酒だった。
この後、店の手伝いに出てこなくなったので、北雪に戻る。
北雪との出会いは1982年頃 YK35 初LOT仕込み2000本、
手書きLOT番号1800番台が2本、嫁実家、商売の関係で、我が家に回ってきた。
若い社長さんで、超音波装置を使ったり佐渡では革新的な印象だった。
金星北雪が燗酒で、そこそこ美味しい。大吟醸は特徴がなくなり、好みではない。
義理父は両津で、晩年、日本酒は当然、天領盃を冷で飲んでいた。


2級酒で超有名だった 越乃寒梅
社長さんがテレビで東京の人は、冷で飲むのが粋だそうだが
この酒は燗で飲むように造っている。(東京の吞兵衛をチク)
人肌で燗をするとサラサラ味になる。不思議な日本酒。

ついでに、もう一つ テレビ出演で
長岡の万とか千で有名なメーカー、多分、営業取締のコメント
地元ではあまり売らない、東京に持っていくと高く売れる。
義理の姉さんが送ってくれ、飲んではいたが、東京では絶対に買わない。

確かに、浦霞(純米酒)も 白石のスーパーより、15-20% 東京では高い。
でも、東京最安値、ビックカメラで時々、買う。
ビックカメラの酒コーナーで川尻の人しか知らない 太鼓判 があり、超びっくり。

神戸高専工業化学科で日本酒は燗をして飲むものと教わっている。
(湯煎)お燗をすることで、アルデヒドなど悪酔いの低揮発分を除去する。
現在は製造工程がクリーンルームとステンレスタンクなので
雑味もなく、冷酒でも、室温でも美味しいだろうが、
九州時代のコレクション、お銚子、お猪口など酒器の出番が無くなる。
江戸切子のお猪口もあるにはあるけれど。



2023年 日本酒は 菊正宗で開幕。
神戸市東灘区御影本町


9月末に購入、瓶にするか、紙パックにするか悩んだが、関西育ち、200円安い紙パックにした。
 
普段飲みはスーパーブランドの純米酒、西友2.0Lとイオン1.8L。
 ライフや京王ストアブランド2.0L(イオンと同じ酒造メーカー)も美味しい、菊正宗の半値。
料理酒より安い、価格差は精米率の違いでもなさそう。
浦霞65%、イオン70%、電鉄系スーパー70%、菊正73%、西友78%

昔から疑問の大吟醸 精米率35%の残り65%の米はどうなるのか。
米粉で回収、家畜の餌、肥料・・・・ あまり記述がない。

酒器の選択は インベントリーを兼ねて、毎日晩酌では、変えている。
第4弾。 
 
1合では物足りなく、出番は少ない。
 
酒には 魚 があう。





 宇治川商店街
 元町

 

 
冷蔵庫の無い時代、気象台官舎から、毎日の買い物は再度市場か
宇治川商店街で、宇治川は両側に奥深くまでお店があり、
神戸最大の市場だったと思う。
荷物持ちについて行くが、古本屋さんと親しく、
中学から、虎の巻をよくもらった。
学校前で売られていた10円ひよこが大きくなると
鶏肉店に持っていって、2羽、さばいて貰った。
もつ鍋、これが結構、美味。

鶏小屋が残ったので、宇治川から大倉山方面に、養鶏場があり、
母親と二人でめんどりひよこを買いに行った。
2羽、280円だったが卵を産む方が育て甲斐がある。
最後はやっぱり、鶏肉屋さんにお願いした。
この時は、“たまひも”があり、もつ鍋に彩りがでた。

西新宿、不動通りの鶏肉店で、たまひもがあり、買うときに
関西の人かと聞かれた。
東京の人、鳥のもつ鍋はほとんど、食べないそうで、
めったに、たまひもは売れないと言っていた。
たまごの部分に味はないが、腸の白い部分が美味。

突き当りの肉屋のラード揚げひき肉コロッケ、
いま風に言うと 神戸牛コロッケ
隣の天ぷら屋の菜種油揚げ野菜コロッケ、
まろやかで野菜が甘い、ヘルシーコロッケ。

お肉屋さんの名前は つるや だったような気がする。
ここの とんかつ を買っていた。

6歳の時に、永福町の知合いのお肉屋さんに遊びに行って
好物は とんかつ と言ったら、揚げてくれたのだが、
いつものとは違っていた。
脂身が1cmくらいある とんかつ と言ったら
ロースとんかつ を揚げてくれ、
結局、ヒレとロースを食べさせてもらったが
東京では ヒレかつが上等と考えているようだ。

脂身にうま味のある食材なのに
ヒレかつの何処にうま味を感じているのか不思議。

1971年頃、都内のとんかつ屋のご主人が
ヒレかつは病人の食い物という記事をみたが、
とんかつの食べすぎで胃腸が弱った時に、
パン粉の衣が、良くないので、お肉が好きなら
トンテキにと、内科の先生に言われたことがある。

24歳の熊本出向まで、夕食のとんかつは、永福町だった。
(熊本から戻った時、廃業していた。)

熊本には さぼてん があったし。
仙台には 和幸 があり
ほぼ、全国的に、とんかつ は駅前食堂にあるので、
出張時、名物のないところでは、とんかつ定食になる。

東京のサラリーマンはとんかつが大好き、
ごはんおかわり、キャベツおかわり、お味噌汁も。
万世の地下はとんかつ階でサラリーマン食堂の様だった。

近所の中華でお店限定メニュー、巨大とんかつにびっくり。
名古屋の味噌カツ、ロースの脂身と味噌の相性が良い。
向河原のレストランには、トルコライスがあった。
ジャカルタの日本料理店の名物はカツとじだった。
ただ、かつ丼より親子丼、かつカレーより牛すじカレーが好み。
東京で美味しいのは、寿司 と とんかつ 

