初回作成1997年4月20日   最終更新2024年3月17日
ようこそ 西野 誠一 のホームページへ

玄関番 の “たけ”

オーナー紹介
1949年 東京生まれ
神戸市立山手小学校、生田中学-歌敷山中学、神戸高専
神戸 18年  明石 3か月
肥後熊本出向2回 5年、 奥州白石・仙台長町出向 3年
長期出張 Scotland 160日、 防府 150日
残り概ね 東京 杉並 出生地

ホームページ開設から26年   風景写真 記憶の記録
写真の保管場所として始めた。

カメラの履歴
OlympusPenD2(1965-1969)
NikonF(1970-1986)、Rollei35(1976-)
Nikomat(1973-)、NikonFA(1987-2001)
SonyDSC-S70 3.3Mega Pixels (2000-2007)
NikonD40x 10Mega Pixels(2007-2016)
SonySOL22(スマホ) 13Mega Pixels(2013-2019)
NikonD3200 24Mega Pixels(2014-
SonyXZ3(スマホ) 19.2Mega Pixels(2019-2022)
SonySOG07(スマホ) 1200万画素(表示が変わる12Mega Pixels)(2022-

ホームページの記録写真

神戸...........................................................................最終更新 2024/3
東京・関東・甲信越・東海.......最終更新 2024/3   神田川
近畿・山陽・山北陸 .......... .最終更新 2024/3  北陸3県
沖縄・九州・四国..............................最終更新 2024/2  大分 石仏  四国   
北海道・東北...........最終更新 2024/2   尾瀬
海外(Scotland).旅行.........最終更新 2024/2     ITARIA
N Gauge Model Railways..........最終更新  2024/2  乗車券  

写真
カメラ機材と書籍のインベントリー
カメラとレンズ

カメラデビューの1965年 夏休み 東京、日光、金沢と出歩いている。
OlympusPenD2写真、ネガはたくさんあるが、暗い明るいまちまち、ほとんど要補正。

米原駅から新幹線      トリミングの眠り猫    金沢城

青春のOlympusPenD2は就職で東京に来るとき、明石の官舎に置いてきた。
その後、使う見込みも無いので、父親の引っ越しの際、廃棄されたらしい。
よって、機材の棚卸は NikonF Lot7049114 からとなる。
  
 
NikonF 取説の冒頭
一生一台のカメラ/地球上何処でも撮れる
耐久性と使用環境はその通りかも知れない。
極寒の忍野、蔵王山頂、マイナス20℃のスコットランドでも、シャッターは切れている。
Lot番号的に 品質が最も 安定していた時期の製造。

当時の撮影注意事項は 2点
ASA100、重いので、撮影は、手振れ防止、脇を締める。
取説にも、しつこく書かれていた。
集合写真、人物写真、足切り注意。(幽霊写真になる)

安月給なのに、オーディオ、スキーにも、使い道があり、
1年目は、比較的安価な135mm望遠レンズ購入で、只の撮影会、モーターショーや
全東京写真連盟撮影会(何故か、はがきが来る)などでポートレートの練習。
有名人では、関根恵子さん、マリアンヌさん、音無美紀子さんを撮っている。

1972年11月モーターショー 車は興味なく ほとんどモデル撮影会

入社3年目、春競馬の純利益が月給を2か月上回った。
月給より高い24mm広角レンズを買う。(現在も支障なく使える)
レンズ交換が大変なので、サブにニコマート+35mmを購入。
違いは チタン膜でなく、金属膜フォーカルプレーンシャッター


メモをとらないので、2台はネガになってしまうと区別が付かなくなる。
レンズが同じだと写り方に機種差はないとおもう。
カメラ2台収納できる、カメラバックも購入。
モデル撮影会は望遠と標準2台持っていくが重い。
旅行の時は、カッコイイ、NikonF 広角を付けて持っていく。


Nikonカメラガイド (Nikomat購入時、付いてきた)



24mm,35mm,50mm,135mm LENS MADE IN JAPAN


このカタログは紀信、義浩  週刊誌・中綴じ写真集のような内容。
レンズ毎のサンプル写真が豪華でなかなか・・。

風景写真はプリント代節約のため、スライド映写機購入。


1973年購入だが、新宿の西口と東口、行ったり来たりして、安い方で買った。
20年目に玉切れで、入手が取り寄せで大変だったが、30年くらい使っている。
50枚セットできる、カセットがあり、使い勝手は良い方だと思う。
1975年、飲み友達から、1か月ほど貸してくれと頼まれた。
選挙で、候補者の紹介に使うという。ポジ36枚で相当詳しいプレゼンができる。
そう言う使い方があることに感心した。スクリーンとセットで貸出。
パワーポイントとプロジェクターが普及するまで、活躍していたらしい。

1973年10月、北海道旅行 エクタクロームを使う。見た目より綺麗に見える。
一所一撮 
(こんな言葉はないが、高いフィルム節約、丁寧に撮影を実践)
ポジフィルムからのプリントはネガフィルムを起こしてから、
プリントするので、時間とコストが随分かかる。