最近は、家で揚げるが
スーパーでロースの脂身は主婦に嫌われ、極端に少ない。
脂身多めを探して選択するが1cmはなかなかない。
バラは脂身が多いが、とんかつにすると、何故か、あまり美味しくない。
神戸にブルドックはいない。とんかつソースはオリバー業務スーパーにある


 
御御御付 お澄まし   お味噌汁 お吸い物
何となく、神戸では 左で 東京は右のような気がしていた。

神戸時代、母親が時々作る レシピは 四白
白みそ仕立ての 小かぶ、はんぺん1cm角、豆腐1cm角
関西風だけど、実だくさんで、はんぺんが特徴。
どこかに、お手本がありそうだが、あまり見かけない。
とんかつには、合わないけど、
ちらし寿司と相性がよく、晴れの日に時々作る。
このレシピの為のみで白味噌を買うのだが、日持ちせず冷蔵庫内でダメにする。

よく出た、手抜きのお澄ましは、お椀に
とろろ昆布+味の素+お醤油数滴
お湯をかけると出来上がり。理には適っている。


海原雄山は ミンクの尾の身を至高で出したが
小中学校時代、鯨とは馴染み深い。
鯨屋さんは、大きな 赤身の塊を置いて、量り売りしていた。
東京育ちの母親は、蹴とばし料理を鯨で代用しており、
中学時代の弁当に、くちゃくちゃと長持ちするので良く入っていた。
商売をしている、友達ん家へ遊びに行くと、みな忙しいので
おやつに、コロッケや串カツを食べに行く。
屋台の串揚げで安くて大きいのは、鯨かつだった。
ソース2度漬け禁止ルールはその頃、学習している。

神戸港から捕鯨船団がでていて、海洋気象台からも乗船しており
おすそ分けで、尾の身のブロックを貰っている。
シロナガスクジラ、レンガ2個分大、冷凍尾の身、霜降り。
マグロのトロではなく、馬トロ、牛トロに近い。
その頃、大洋ホエールズが優勝して、グッズをたくさん貰ったが
ジャイアンツファンで、尾の身ほど、ありがたみは感じなかった。

1971年、渋谷 有名店 尾の身 高いが美味しくない。
千倉 鯨のたれ、鮎川 くじら定食、名物だが珍しいだけ
この30年 鯨は食べていないし、恋しくもない。


荒田の市場に比べ、宇治川は随分さびれてしまった。

通り道のモダン寺、と寺
モダン寺は浄土真宗のお寺だそうだがバザールで入ったことがある。
右は下山手小学校の近くだったと思う。
 


元町通りを歩く。
 
浜通り(市電車道)と居留地はあまり馴染みが無かった。
元町の入口は昔、東京人大好き三越


うどん屋さん ちから餅 元町本店、兵庫駅にもある。
煮餅が入る、うどん とても苦手だった。
小さい頃から、のどに詰まりそうな気がする。
雑煮も 焼き餅派、又は餅抜き。

うどん と そば
うどん
は 稲庭、氷見、因幡、讃岐、博多が美味しい。
西に進ほど、塩味が高くなる。
大阪 きつねうどんは微妙、やや水っぽい。
1970年卒業旅行で、四国へ。
高松、JTBお薦めうどん屋、市場のなか、2軒はしご、
甘めの出汁と、こしのあるうどん、大満足!!。

山手小には雲梯(ウンテイ)があったが“めし”大衆食堂には
うん定があった。
梅  素うどん+ごはん
竹  きつねうどん+いなり2個
松   天麩羅うどん+かやくごはん

経済成長と共に、梅はなくなり、かき揚げ+いなり(食べたいだけ)が多くなった。
なべやき には海老天が1本入る。

うどん文化もある、館林、秩父、八王子など関東地方は
醤油の中に、こしのないうどんで、とてもからい。
東海道、大垣の駅前まで醤油漬け、名古屋のきしめんはおかかで薄まる。
駅弁のきしめんは、カップにおかかときしめん、ホームで出汁をやかんから。
名古屋できしめん、神戸、東京ではひもかわうどんと呼ばれていた。

大須のお店 おかかがかかっている。(天ぷら付き高級 う
ん定

名古屋、味噌煮込みうどん、新幹線側のお店。
30代で食べたとき、紙のエプロンを付けやたらと熱く旨いと思わなかった、
同じもの、50代で食べたとき、なかなか味があると感じた。
味が変わったか、味覚が変わったか不明、両方、考えられる。
麺類の出汁に化学調味料を使わなくなっている。
東京の讃岐うどんは色薄だが塩味が強い。
それでも、近所の東京生まれの方、水っぽいと言われた。

関西で
そばは 京都のにしんそば くらい。

1970年、東京復帰、年越しそば、麵汁賞味期限改ざん事件の有名店。
高くて、メチャ まずい、ここでも、東京人の味覚を疑う。
うどん派で、東京風に粋な食べ方が出来ないが、旨い不味いはよくわかる。

千葉 外川の船宿は そば打ちの船頭が帰りにふるまってくれる。
油絵も上手い。そこで聞いた話(2006年頃)
ざる一枚、そば粉、カップ一杯
信州 @800
北海道 @600
カナダ @500
中国  @300
(最近、ロシアらしい)
ざるや盛りはめったに食べないが、価格で、何処産か判る。

そば好きの多い東京からの出張すると、昼食に地元そば屋に行く。
鴨汁、天ぷら、山菜・キノコは美味しい。
藪も砂場も箱根、高尾山も、善光寺も山形、新潟も違いはあるが差はない。
長野駅は4か所の立ち食いで食べ比べたが、以外に味が違う。
新幹線ホームはイマイチ、コーンコースの店がトッピングが多く、一番旨い。