1973年10月 神威岬

入社4年目、1974年2月、熊本へ出向。
東京は自宅だったが、アパート代、給料の1/3、出向手当なく、
3食社員食堂で食費を浮かせていた、競馬の臨時収入もなく、最も貧乏な時代。
出向は 長期旅行と思い、休日はバスと徒歩でせっせと熊本の写真を撮る。
NikonF友達が一人。 えびの高原へ nikkor club の撮影会に参加。
参加記念のNikonロゴ入りチューリップ帽子はフリーサイズなのでかなり長く愛用していた。 
講師がポーズ指導。 75年作品集、この場所の作品が1席、このモデルさん3席になっていた。
 
1975年11月 参加証拠写真

1976年 オイルショック後、景気急回復
月給 倍増  500mm望遠レンズを買う。
最大の無駄遣いだった。かさばるので、持ち歩かない。


Reflex-NIKKOR 1:8 f=500mm LENS MADE IN JAPAN

中途半端な倍率で望遠鏡にもならず、
野鳥の撮影ぐらいしか、ほとんど、使い道がなし。
家近くに飛んできた キジバト 2-3枚 撮っただけ。
撮影事例の写真が残っていない可愛そうなレンズ。

フォトミックファインダーは5年後くらいたってから購入、バランス悪くおじぎする。
元に戻して使っていたので、これも無駄な投資だった様な気分。


海外出張はもちろんNikonF
日本人の名札のようなカメラ
Scotland、San JoseはNikonF(1983-1986年)
工場で業務写真を撮るが、ストロボを使うと火災報知器が作動する。
写真を撮るとき、守衛室へ行って、OFFにしてから撮影していた。
休日を挟む出張は写真がたくさん撮れる。
NY(一泊)は持って行ったが、カメラを出す時間がなく残念。


nikkor club
年会費が結構、高かったので 長居はしなかった。
でも、非売品の良い資料が 送られて来た。手元に今もあるので 表紙を紹介する。

NIKKOR ANNUAL 1974-1979 5冊 (5年間 会費は払ったらしい。)

    
nikkor club salon books(非売品 2,3,4,5号)
  (1号は1969年森裕貴 京都   中身に記憶があり、あったかもしれない。)

こどもたち と 秋田 は 1950年代の写真で 同じ時代を生きている。
戦後、貧乏で、まだ寒い思いはしているが、焼け跡で元気に遊んでいた。
そのため、この2冊は (衣食住) 記録写真の目で見てしまう。
土門拳はレンズ読本で素朴記録主義と書いている。

土門拳といえば 室生寺  当然ながら我も写真は撮りに行っている。
不便な所なのに、観光客がいっぱい。

1979年4月


木村伊兵衛 題字は 土門拳







nikkor club 会報


 
                   クリックすると字が読めます。



















NIKKOR CLUB JUNIOR 会報

サロンブックスや上記の会報 レンズ読本はネットでたくさん売られている。
人気は 秋田 と こどもたち  非売品なのに結構なお値段。
会報も 木村伊兵衛・題字/土門拳 が売れ筋らしい。
ほとんど参考にもならない資料だと思うが。
この売買は 転売目的?
若い人は興味ないし、年寄はネット使わないし。
でも、戦後の双璧二人、捨てないで良かった!。

当時も思ったのだが、標準レンズの作品は ほとんどない。
多分、最多は  24mm広角    広角の作品がやたらと多い。
カメラ本体より高価な新発売レンズ20mm、28mmの選考も多い。
会社は口を出さない宣言しているが、レンズカタログは送られてくる。
応募側も数時間の撮影にフィルム60本とか、
オートワインダーの影響か、セミプロ化している。

1席作品や表紙データーの総評が多くあるので、評価基準、 
選者の傾向分析したくなるが、見るだけにする。
下記、写真作法に 他社の選考作業の記述がある。


クリックすると大きくなります。

巻末に付いている 応募票だが
写真を撮るとき、この項目、大抵、頭に入っていない。
応募したことないが、記録項目は書けなかった。
2007年デジカメは GPSで撮影場所まで記録される機能があった。
応募作品写真の選定評価基準が、どういうものか、今も想像できない。
技術写真の参考文献に、nikkor clubは、あまりなっていなかった。

自分自身も 風景写真に24mm多用しているが、全景を写し易く、旅先の証拠写真にぴったり。
標準レンズは家庭用三徳包丁みたい。  ノーマルな家族写真、集合写真に向いている。

NikonFの選択
団塊の世代はドイツ製に憧れる世代ではない。
性能では、CanonFTbと変わらず、コスパはペンタックスに大きく負けている。
おそらく    日本光学    社名が、決めてだったと思う。
飛行機は日本航空、バッテリーは日本電池、パソコンは日本電気、お酒は日本盛
みんな大好き 日本銀行券

アクセサリー
UVフィルターはレンズ保護で必須。

レリーズが形状特殊。ストロボアダプター必要。
何かと割高NikonF。

露出計セコニックマスター、OlympusPenD2の時に購入している。
FA購入まで使っていた。新品同様、現品あり。

カメラバッグにはいつも入っていたが、すこしカメラに慣れてくると
125s固定、晴16 曇8 雨5.6  ほぼ間違いなし  脇があまいな!