そばが美味しいと思った所は、二か所。
山古志村 そば家
(店名、旧農協)
 戸隠  そば道場
(神社前よりこちら)

飯豊山に比較的空いていた、保養所があったので
一時期、そば道場の麺を年越しそばに使っていた。

食堂のおばちゃん曰く、麺類のコストカット、最初に手を付けるのは、出汁だそうだ。
鰹節、昆布のレベルを下げる。醬油辛い関東では判りにくいだろうね。


神戸のうどん、全国的にみると、それほど美味しいものでもない。
荒田でご馳走になっていた“たまごとじうどん”その後、食べていない。
貧乏な時代で、少しでも栄養のあるものと、先生が選んでくれていた。
親子どんぶりの鳥肉を抜いた物で、野菜やキノコは入っていた。
ほかの店で、このメニューにはお目にかかっていない。
神戸で麺類なら福建風の炒麺(五目固焼き)、ビーフンが美味しい。

神戸のラーメン 美味しい記憶がない。

サンチカに龍髭麺(福建の特産・極細)のお店があったが、スープがイマイチ。
○○軒は概ね日本人のお店で煮干し醤油ラーメン。
明大前に一時、神戸ラーメン(店名)があったが、特徴はない。
醤油豚骨の横浜家系に変わった。

東京ラーメン(中華そば)
1960-1970年頃の近所のラーメンをカウンターで見ていると
煮干し醤油だれ 大さじ一杯
化学調味料 お玉で 多め
湯を注いで、茹でたて麺を入れて
煮豚 2枚 メンマ 刻みネギで完成。 のり、ナルトは入らない。

隣町、のれん分けで有名な繁盛店 にぼし御殿が建ったと言われている。
町内 創業65年 昔ながらの煮干し醤油ラーメンと看板にある。
駅前店は戦前からあり、母親の友達がくると締めにラーメン。
好みがあわず、五目固焼き、又は天津飯を注文する。
よく間違われて天津麺を食わされることが5回以上あった。
もちろん作り直しなどしてくれないので、麺、汁のまずさを実感する。


ラーメンは 台北に 小どんぶりの美味しいお店があったが
店名を覚えていない。(当時、食べ物の写真は撮っていなかった)
透明なスープで臭みがなく、(牛骨・鳥ガラ)とても、味のあるものだった。

1987年、シンガポール初出張で現地の 麺(ミン)スープは
(ナンプラー)魚介系スープで、魚臭かった。

熊本ラーメン
1974年、出向先、豚骨(白濁)ラーメンにハマる。
男子高校生御用達 桂花
女子高校生御用達 こむらさき
吞兵衛御用達 赤のれん、小太鼓
しののめのストライキ  黒亭(焼きのりが特徴)
(女優がテレビで美味しいと言って、有名店になる)
夜のお勤め御用達  富士ラーメン(揚げニンニク山盛り)

 
熊本市内、どこの町にも、ラーメン屋がある。
友人が、町町ラーメン探索をやってくれ、町ラーメン相当食べた。
自動車学校の帰り、下近見のラーメン屋前で下ろしてもらっていた。
閉店前で、明日の仕込みをやっている。
タコ糸で縛ったバラ、寸胴鍋で煮豚作り。醤油は入っていなかった。
健軍の弟子が新宿末広亭の前に店を出したこともあった。

元祖、豚骨(白濁)ラーメンは、久留米にある。
味を守っているのか、豚骨臭さが残る。

博多の屋台、店差が大きく、当たり外れがある。
袋麺は うまかっちゃん   ほんなこつ、うまかー!

本屋さん 
海文堂

気象台から一番近い本屋さん
英語のコンサイス、聖書 ともに@550で購入
コンサイス巻末 中学時代は固定相場  1$=\360  1£=\1048
写真は 2013年10月。最近、閉鎖のニュースを見た。

聖書 購入
動機が不純、聖書研究に 可愛い子がいるので、付き合え。
当人は革表紙の高い聖書、付き合いなので、最も安い普及版。
五宮町バス停近くでオーストラリア人ご夫妻の教会で聖書研究は自宅。
尊敬する 川上丈太郎さんもキリスト教だし、まあいいか。
土曜日の午後で、15回くらい通ったが、ルカの福音書、読書会。
お開き、15時はティタイム、奥様手作りの焼き立てクッキーと紅茶が出てくる。
結末は良く知らないが、読書会出席は、約3か月で終了。


神戸お土産の定番は瓦煎餅、クリームパピロン
神戸在住中、東京へのお土産では一番人気だった。
1971年発売のグリコのコロンは確かに、しょぼいけど似ている。
東京には、中抜きの長いしょぼいお菓子が人気。

父親の大好物、きんつば(あんこの塊)
時々、東京でも実演販売があり、買ってくる。

ゴーフルは有馬温泉の炭酸煎餅をクリームで挟んだ感触だが
本家上野説、分家神戸説があるそうだ。
風月堂は本家、分家、関係なし など数多くある。


大きな空き缶を写真整理に、40年以上使っているが、
東京風月堂  関係なし に分類される。
社名の言われは、
トンポーロウの蘇東坡から、らしい。


ユーハイムはバームクーヘンで有名だが
元町、ヒロタがバームクーヘンの自動機を店頭に出していた様な記憶?。
ヒロタは、シュークリームが有名になったが。

モロゾフのクッキーは東京でも焼いていたが日本風な味になってしまった。
ゴンチャロフの洋酒チョコは、類似品がたくさんあるのでありがたみがない。

東京で、入手しにくいのは、クリームパピロンだけかもしれない。




商店街の中ほど  走水神社(はしうどじんじゃ) 狛犬の代わりに 狛牛がいる。

50代、よくアジ釣りに行った神奈川の走水神社(ハシリミズ)と関係ない。

釣り船から、富士山と走水の町
大きな屋根あたりが、走水神社。
お賽銭、随分あげたけと、この時は大漁とはならず。

10歳で始めた 
釣り道楽 須磨の海岸で テンコチ大漁、キス少々。
小中高は一人で釣ることが多かった。
野池でフナ、海岸で投げ釣り、明石、姫路方面に出かける。
サラリーマン時代は 土曜・月一で外れが多い。
熊本時代は釣り友が多く、天草、崎津で釣り三昧。
上司の友人に船持ちが数人いて、船釣りもよくやったが
ソナーは付いていたがGPSが無い時代で
船宿の船頭が行くところと手前船頭では釣果がまるで違う。