三脚は1970年に購入したものが、今も現役。逆付けで接写でも使用され、
今回のカメラ撮影にも、活躍している。

道楽写真は道具集めも結構好き
1972年4月 比較的安価な接写リングK-1セット、旨く撮れたので実験終了。
背景は、水槽用のブルーのプラスチックシートを使用。



このRINGは社用で私品を使っていた。
熊本から戻ると、備品のペンタックスは無く、実験記録や限度見本は
NikonFを会社に持って行って、同僚の分まで撮っていた。
監査の指摘写真は、定年まで、誰もが私品デジカメを使っていたが
工場のガードが甘い時代だったかも知れない。
他社ではガラケイのカメラにシールを貼るところが多かった。

ストロボ

頭でっかち ニコンのストロボ SB-16
結構出番があるのに携帯性が悪すぎ。

フィルター
レンズ保護のために、L39、1枚はつけっぱなし。
効能からして、必要性がほとんど感じなかったのでコレクションはない。



現像・引き伸ばし
1970年、就職して技術課の備品は アサヒペンタックスSP だった。
フィルムの現像は業者に出していたが、引き伸ばしは実験室の暗室でやっていた。
実験結果の説明用や仕様書の限度見本など、広く使われていた。
すぐに確認できるポラロイドフィルムもよく使ったがペンタックスも多用している。
ペンタックスはニコンFの購入選択の時、対抗機種で、学校の写真部から、
本体とレンズを1週間借りて試撮りをしており、操作は判っていた。

自宅で引き伸ばしを始めたのは1977年から。
フィルム現像も同時、英国製の楽ちん道具キットが出回った。
台所を暗幕で囲って、ラッキー90M(今も物置に眠っている)
半切をパネルに貼る。大変な作業で、ひとつしか残っていない。


引き伸ばしレンズもNikon


(自己満足用;カメラ名、フィルム名、シャッタースピード、絞り など記録は全くない)

撮影場所は 鬼子母神に行く道筋、都電の撮影事例では、時々見られる。
飾ってみたい写真は、A4プリンターで印刷し、額縁に入れるのが簡単。飽きたら、差し替えも簡単。


サブ カメラ
 

父親が1970年購入(NikonFより高い)のカメラだが、早々に我が家へまわってきた。
レンズ交換できないので、飽きてしまったらしい。
沈胴型、Penより小さく、軽い、シャッター音が小さい。
レンズは有名な Carl Zeiss Tesser 1:3.5 f40mm Rollei35 Singapore製
70年代後半から 国内出張のお伴となる。
飛行機の窓からの写真は この機械式カメラが多いはず。
ASA400になり、手振れなく、楽ちん ちゃんと写ルンです。


写真集


2軒隣が新聞販売店で、8月のホームページで紹介した美術展の只券、
後楽園の外野席など、販売促進粗品で貰った。(写真集、くれたのは1973年だけ)
パンダ(ランラン/カンカン)、周恩来・毛沢東・田中角栄 熱烈歓迎の頃。
ベトナム戦争終結、ミュンヘンオリンピック、洪水、墜落、中身が濃いい。
写真集、買ったことない。週刊ポスト(巻頭Nグラビヤ)と東スポ(競馬予想)は毎週買っていた。
後年、有名な写真集 Santa Fe 行きつけのスナックに 備え付け1冊 パラパラと見る。

1973年は平和な記録写真が多い。
 

2月 府中 前年ダービー馬タケホープ 三着ハイセイコー
ハイセイコーは総じて 2番手の手法をとる。
直線まではトップには出ないで、終盤に前に出る手法。
直線が最も長い府中は、早く出ると、差し馬にやられ、よく失敗する。
印象がとても強い ゼンマツ という馬は、欅では、しんがりでも
最も気持ちがよいゴール前強襲鼻差という勝ち方する。

企業でも、トップシェアをとると利益率は大きくなる。
開発競争で消耗しない作戦が、2番手の手法と言われていた。
単騎の大逃げ、2番手の手法、ゴール前強襲
2期赤字で首になるサラリーマン経営者は大変だ。
競走馬はもっと過酷、未勝利で終わると、熊本に行って名物になる。

天皇賞 カツタイコーで中穴、5月連休、あぶく銭、長崎周遊。
海洋気象台は全国で4か所、父親は転勤の可能性があったが、建設省移籍でなくなった。
その後、どんな所に海洋気象台があるかと、函館と舞鶴にも旅行している。

思案橋 市電停留所
チャンポン3軒はしご、統一レシピで皆同じ味、翌日、四海楼だけ、ちょっと違った。


10月モーターショー 12月浅草羽子板市 無料の全東京写真連盟撮影会
この方の影響ではないが、1台目、2台目は三菱ランサーを選択している。

参考書


アマチュア写真講座4  1936年  風景写真
時代的にカメラは軍事用なのか、望遠が中心。
大判カメラの画像は精密で大変美しい。6x9 6x6 6x45(セミ版)
我々の世代で6x9は記憶にないが
6x6は ローライレフレックスやハッセルブラッド 70年代まだ多くみかけた。
6x4.5は ZeissIkon そのコピー機 父親が使っており、蛇腹の紙が破れそうだった。