もう一つ、荒天でも、船酔いしないことが判明した。

天草、鳩の釜漁港、一艘客3人、悪天候、同僚20人元気に出船。
さながら、ジェットコースターの様な海上、元気に帰ってきた人3人。
船頭が人数分、鯛は釣ってくれる。大きなガラカブ、大きなトラフグが外道。
餌は、さいまき(車エビ小)、大きいのは、餌にしないでむしって食べる、美味。
トラフグは漁協で毎回さばいてくれて、絶品、サイコロ刺しで食べさせてくれた。

鳩の釜のタイ釣りの帰り、現在の出刃包丁と刺身包丁を川尻で買う。
(刺身包丁は10年後、柄を取り換える時に根本が錆びていて折れた)

宮城時代、釣り友なく、相馬の岸壁や牡鹿半島、ほとんど釣れない。

定年になると、潮と波を予想していくので、成績は跳ね上がる。
10歳年上のご近所、釣り友、良い船宿に詳しい。
アジは1束、大きいのでは45cmも釣れている。
11-12月の良い季節は概ね、クーラー満タンで帰還する。






写真はアカイサキ、イサキ、チビキ、オキメバル、カサゴ、アジ、カワハギ、サバ、タイ、メジナ 
イサキの下にメバルがいる。刺身は色々あるほうが楽しい。
下を探っていると船長から棚をあわせろとよく注意される。(おもりをソナーで見ている)
    

熊本川尻の出刃包丁と錆びないヘンケルの刺身包丁が活躍する。
切れ味は 魚の味と作業の安全に大きくかかわる。
出刃は昔からある砥石で研ぎ、刺身包丁は電動で研ぐ。
切れ味は、テッシュを丸めて、先中元と確認してから作業に掛かる。
(技術者として、研磨は得意科目のひとつ)
母親も祖母も 包丁1本  (さらしに巻いて)
刃渡り250mm 牛刀   その1本残っている。
刺身包丁にはなるが、出刃の代わりにはならない。
魚屋さんが下ろしてくれた時代で、出刃は不要の主婦。
大きな スイカを切るのに 一番向いている包丁。


初日は刺身、中骨用の毛抜きは結構重要。
2日目、塩焼き、酢漬け、南蛮漬け、煮つけ
3日目から、すり身、干物で食べ尽くす。
チビキは仙台笹蒲鉾で有名、現物がイサキ釣りで釣れるとは思わなかった。
ふぐ刺しの代用品、カワハギ、ウマズラも刺身で美味しい。
刺身用の醤油だけは、関東の醤油がよい。
薄口や九州の甘い醤油は向かない。


神戸らしいお店 1
神戸の町中華は酢豚に、パイナップルやキュウリ、ケチャップは使わない。
中華料理の認識なく麻婆豆腐、青椒肉絲はお店で食べたことが無かった。
餃子は茹で餃子で、外では食べない、たれを付けて食べる家庭料理。
焼き餃子は1969年 赤犬事件の 珉珉(生田筋)が美味しかった。
三ノ宮、揚子江(炒麺が美味しかった)など店名は地名が多い。
鶏ガラ、昆布出汁と薄口醤油で、あんかけも透明薄味、料理の色も薄い。

 
洋食と中華

マリンタワーのコピーと言われたポートタワー。

神戸らしいお店 2 
 
船員専用と輸出入の雑貨、ここは高級品
ガラクタのようなアブレ品、100円万年筆などのお店も結構あった。


 
いつできたか知らない、中華街
 
何軒か入ったが神戸の味、福建の味らしくない。
観光客向けの醬油味、横浜に近い

福建、広東など南地方の中国料理は薄味で、醤油味は中華関東料理と思う。


 
写真をクリックすると大きくなります。
大好物 神戸の豚まん 
老祥記
小ぶり、一皿3個  台湾や香港の味でやや醤油味。

一貫楼
昔はラードでべたべたになり、下品なほどおいしかった。
最後に行った時、淡路産玉ねぎ使用で品よくなっていた。
店の大衆中華料理は古き神戸の味がする

太平閣
パチンコ屋の裏にあって、大衆食堂風だった。
皮と肉餡が品よく美味しい、パチンコの後よく食べていた。
私の
豚まん味基準となっている。
これ以上の豚まんには、未だに出会っていない。

神戸出張には、ゴミ袋1枚を持参する。一貫楼、太平閣 10個づつ
袋に入れて、鞄にしまう。機内、車内での臭い防止。
大好物でも、お取り寄せまではしない。

余談だが、パチンコ屋2階に、ミラーボールの
GoGo喫茶があり、コークハイ1杯付き@400
(当時、Discoと言わない)
また、新宿ピットインはオンザロック1杯付き@400
映画封切、末広亭も@400時代。

新開地の春陽軒の豚まんもよく食べたが、あっさり東南アジア風と思っていた。
小籠包で有名な鼎泰豐も豚まんはあっさり普通味(チャーハンも普通)。
 

大阪   
蓬莱 分家55 本家難波  ともになかなか美味しい。
東京の
肉まん(豚まんではない)は高く、味気ない。龍園は、まあまあ
東京、山の手の方々、ロースよりヒレ好み、脂身をとても嫌う。

横浜中華街 高くて、でかい蒸しパン。中村屋・井村屋なみ。

太平閣 一度 横浜そごうに出店、いつの間にか無い。
九州ラーメンと一緒で醤油が入らないと
関東では受け入れられない。

出張でシンガポール、クアラルンプール、台北、蘇州、上海、北京に行ったとき
饅頭、粽は街角で買えるが、餡と皮が物足りなく普通味。

 
ホテルの朝食前散歩で見つけた、残念ながら味見せず。牛肉拉面の表記注目。

豚まんの老舗、評判の店には出会わなかった。
饅頭は、大好きな三国志 諸葛亮が出てくるのがまた嬉しい。
孔明の饅頭は 元祖 豚まん だと思う。

(豚まん と とんかつは大好きで、どうしても力が入る


神戸牛
1949年生まれは丑年
担任から、
但馬のこって牛とよく言われていた。
引っぱたいても、動かない。
これが、神戸牛、近年たいそう、出世した。

神戸の牧場と言えば、六甲牧場で小学生の頃、
生牛乳が美味しかった。
給食の脱脂粉乳で牛乳嫌いが多い世代だが
生牛乳で好きに偏向した。
しかし、乳牛だけで、黒毛和牛は見かけなかった。
養鶏場と豚舎は大倉山や垂水区でよく見かけたが、
神戸市内で肉牛を飼っている所は見たことがない。

 

    神戸ステーキの元祖は神戸駅近く 大井と言われている。

子供の頃、2階が座敷の元町駅近く 
ナカハマ 安くて美味しい。
誕生日とかの晴れの日 子供用にはやわらかいお肉にしてくれていた。
就職前1970年 ステーキ ランチ@980 普通@1200

このホームページ内、神戸メイン
出来立ての 神戸商工貿易センタービル内のレストラン
高いので食べていないが
ステーキディナーの価格に注目(1970年2月)



八百丑
6歳の頃、牛肉の味噌漬けを親戚に送るため、
加納町近く、(北野筋) 八百丑、普通のお肉屋さんにいったが
星電社近くにステーキハウスができて
80年代、何度か食べている。
やはり、東京の1/2価格で美味しい
近くに
エスカルゴのお店があったあたり
(食レポしにくい食材、不味くも美味しくもない)
神戸牛・・八百丑 良い響きだった。

(震災後、大井 以外のステーキハウス、四海楼、エスカルゴの店、ネットで見つからない)

1970年、東京に戻り、初任給 3万4千円

ビフテキは超高価なしろもの 寄席に似た超有名店
150g セットメニュー  @6500
(メニューの中で最安値、グラムを上げるとドンドン高くなる)
さらに、もっと高い鉄板ステーキハウス @9800
目の前で焼いてくれるが大好きな脂身を捨ててしまう。
今思うと、ぼったくり
松坂牛とは書いてなかったし、霜降りでもなかったが、メチャ高い。

永福町の知合いの肉屋さん
遊びに行って、とんかつを揚げてもらっていた。
当時、神戸は特に牛肉が安かったとのこと。
東京で、すきやき、ステーキ食えない。
かわいそうにと言われた。

計算すると、新幹線で行って、ナカハマで200gを食べ
新幹線で帰っても安かったように思う。
安月給時代、そんなことはしない。


1970年、当時の学生の外食価格は
三ノ宮 カレーライス @100
八重洲 カレーライス @120
新幹線 カレーライス @360

中村屋 チキンカレー @400(ナイフとフォークだったか)

上野国立博物館(精養軒)食堂 ポークカレー
脂身コロコロ @150?

大倉山図書館食堂 きつねうどん @30(最安値)
神戸高専食堂 きつねうどん @35 ポークカレー@70

カレーハウスと同じような、濃厚ビーフカレーは
羽田第2ターミナルで2010年、@780 (40年で6倍)

1974年 熊本
交通センター地下に肥後の赤牛、専門店。
ステーキ肉200g@400ぐらい。(安い)
フライパンで焼く練習をした。お手本は下記お店。
下通り、フランス亭 200g @1200(神戸と同じくらい)
この時期、釣り大会の景品でホウロウ鍋が当たり、
赤牛のビーフシチューにもはまっていた。

1986年 San Jose
巨大な、T-ボーンステーキ
500g以上あったが、簡単に完食出来た。


神戸の1950-60年代は東京より文化的で
美味しいものいっぱい。
土曜の夜は食事をして 映画を見る。(母親の都合)
洋食屋 あかちゃん、あかのれん オムライスを食べる。

写真は新開地で見つけたお店、よく入ったのは元町だった。
オムライスは宝塚遊園地内のレストラン前で
オムライスの実演、プライパンをコンコンして
薄焼き卵でチキンライスをコーティングしていく。
コックさんて、すごい。

鮨・寿司
元町ガード下に カウンターの権兵衛すし
小学生低学年のころ、誕生日など晴れの日。安くて、美味しい。
1969年、就職試験の帰りに堂島地下街で、権兵衛すし発見。
とても綺麗なお店になっていた。

江戸っ子の爺ちゃんと外出すると、とんかつ か 寿司
母親の女学校友達が来ると、100% 近所の寿司屋から出前をとる。
1960年頃まで、メインは マグロの赤身か漬け。
油っ濃いのが好きで、トロ寿司を追加してもらっていた。
トロ寿司は、カンピョウ巻きより安かった。
大トロは ねぎま ぐらいで、醤油辛く関西育ちの口にはあわない。
いつ頃から、中とろやカマトロが、流行りだしたのか、よくわからない。
大体、脂身を嫌う、東京人が、トロや霜降りの牛を食するのは解せない。
とんかつで、ヒレよりロースが安いのは喜ばしいのだが
赤身とトロが逆転したのは、人生で悲しい出来事のひとつ。