アサヒカメラ講座1 1954年 人物写真
著者の中に 木村伊兵衛さんがおられる。
上記 秋田 の表紙 興味ある記述がある。
都会育ちのモデルさんを 秋田おばこ に仕立てる苦労が書かれている。
モデルに野良着を着せて、田んぼに立たせても、 秋田おばこ にならない。
失敗作も掲載されている。2年がかりで、菅笠をかぶせて、演出し、やっと成功した。
秋田美人に違いはないが、計算されたプロの表紙、ポートレート。
この記述は、ほかで、あまり引用されていない。土門拳との対比で興味深い。
表紙写真と 中身の素朴記録 大曲の人物風景写真 再編集本で違って見える?。
巻末の中堅作家座残会で落選作品20点の悪い部分、言いたい放題がユニーク。
足切りは知っていたが、指切りを知った。指の演出はわざとらしくて難しそう。
週刊誌表紙の中堅先生も、プロの基礎技術があることを証明している。

望遠鏡と顕微鏡
子供時代は 30mm望遠鏡 木星の衛星や金星の満ち欠けは観察できた。
1964年 60mm屈折望遠鏡購入、神戸狩口の夜空、 6等星までは目視で可能だった。
カメラを取り付けたかったが、結構難しい。
望遠鏡や顕微鏡の接続アクセサリーは高価で、とうとう買わなかった。
東京の空、精々 4等星まで、望遠鏡は立派な木箱に今も眠っている。

PEN付き顕微鏡、父親が持っており、夏休み宿題用に我が家へ。
基礎知識の参考書、ピンボケ失敗、現像しないと判らない時代。

写真作法 1976年  面白いが難解な本
この本の主題は 
モチーフ創作の動機となった主要な思想や題材とカメラの直結
絶対非演出の絶対スナップ (上記の素朴記録主義と同じ意味なのか)
新聞写真、商業写真、道楽写真は 芸術写真でないと。
秋田 を意識しているように感じるが関係修復後の
1976年発行で、木村伊兵衛さんが亡くなった2年後。

応募作品何百点から特選・入選20数点、選ぶ話。
土門拳さんの選択基準は上記から何となく判る。
1950年代に毎月、土門基準で20点入選する、すごい・すごい。
この本、写真は一枚 著者近影

制作の動機、主要な思想  このホームページの写真にはない。
写真はメモリーのひとつで記録媒体として活用した。
制作と言う概念なく、思想的な背景で写真は撮らない。
母親に“才能がない”と言われ言われていたことから
芸術とは無縁の 釣りと同じ道楽写真と業務に使う技術写真だけ。
この著書ではマチエールがよく使われる。
技術者の所感
SEM写真はちょっとした角度で マテリアル(結晶面など)の表情が変わる。
説明しやすい角度(演出)選ぶ、事実ではあるが真実かどうかは疑問だ。

定義らしい芸術写真家 いる?

FOCUS1981・FRIDAY1984FLASH1986創刊号を買ってきた記憶がある。
報道写真や女優・アイドル写真集、服飾写真、スキャンダル写真
無縁のカメラ世界が広がった1980年代。銭とカメラの直結
週刊誌も女優ヌード掲載のカメラ雑誌は、必ず誰かが持っていく。
もう、我が家に帰って来ることはない。
1981年カメラ技術向上に貢献した中央競馬を引退した。

中古カメラ
Nicca S-3
 
NIKKOR-HC 1:2 f5cm
1985年に父親がNIKKORレンズ付きの理由で古道具屋から買ってきて、置いて行った。
このカメラでnikkor clubに入れたかは判らないが
山形出張の時、白黒36枚撮った、ちゃんと写ルンです。それだけでしたが。
ライカMのコピー機  大変、重く サブカメラには ならず。
レンズ表示cm 1936年、1954年書籍もcm   いつからmm?

15年ほど前に、ホームページを見た見ず知らずの方から、
NikonF 中古買ったが、使い方が判らない。
メールを貰って、取説で調べて、返信した。
質問はフラッシュバルブ関係だったが、その機能は自分も使ったことがない。

中古カメラブーム、京王デパートで駅弁より多い、催物最大の人出だったとか。
中古カメラの大ブームは2005年頃だと思うが
今も、趣味でやっている人は結構いる。
年上の近所の方、見たことない 中古スイス製小型カメラを使っている。
ほかにも 2台 持っているとか、見せてくれたのは被写体、公園の草花だった。

中古カメラの活用、主題は 何でしょう。
今のところ、用途は 本棚の置物


NikonFA(1987-2001)


使い勝手が良くなった後継機。
Fシリーズは無縁の世界に行ってしまった。

この時期 マクロレンズ 55mm 105mmを買っている。
レンズ外観に変化がある。コストダウンのプラスチック化。
グリップがこれ以降、アルミ合金から軟質プラスチック。
Fの時代は、まだ 精密機械 チタン膜フォーカルプレーンシャッター
1:3.5 f=135mm 1:2.8 f=24mm  オール金属、見た目、プラスチックはない。
パーツはニッケルメッキと黒色クロム 摩耗で動きが軽くなる。
剥げた所を見ても錆びやすい銅合金でなく、ニッケル合金ではないかと思う。

この 55mm 10年で動かなくなった。外観はグリップの樹脂が変質している。
内部の錆びか、プラスチックの経年劣化。
同じ構造の105mmは、デジカメに付けて今も使っている。
55mmは標準レンズとして使っていたが品質低下、品質バラツキではない。
この2本のレンズ Made in Japan 刻印が見当たらない。
箱には Made in Japanとある。変わったシール(この製品は国内販売用・・・・)

内部のラック(歯車)部に 錆び取り材(5-56)を付けてやると動くようになった。
綿棒にグレーの錆びがかなり付いてくる。かなり錆び落とし、したが動きは重い。


本機の撮影対象は子供、植物、昆虫、旅行風景   モデル撮影会は卒業。
運動会や夏休みの宿題で活躍する。

NikonFAは90%以上、子供写真で それ以外の写真が極端に少ない。
最初のSingaporeと北京出張写真  最後の出向宮城県、風景写真は NikonFA

マーライオン     王府井の入口
中学生の頃、王府井で拉麺を食べるのが夢のひとつだった。
しかし、ラーメンのお店はなかったので炒麺を食べて空港に向かった。



イトトンボ  スジエビ と 閉じているイソギンチャク


時代劇でお馴染み彦根城   新宿東口さくらや(1995年3月)  子供をトリミングで外した吉野ヶ里

1997年 フィルムスキャナー購入
ニコン製フィルムスキャナーとNEC98パソコン とても相性が悪いらしい。
接続確率10% アナログの様な時代、時々使用できる。
両社のお客様相談室から製造工場の技術者へ回してくれて、
アドバイスをもらったが、全く、改善しなかった。
ニコンのホームページに98との接続問題、記述があったような?
一コマ・スキャンに3分ぐらいかかっていた。
スキャナーの練習用に選んだネガは1970101 南禅寺三門の仏様
NikonF購入後、1本目のフィルムだったと思う。1枚しか撮っていない。

クリックすると大きくなります。オリジナルのスキャン画像 約1MB。
1970年元日の写真、NikonF 1:1.4 f=50mm、鮮明に撮れており、
性能チェック向き画像と考えた。細部まで鮮明にデジタル化されていると思う。

ホームページ用の写真が出来たので めでたくHP開設となる。
数ヶ月後、メモリーの空きスロットへSIM2枚追加し4枚にしたら問題解決。
タワー型の最新機でメモリー増設はネット閲覧高速化の別目的だった。

FILM

クリックすると定価と売価が読めます。
フィルムはほとんど 西淀(近年、新宿西橋カメラをこのように略す)で買っていた。
品名は現在とあまり変わらないが価格は27年で高いか安いか、2倍程度になっている。
さくら、富士、コダック以外は使ったことがない。手振れ防止でASA400を多用していた。
淀橋は神田川にかかっているが、まわりは再開発でとても美しくなっている。


カメラの履歴通り、Fの現役は1987年頃まで、フィルムカメラNikonFAが2001年頃まで。
根拠は解像度が概ね、3.3Mega Pixelsで、デジカメがフィルムカメラを上回ったと確信した。
デジカメ
Cyber-shot DSC-S70
 2000年3月31日 発売5日目 ヨドバシ売り切れ、さくらやで購入。

レンズは有名な Carl Zeiss  3.3Mega Pixels

充電1回 60枚撮影できる。フィルム2本分、以外に少ない。
撮影データJPGはノートパソコンへ移し、夜間充電する。
後日、ノートパソコンから据置ハードディスクに移す。
現像、引き伸ばしに比べれば、それほど苦にならない。
予備バッテリ購入で120枚。
データーはパソコンのスライドショーで見て、
人物写真は必要に応じてプリンターで印刷する
最高画質で撮ると、全紙までプリント出来そう。
21世紀は、すごい時代になった。
でも、カメラは 洗濯機と同じ家電製品になった。

画像編集ソフト

 

付録に 機能限定フォトショップが付いてきた。
階層編集がない程度。
傾いたビルをまっすぐにしたり、人物をはめ込んだり
部分的に変形させたり、やりたい放題。
よって、当初は写真でないとされていた。
宮城時代、業務で使っており、フルスペック品は メチャ高いが
機能限定品も、トリミング、サイズ変更、明暗、色彩編集等々、快適に使えた。

アナログ(JPG化)とデジタル
 
2001年はあまり知られていない、基板の難燃剤で断線、ハードディスク問題があり、
デジカメの画像データが多数消滅。データーのバックアップが最重要となった。
NikonFA   SonyS70
ほぼ 同じ場所だが デジカメの方が シャープに見える。
ネガのJPGとダイレクトのJPGの違いかもしれないが。

2000年以降、撮影対象が子供から植物に変わる。
ピントが何処にあっているか、画面で確認できるのは、とても便利。

  
2000年4月 
5軒先に群生していた、タチツボスミレ 我が家にも侵入してきて咲いていた。
白石のアパート駐車場、シロスミレだらけ、東京でも繁殖力が強い。小さいスミレも白石。