デパ地下でやっている、本マグロの解体ショーで 
カマが売れ残っていることが結構ある。
うまくさばくと、カマトロ 10貫ほどでき、もとは取れる。
好物を安く食べるのに、手間は惜しまない。
カウンターで、初手は コハダ ギョク  昔の話。
ただ、手間をおしむと
回転すしのコハダ、コノシロの一夜干みたいなのが回っていた。
ギョクは結構、難しいらしい、通った店で、何度か試作品をごちそうになったが
飲んべーは甘いのが嫌いだが、甘くないと美味しくない。味が決まらないと言っていた。

娯楽のメインは映画
官舎から一番近い映画館は阪神元町駅のニュース映画館
オズの魔法使い(ジュディ・ガーランド)を見ている。
あしながおじさん
(フレッド・アステア、レスリーキャロン)も、この時期、
しかし、この映画は小説と異なり、あまり子供向きでは無かった。

小学
1-4年生の期間、ヤンチャ日活はダメでチャンバラ東映はOK。
神戸出身、元都知事の弟の映画は銀こいなど、全く見ていなかった。
実話
1959年頃、母親が三ノ宮に出来たダイエーに頻繁に買い出しに出ていた頃、
お年寄りにちょっとダイエーまでと言ったことから、官舎で噂がたった。
官舎の子供から・・・お前のカーちゃん、朝から映画三昧だってなー

三ノ宮の映画館 京劇は 1961年頃、ダイエーに買われ、
そのまま転用で売り場が傾斜していた。



元町の出口は 大丸
神戸で初めてエスカレーター、すぐ乗りに行く。
制服など学校関係全て大丸、
学校での販売はLまでで、61cmの帽子、お店に取りに行く。
小学3年の時、釣り具一式購入。
(リール、竹六角リール竿、2間半のフナ用竿、道糸、針、おもり等々)
初戦は須磨の海岸でキス少々、テンコチ大漁、別名 猫マタギ
メゴチに似ているがまずい。
就職時の、イージーオーダー背広、靴も新調した。


生田神社 三ノ宮神社  通り、 のほかにROADがある
東西・南北の通り・筋は大阪と神戸で 京都、東京は通りだけ
WallStreet、FifthAveue、Abbey Road は事例
    
三ノ宮センター街


神戸時代、家電は全て、星電社
1970年代 代田橋京王ストア内に出店があった。

初歩のラジオを参考に、ステレオアンプを自作した。
真空管6AB5、アルミシャーシ加工用工具まで、全て調達。
プリメインアンプを作り、
元町ガード下のジャンク屋でテレビのスピーカー2個
カートリッジをステレオにして、プレーヤー改造、
取り敢えず左右音が出る。
ブーンというハム音を取るのに、苦労し、
安定したステレオ完成に3年はかかっている。


中華 
四海楼 神戸市役所手前、何かと宴会はここ。
謝恩会、歓迎会、新年会、送別会、同窓会

松 つばめの巣
竹 クマの手
梅 鯉の唐揚げ


座敷円卓で、松、竹は1回のみ
つばめの巣はクアラルンプールの免税店が安いと進められ
何回か買ってきたがあまり好評ではなかった。
デザートは杏仁豆腐の方が馴染める。

熊の手は右手が美味しいとか ドラマで出てくるが
記憶ではハムの様な、切り身の形で出てきた。
左手か!
生涯1度だが味の記憶がない。

ひと組、6-8人の円卓最後はいつも巨大な鯉のから揚げだった。

核家族になって、コース料理は食べなくなり
骨まで食べる、鯉の唐揚げにも縁遠くなった。
北京ダックは知らずにコース料理に出ていた。
ここも、横浜も、削ぎ身の味噌巻きで、ダックが想像出来なかった。

北京で食べた 北京ダック は
一羽、テーブル横で削いでくれる。
お口の中で 皮のアブラがシュワーと来る。
 


中華料理の選択  
手間暇かかる、外食でしか食べられないものを選ぶ。
人数で肉、魚、鳥、野菜から人数分、選ぶようにする。
よって、5人以上でないと食べたい物が食べられない。

1.猪(豚)
東坡肉(トンポーロウ)
 
皮つき肉が蒸籠で出てくる。大好物だが、なかなかメニューにはない。
書聖 蘇東坡が名前の由来だが、最近、中国ドラマの仁宗を見たが、
同じ時代、次の皇帝の時に、黄州に左遷されている。
東坡肉つながりで読んだ
下記の本には、トンポーローの話は出てこないが人物像は見えてくる。


バラの角煮・焼豚も大好き、時々、圧力鍋で造る。
最も多い選択は 
酢豚 でも品のいいヒレの酢豚は旨くない。

2.魚
白身魚の甘酢あんかけ
(松鼠魚、糖醋魚塊)
酢でかぶるが、大体、メニューにあるので魚ではこれを選択する。

小柴のアジ釣りで 
イシモチが船頭間違いでたくさん釣れたことがある。
この、水っぽい魚、考えてこの料理にした。
三枚におろし、少し冷蔵庫で水抜きして、一口サイズで調理。
ほぼ、お店の味(自己満足)となった。

蝦・海老はあまり選択しない
エビチリ、エビマヨはお家で、簡単にできる。

海老春巻きは好き。(のり巻型)
折り畳み包んで春巻き?