NikonD40x 10Mega Pixels

MADE IN THAILAND
過去の交換レンズが使えるニコンのデジカメ 10メガになるのを待っていた。
D40とD60のつなぎ製品で、3か月くらいしか、販売されていない。
レンズセットを買ってみた。軽く、プラスチックのおもちゃ感覚。
CCD(解像度)3倍、電池寿命、撮影枚数、手振れ、全く気にしないでよい。

定年後の海外旅行は1回に約2000枚、撮ってきている。
ファインダー越しに風景を観て、歩きカメラになる。

ポンペイの石窯、大好きなピザを焼いていたか。
チップス先生さようなら では、遺跡の映像がたくさん出てくるが舞台が中心。
ここの入場の時、日本人のビデオカメラの団体が、受付で、もめていた。
遺跡を傷つける可能性があり三脚の持ち込みは禁止だそう。
盗まれる危険もあり、預ける、預けないでもめている。


  
気象台育ち、天気に強く、記録写真は青空が多い。青の洞窟 波静か、アマルフィー 快晴。

10年目、突然故障した。  家電の証明(7年保障)
高級カメラの販売カタログに回路基板の写っているものがあったが
見る限る 汎用の安い基板が使われている。
お家家電より過酷な環境で使うカメラ。
マイグレーションの起こりにくい、基板や工程を選択しているかどうか。
D40は不良個所が判っていた様で、交換部品が準備されていたとのこと。
10年もったことは出来の良い方の製品だったらしい。
裏蓋は簡単・単純に外せる。ネジの長さ、2種類 復元は要注意。

画面中央のオレンジの歯車、この部分をピンセットで動かすと、
一時的に回復する。変形か摩耗かゴミか、強力噴射で掃除して
動かしてみたが、6回くらい撮影できて、また故障する。
ギアセットの交換が必要なのだろう。そこまで!。


NikonD3200 24Mega Pixels
D40x 家電を意識して、7年目にボディのみ購入
デジカメの性能は CCDだけ
後は 見栄

30メガまで、待とうか迷ったが、CCDの性能も頭打ちの状況だった。
D40xとの性能比較は
D3200とD40xで近くの釜寺の釜を撮ってきた。

クリックすると大きくなります。
空の色の違いはED18-55mm1:3.5-5.6GⅡとNIKKOR-NCAuto1:2.8f=24mmの差だが
1973年の24mmもカラー対応のレンズコーティングと言われていたが結構違って見える。



プリンター
1986年 我が家も9801VM2からインターネットの時代となる。
高価な48ドットのプリンターからPM770C、hp(型不明)も1台
良く壊れる、粗大ごみ有料で廃棄する。特にA3は廃棄料金が高い。
年賀状はhpのプリンターにはがき用部品と絵のソフトが付いていた。

PIXUS MP960 2006年 
ネガのJPG化 12コマ スキャンできる この機能で購入。
大量のネガのデジタル化が始まった。
ホームページサイズは問題なし。手札版程度まで印刷できる。
ネガのない、アルバムの写真もスキャナーでJPG化。
インク漏れ不良で5年持たなかった。後継機種フィルムスキャナー機能なし。
プリントはCanonのMy Image Garden を活用するようになる。
カメラ屋のプリンターはちょっとよいかも。
MG6530から 現在 TS8130

精密機械なのに、プラスチック化でインクジェットは本当に短寿命。
デジカメの電池とプリンターのインク どうして、コロコロ変える。


CanonとNikon
1970年 配属の技術課は 4:1  武蔵小杉 Canonのオヒザモト近く。
F2発売後 2:4
交換レンズやアクセサリーの互換性考えると乗り換えは難しいけど。

(1985年、父親がオートフォーカス、ミノルタα持ってきて見せてくれた。)
1986年CanonEOSは子供写真奥様用で圧勝、NikonFAはやや見劣り。

定年後の海外旅行 6:4    D40x持ってゆく。
団塊の世代、男性が多かったのが理由、Fの話で盛り上がる。
Canon持ち女性、ストロボ点灯しないので見てくれと頼まれたが、
デジカメの設定項目、チンプンカンプン、進化系統がまるで違う?

大宮公園のカワセミがとまる竹竿に、高級三脚・超望遠レンズが勢ぞろい。
一人百万円超え、総額一千万円は超える。ベンチに座っておしゃべりに夢中。
vsN  ほぼ互角。  Zi&Ba ほぼ同数(以外)
カルチャー教室らしい。横からスマホでカシャ。

ガラケイガラパゴス携帯

Cyber-shot と SOL22
車や電車ではダメだが、入院中、ワンセグテレビが意外と便利だった。
特徴は通信データー消費がない。ラジコはデーターかなりを食う。
ガラケイの時代、写真やゲームをやると電池の消耗が激しいので
携帯電話でしかなかった。

スマホ
SonySOL22(スマホ) 13Mega Pixels 6年使用
利便性最高、携帯電話
ウォークマン、デジカメ、ワンセグテレビ、Mpg動画、メールもできる。
コンビニで支払い、カメラ性能もD40xを超えている。
Xperia1号機、評判悪く、ネットに2号機改良版が出るまで待ての
記事があり、2か月待って購入、電池が自分で交換できる。
今も壊れていないが、使えないアプリが多くなり、機種交換した。
釣りにはジップロックに入れて持って行く。
スマホの唯一問題は、手振れ防止機能がまだ付いてなかった。
釣船のエンジン振動を拾ってしまう。
左2枚移動中、     右1枚エンジン停止中。

  
クリックすると大きくなります。

ヒガンバナ 深度あり、良く写っている。

クリックすると大きくなります。

SonyXZ3(スマホ) 19.2Mega Pixels(2019-2022)
3年6か月で壊れる。
壊れ方がすごい。この夏の暑さで、2枚に剥がれた。
剥がれ面を見ると、接着剤が糸を引いている。
クレジットカードと同じ貼り合わせの作り方、すごい時代になってきた。
(不良解析のため、カード類はホットプレートで簡単に剥がせる。)


2021年2月 神田川 環七取水 出口付近  カワセミ発見。 
デフォルトモードで撮影して、トリミング。
オリジナルは6.4MBあるのでトリミングに耐えられるが物足りない。
静止画以外の被写体はカメラ操作に、熟練を要する。
ズーム操作が結構難しい。
画面を指で広げている間に何処かに行ってしまった。



SonySOG07(スマホ)1200万画素(12Megaから表示が変わる)
Xperia廉価版に機種変更。 パソコンとつながらない。
よくあるらしい、ネットで調べ、ドライバー更新でやっとUSB接続。
2週間後、またつながらない。
つながらなくても、SDカード取り出して、パソコンに接続したり
写真ならメール転送でも可能。bluetoothも、PCやプリンターとつながる。
USB接続は主流でなくなったのか。



試撮り 神田川 環七取水口 台風14号で活躍しているかも。
プロパティにデーター記録 f/1.8 1/784s 3.5MB ほか日付、位置情報など

CCD性能合戦は終わった様でスマホもデジカメも 12Mega Pixelsが主流。
4つ切りやA4プリンター主流で、現実的な性能。

子供たちの小学校は創立記念日が5月6日で
よく、空いているデズニーランドに行ったが
何故5月6日かは町内釣り友のお年寄りに聞いところでは、
昭和33年、神田川の洪水により校舎水没で開校が一か月遅れた。

現在も数か所でこのような施設が作られている。
50mm/H以上の降水は近年、良く発生するので、意外に稼働率は高い。
普段は川の中央を数10cm程度だが
取水口まで水位がある流れだと、両側の遊歩道では結構、危険を感じる。


写真館とアマチュア写真
何処のお家にも、家族のアルバムがあり、写真館で撮った写真が残っている。

1926年 3月頃 曾祖母、祖母、母 (隣は母の従妹) (男系は残っていない)


1951年4月20日と6月20日
この日付の間に、事件があり、写真館で撮ったらしい。

台紙は変質しても、写真はほとんど変質していない。
大判カメラと現品、白黒印画紙の実力はすごい。

家族アルバムは、ほとんどが集合写真と
お宮参り、七五三、成長記録写真
団体旅行で観光地の記念撮影や忘年会の旅館広間の集合写真が結構ある。
入学式や卒業式、修学旅行は記録集合写真であるが
近年、肖像権や個人情報となるので、扱いは要注意となる。
学校関係の集合写真を扱う写真屋さんは個人注文で結構、商売になっていた。

1949年10月 気象台 露場 後方に大鉄塔の影が見える。(西向きに座っている)
自分のアルバムでは、第1ページ、もちろん記憶はない。
父親のカメラは 蛇腹式(国産) ZeissIkonもどき。
何本か撮ったことがある。
ネガが大きいので、解像度はなかなかの物だったが
手振れの失敗が多く、三脚とレリーズが必須だった様に思う。

画像データー
撮影画像は第一に撮影年月でホルダー分類している。
ホームページ用は容量の関係で地域別に縮小画像をホルダーにしている。
今年は、4月から1970年代の地蔵、石仏をながめているが、結構、新しい発見がある。
下記 東京と 九州 大分県で 石仏を中心に掲載中。

神社とお寺
物見遊山の代表、神社とお寺
現世御利益の神社:商売繁盛、家内安全。
来世の保険のお寺:極楽往生、地獄の沙汰も金しだい。

写真の記録では圧倒的に お寺が多い。
古寺巡礼の影響がもっとも大きいが仏さまは写真になる。
意外に光線の加減でお顔の表情が変わる。
仏像意外にも、山門、塔、瓦、庭と撮影対象が多い。

 
南禅(寺)の瓦はよく撮られている。     笹竜胆の瓦、ちょっと珍しいと思った。

方や、神社は 御山御神体、御神木、鏡、鳥居、写真になりにくい。

1972年 渋谷の並木橋場外馬券売り場、競馬5戦目半券(@500)3枚買う。
ぶらぶらと明治神宮までカメラ散歩、お賽銭@50投入。
結果、17.5倍 黒字変換 何となく、競馬の勝ち方が判る。