3.菜
炒青菜

家庭の火力では、水がでて難しい料理。
かつては季節で野菜が変わって出てきた。
ほうれん草より茎のある、小松菜、青梗菜、空芯菜が美味しい。


芙蓉蟹、麻婆豆腐、青椒肉絲、八宝菜もお家で
天津飯と、中華定食ではお薦め。


4.スープ
蛋花湯(卵スープ)

夏の季節は冬瓜湯
北海道土産で干し貝柱を貰うと、白菜中華スープをつくる。
以外に美味しくできる。
フカヒレは高いだけ、春雨やくずきりと大差ない。

雲吞
Bathgeteの中華、釜めしの容器くらいの器で
袋茸入りワンタンスープ、絶品の評価。
子供時代、母親は汁物として、雲吞、火鍋を外食でよく注文していた。

5.前菜
冷三盆(クラゲ、皮蛋、蒸し鶏)
腸詰  渋谷 麗郷がおいしかった。

上海の2が所のホテルの朝食ビュッフェで
ピータンの横に鶏の卵の様だが
黄身の味がカニみその様な味だった。
日本で食べたことが無く、名前も未だに判らない。

紹興酒は瓶ごとぬる燗で、ザラメなど入れない。

飲茶・点心

日本では高すぎるのでまず外食では食べない。
焼売、餃子、ゴマ団子
香港やシンガポールは大変、安くて美味しかった。

新宿 中村屋 月餅 大好き
中国工場食堂売店で、おやつで売っていたので、
@30食べていたら、中村屋と同じような味だった。
空港で売っている月餅は大きくて高いが味も良い。



20代、ジャスミン茶が流行歌とともに、
流行ったが香りが好きではなかった。
30代は鉄観音にハマっていた。
50代、中国出張で陶器は高く、お茶くらいしか、
お土産が見当たらず、空港では、お茶のセット売りを
例えば、阿里山、凍頂、高山3点烏龍茶を良く買ってきた、
王府井の突き当りに大きなお茶店があり龍井茶や
出張先周辺のお茶を買ったりした。
空港で売っているお茶は特級品で
北京のスーパーで1級品を買ってみたがすごい差があった。
定年後の香港旅行はキャリーバッグ付きの
鉄観音を大量に買ってきた。


フランスパンは DON Q

1951年、日本の元祖フランスパン 

母親の食べ方は
三ノ宮阪急デパ地下で神戸風、焼き豚を買う。
卵焼きを作り、
フランスパンに辛子バターをぬって
焼き豚と卵焼きとサラダ菜をサンドする。
(チーズは石鹸みたいと嫌われていた)
かぶりつくと、硬いところが歯茎に刺さる。

現在、我が家では
卵焼き、チーズ、ハムか焼き豚、レタスを
バターとマヨネーズで挟む

フランスパン3日目は牛乳、卵、砂糖に漬け、
4日目にフレンチトーストになる。


バゲット、バタール、パリジャン
パン屋の比較は、バタールサイズで味比べ。
ネットに、都内のバゲット ベストテンや
首都圏 ベスト40など載っている。(どんどん変わる)
(ハード系)フランスパンのウンチク愛好者が多いのでびっくり。

人気店で若者が行列しているが、買うものが違った。
カンパーニュ系パンのサンドイッチの行列。
(セミハードチーズと生ハムで結構高い)
バゲットやバタールを買うのは、年代で判るようで
列から外れて、すぐに売ってくれる。
DONQが近くになく、ポンパで代用している
購買年齢が高くなり、バタールはややソフト化して、歯茎に刺さらない。

東京に神戸屋というパン屋が渋谷、新宿にあるが
神戸で見た記憶がない。
山崎へ業務譲渡のニュースが入ってきた。
業界4位、大阪本店、開業前、神戸の会社にいたとか。


長い間、東京の
メロンパンにどうして、白あんが入ってないのか、
不思議に思っていたが、やっと、因果関係がわかった。
神戸っ子 でネット検索していたら、
神戸生協のメロンパンが白あん入りだそうだ。
気象台の近くに生協はなかったがメロンパンは白あんだった。
生協以外にも、白あん入りのパン屋さんがはあった気がする。
ビスケット部分は美味しけど、パンの部分は物足りない。
なぜ、他の地域のパン屋さんはマネしないのか不思議。
高専の近くに生協あったが、たい焼きか太鼓饅頭を買っていた。
東京の今川焼きは、色々名前がある。太閤、太鼓、御座候、蜂楽・・

洋菓子
チョコやクッキーはモロゾフ、ゴンチャロフのレベルが高く、
ケーキはユーハイムやことぶきが大きくて美味。

当時、クッキーは香料が強く、ケーキもリキュールが多く
ことぶき以外は外人向けの味だったかもしれない。
母の日の定番がイチゴのショートケーキ。

ことぶきは和菓子もあって、箱詰めは
ケーキ4個と和菓子10個が同じ価格だった。
この頃、“きみしぐれ”に、ハマっていた。
色合いや割れ形に、店の特徴が出る和菓子。


ユーハイムは大きさも日本サイズになってしまった。
北野のアンテノールは78年創業だそうで、神戸を離れた後。

1983年 ロンドン郊外のレストラン
仔羊のリブステーキの後、ケーキワゴンが来た。
自分以外は誰も取らない。
単純なショートケーキ、昔のユーハイムより大きい。
クローバー10個分くらい。
さらに、生クリームを山盛りのせてくれた。
これがヨーロッパサイズだと実感した。
数年前、浅草観光のドイツ人が
日本のケーキはミニチュアと言ったが当たっている。
Zゲージサイズだ!