1973年 東京競馬場、内馬場@200で遊ぶ。
96.5倍 帰りに 大國魂神社に寄り、御利益後払い、お賽銭@50投入。

1979年 後楽園場外馬券売り場特券(@1000)9枚買う。
ぶらぶらと皇居側四谷方面の坂を登ると 東京大神宮、お賽銭@50投入。
結果、64.5倍 現世御利益、絶大。

家から近い、新宿場外馬券売り場特券(@1000)を買ったあとは
明治通りを東に進むと、花園神社、終身勝率120%に最も貢献している

初詣はカウントされず、お賽銭の有効期限は投入後6時間程度と考察される。
カメラ機材の購入、旅行費用に大変貢献した神社。


写真の作法に 顔 の項目がある。
銀座八丁目で通行人女性2400人、顔の品定め
写真家気質で美醜賢愚快不快を瞬時に見定める。


美賢快 参考にならない参考書 手は?

外工折衝と言う技術項目がある。
外注先、材料購入先、ビジネスパートナーを選定する。
初対面の場合、顔の印象は大きい。
目つき、禿か白髪か、口の大きさ、前歯の大きさ、毛穴の大きさ。
眉毛、鼻、顎、耳も参考になる。
目は口ほどに物を言い、敵か味方かほぼ眼つきで判断出来る。
禿頭に悪者はいない。
北方系は口が大きい。
前歯は肉食系が大きくなる。
毛穴は南方、高温多湿で大きくなる。

約60%の性格、出身地が読める。

購入先はリスク回避で2社に出来るが地方の外注先は難しい。
担当役員と担当技術を見定めることは、重要な人相見技術であった。
営業は査定外、見栄えよく成形手術して、眼つきを良くしていることがある。
続いて、最も無難なお天気の話をして、訛りや話ののりの反応を観てから、
本題の技術力査定に入る。

モデル撮影会で、内面観察は不要、好みのタイプに写れば、それで良い。
ただ、ポートレートの基本、目や顔の角度は注意しながら撮影する。

写真になる山  富士山

1955年頃、初台から参宮橋の明治神宮西参道から富士山がよくみえていた。
住宅が2階になり、首都高速が出来てまったく見えなくなったが、
今でも、都内で見えるところはいくつかある。
 
京王線 笹塚~代田橋~明大前 先頭車両に乗ると線路の先に富士山が見える。

 
東海道線 鈍行 鳥栖行 車窓から           河口湖 国民宿舎屋上

 
三つ峠          飛行機窓から
登山は息が切れるので 山岳写真はほとんどない。


鉄道写真
撮り鉄で検索すると 迷惑行為 同義語で 趣味、撮り鉄とは書けない。
1999年宮城県白石市に出向中、茂木の道の駅で、撮り鉄に遭遇したが
線路脇に何十台も駐車し、高額超望遠レンズが並ぶ異様な風景だった。
道の駅側は子供たちも大勢見ているので、
蒸気機関車の運転手もサービスで、手を振っていた。
観光用、蒸気機関車など、写真に撮ってもと思い、撮っていない。
このジャンルの写真 モチーフ 何でしょうね。

N Gauge Model Railways 内の鉄道写真は概ね駅構内で車両現役時代の写真。


1972年 男鹿半島旅行  奥羽本線 乗車D51と対向車ほとんどD51

1973年 北海道旅行 根室本線 C58からC11に乗り換え

蒸気機関車はトンネルが近づくと汽笛が二つ、、窓を閉めないと石炭臭い煙が充満する。
趣味的には、電気機関車が好き。 

5歳の頃、親戚からのお下がりでゼンマイ式HOゲージ線路を走るEF15を持っていた。
Nゲージコレクションでは新幹線に次いで古く、貨物専用電気機関車。
袴部分も動き、低速で安定した動きがとてもレトロな雰囲気。
動いて、真価の鉄道模型だが、動画(4MPG)はメモリーを食いすぎて
3.5G/15秒と無料のホームページ枠100Gには、掲載しずらい。

季節の写真
3月の花

町内では最も古い、戦前からの藪椿、2月からチラホラ咲いている。
水仙、古株だが、数年、日当たり悪く花が咲かない。
幼稚園といえば、チューリップ、近所では、花が終わっている。

Instagramは 画像が 基本正方形で 花写真だと、とてもなじむ。

陽光桜 3月17日開花

下記の掲載写真について
1965年からの保存ネガはフィルムスキャナーでデジタル化し整理しています。
  2000年から、デジカメ使用。
最近は ほとんどスマホ。

神戸...........................................................................最終更新 2024/3
東京・関東・甲信越・東海.......最終更新 2024/3   神田川
近畿・山陽・山北陸 .......... .最終更新 2024/3  北陸3県
沖縄・九州・四国..............................最終更新 2024/2  大分 石仏  四国   
北海道・東北...........最終更新 2024/2   尾瀬
海外(Scotland).旅行.........最終更新 2024/2     ITARIA
N Gauge Model Railways..........最終更新  2024/2  乗車券  

ご意見、ご感想は下記のメールへお願い致します。


sni@mub.biglobe.ne.jp
Copyright (C) 1997-2023