センター街を抜けると、そごう神戸となる。
このデパ地下で小学生の頃、ピロシキが売り出された。
豚まんの5倍くらいの価格だった。

港町の風景
1970年、入社三か月目、横浜、山下公園近くのドイツレストランへ
給料日、同期と食べに行ったが、多分本場ドイツより美味しかったと思う。
女性歌手がリクエストのグノーとシューベルトの
アベマリアを2曲、歌ってくれたのが記憶で
店名と、どんな料理だったか記憶にない。


1990年代のシンガポールは 各国のレストランが
本場より美味しかったりしたが、船員相手の港町風景かも知れない。
中華街にみんなで、ドリアンを食べにいった。好き嫌いがはっきりわかれる。
持ち込み持ち帰りが出来ないので、目いっぱい食べる。
朝食はホテルで中華バイキング、夕食はインドネシア料理、タイ料理、インド料理と
食べ歩き、でも珍しい種類が多い、飲茶が楽しくて美味しかった。

海外出張が増えてきて、現地の価格や味が判ってくると
日本で、同じ物は、チーズもワインも酒もお茶も注文しなくなる。
日本人の現地スタッフは日本料理に行きたがるが1986年、
NYで流行の鮨は約$90だが断り、ハドソン川のロブスター$50にした。
マンハッタンのサラリーマン、爪は奥さんへのお土産だそうだ。
食べやすい様に割ってはあるが、オリーブオイルで焼いただけ。でも大満足。

おのぼりさんに見えたか、店員さんが灰皿を記念にくれた。
鮨はスモークサーモンの皮巻きが一押しと聞いて、家で試してみた、美味しい。
ホテル代 サンノゼ $50  ニューヨークのはずれ $120(安全のためだそう)

米国土産では苦労している。
トイザらスで物色したがmade in usaが全くなかった。
MY LITTLE PONYが現地のテレビでやっており、縫いぐるみを買ってきたが
日本では、全く流行らず、子供も無関心だった。
名称は Rainbow Pony Star Shine
1985年頃の一期生だそう。
洗濯したら随分と綺麗になった。



神戸ではない明石の食堂ビルで50日バイトした。最上階はビヤガーデン。
夜はここで樽からジョッキに、結構難しい、冷えすぎると泡が作れない。
ハンドル操作で、マーク以上を泡にする。(泡少ないと儲けが出ない)
ビールの飲み方は
神戸ではない アサヒビール西ノ宮工場 の見学でのど越しと教わる。

明石 魚棚商店街、冬季、釣れいない時に、カレイなど買って帰ったが、
江戸時代に有名な明石鯛やチヌの海なのにクロダイはあまり見かけなかった。
蛸と明石焼き、ウナギの白焼きがお薦め。



甘党に関する所感
英国2回/日のティータイム 外ではケーキワゴン、単純なスポンジケーキに生クリーム。
工場は大勢いるのでスコーン 色々付けて、素朴で美味しい、工場によって味が違う。
フランス   パンのイメージ大  エクレア カスタードクリーム くらい。
ドイツ    シュトレン  ドライフルーツの大きなパンみたい 甘くないものが多い。
    

オーストリア本場のチョコレートケーキ(ウイーンの有名店)
ミルクチョコレートの単体が好き、自由が丘チョコレートケーキ好きじゃない。
スポンジにチョコが入ると、ケーキの味が落ちる感覚。
イタリア  ティラミス  チーズの方が好き。
甘党天国  
トルコ  ケーキの本線はここかも。

イスタンブル、ホテルの夕食バイキング デザートが豊富。

子供の頃、豆政の豆板、岡女堂の甘納豆、米屋の羊羹が大好物。
ミルクチョコレートは明治より森永が甘くて好き。それ以外は舌触りが悪い。
(ヨーロッパのキオスクで売っている、ゴディバのミルクチョコレート、板厚で舌触り抜群。)

高齢者になってから、何処のスーパーにもある、
瓦煎餅、八つ橋、芝舟が、お茶請けには合うようになってきた。


最近、神戸ステーキで検索すると いきなりステーキやスエヒロ がでてきたが まさか・・・


神戸プリン
母親が作ると大概 ス が出来て失敗プリン。
 
東京でも話題になった後、2014年、神戸に行ったとき、食べた神戸プリン。
当時の 神戸っ子 が話題にした現物かどうかは判らないが
中身より高そうな、錨の型押し朱泥の焼き物。(神戸で焼いているの?)
プッチンプリンと比較する?
神戸のお宝   ぐい吞み  として 今年も現役。



起承転結


脱線だらけの記述だが、結びは工業化学的考察にする。
食べ物の嗜好
関東風と関西風
 イノシン酸ナトリウム、グルタミン酸ナトリウム
東京ラーメン:煮干し、醤油、化学調味料  イノ、グル、グル
京料理:昆布だし、とろろ昆布、昆布佃煮:グル、グル

そばつゆ 鰹節と醤油 イノ、グル
うどん汁 白だし、薄口醤油 グル、グル

江戸っ子の爺ちゃんは お新香に味の素ぱらぱら
お手塩に醤油とお椀のマーク、味の素
神戸育ち、卓上の味の素は、ほとんど使わない。
嗜好は遺伝せず、飼育環境が支配的。



 
この道の地下がサンチカタウンで中学3年生の時に出来た。


ラジオ関西のサテライトスタジオがあり、
ラジオの声と生顔の違和感が何とも言えない。

 
市電が走っていたころは狭い道だったし、港湾側は汚かった。
居留地の建物は同じだと思うが綺麗いになっている。


   
税関の建物は変わりないが、市役所の南側はよく整備されている。

60年代に入ると、新開地や三越周辺はややさびしくなり、
三ノ宮がにぎやかで、ダイエーのお店が急増し、
アルバイトも三ノ宮周辺が多くなった。
年末はダイエー時給@100
日曜日限定、市役所裏で時給@500ビル掃除、3年やった。
ポルシェで御影石の玄関ホールを磨く。
バイトのバイトで個人事務所の清掃が入ったり、
日曜は朝8時から午後2時ごろまで、よく働いていた。

  神戸時代、行動範囲が東側、市電で王子動物園あたりまでと、
三ノ宮 新聞会館より東へは、ほとんど、行っていない。


 市電の終点で行き先表示 板宿 読み方は 新宿、原宿、イタジュクではありません。
東京の人がよく間違えるので、ちょっと有名になった。

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