東京・関東・甲信越・東海 写真
最終更新 2024年11月17日
東京の遊園地 浅草 花やしき
東京の2月は晴れの日が多く、写真日和。1978年2月 (46年前)
1950年代はラジオで落語、映画は東映チャンバラ、1960年代は末広亭へ通う。
1970年から通勤読書で江戸情緒が漂う、山本周五郎をほぼ完読する。
写真を撮りに行くきっかけはこのあたりにある。
よって道楽写真は 江戸六地蔵、五色不動、谷中へ向かう。
新宿から始まるが
目黒、品川地区
西日暮里、谷中地区
巣鴨地区
ほぼ一か月、徘徊しているが観光客はまだまだ少ない。
1978年2月に、お参りして何かを撮影したお寺リストは下記の通り。
太宗寺、品川寺、泉岳寺、覚林寺
青雲寺、天栄寺、本妙寺、養福寺、修性院、南谷寺、大圓寺、真源寺
常徳寺、吉祥寺、天王寺、経王寺、円乗寺、天栄寺、慈眼寺、高岩寺
この説明がきから、江戸六地蔵 お参り撮影となる。
1978年2月 甲州街道、太宗寺(三) 閻魔大王 奪衣婆
何度か行っているが、御堂は格子や網で写真が撮りにくくなっていた。
東海道 品川寺(一)
1978年、品川の海がわは未開発で、古い街並みが残っていた。一枚くらい写真を撮れば良かった。
北側は泉岳寺や清正公など撮りどころは多い。
覚林寺 浄行菩薩
清正公
2度も出向したので上熊本の本妙寺はたくさんの写真がある。
加藤清正 熊本 本妙寺
奥州街道 東禅寺(二) 中山道 真性寺(四)
江戸六地蔵は 現存5体。
5番目は水戸街道にある。
写真は撮ってきたが、界隈が、空襲で、その後、とてもきれいに整備されて
霊巌寺や清澄庭園、背景がまったく江戸情緒を感じられず、
整理が悪く写真は行方不明になってしました。
高岩寺 洗い観音と地蔵様
東都六地蔵
年代では、こちらが古い、江戸六地蔵。
(雪見寺) 浄光寺(東都三) 六道地蔵
前掛けで持ち物が見えないが 幢幡、柄香炉、合掌、数珠、経、錫杖・如意珠
お地蔵様は多い
天栄寺 子安地蔵 幢幡地蔵
常徳寺 おその地蔵 六地蔵の3体
学童守護 (一円)地蔵
六道地蔵 考察
都内だと思うが 6道地蔵の持ち物が明確に写っている。
柄香炉、( ? )、幢幡(どうばん)、数珠、合掌、錫杖・如意珠
2番目の持ち物が、棒2本の事例がほとんどなく、形は天蓋、宮殿、経箱、華篭が考えられる。
上記、諏訪山吉祥寺HPの六道地蔵が柄香炉、宝珠、(天蓋?)、幢幡、錫杖・如意珠、合掌
六道観音、事例の 天蓋が最も絵柄が似ている。
宝珠、錫杖・如意珠、柄香炉 数珠、合掌、( ?宝珠 ) 寺名 不明
長野 善光寺 六道地蔵と延命地蔵
持ち物の配列は 子供、宝珠、数珠、柄香炉、合掌、錫杖・如意珠
六道の文献並びは 地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天 がほとんど。
この順に持ち物を並べると 錫杖・如意珠、宝珠、幢幡、数珠、合掌、柄香炉 となる。
宗派 経典の違いにより、持ち物は結構バラバラで、逆並びでもない。
ひぐらしの里 花見寺 谷中七福神
都内の七福神
谷中七福神 浄居山青雲寺 恵比寿 大黒山経王寺 大黒(谷中七福神に入っていない)
経王寺 大黒天は3面六脾、4俵 ちょっと変わっている。
東海道七福神の品川寺検索で変わった構図のこの万歳 恵比寿 が出てくる。
寿老人 谷中のどこか 恵比寿
毘沙門天 福禄寿 弁財天
修性院 ひぐらしの布袋 よいお顔をしている。
山の手七福神と言うのもあるそうだがが写真はない。
全国 七福神
柳川 漁港の恵比寿様 ふくよかなえびす顔
岡山 大きな袋、打ち出の小槌、2俵 3点セット お馴染み大黒様。
白石 山神様のわきにあった大黒様。
出雲大社、大きな袋の大国主命
八坂神社 縁結びの神様 横
谷中散歩
仁王門がある養福寺
時代劇でお馴染み 富突 感応寺→天王寺 釈迦如来坐像
諏訪山 吉祥寺 釈迦如来坐像 小学校の校庭にあった、二宮金次郎の墓
金龍山 大円寺 焙烙地蔵 大円寺 境内
円乗寺 八百屋お七の墓 吉祥寺 吉三・お七 比翼塚
目黒、目白、目赤、目黄 四か所出かけているが 不動尊に お目にかかっていない。
境内で随分、写真は撮っているが、御開帳されていないのか記録写真に不動尊が少ない。
明王 別の記録写真から、探すが意外に少ない。
大威徳明王(高知・筆山YH・文化会館) 不動明王(熊本・成道寺) 摩崖仏 不動明王(神戸・太山寺)
摩崖仏 不動明王 大分・普光寺
1976年5月、免許とりたてで一人、未舗装の山道を分け入った。
離合できない道だったが、行き帰り、全く車と出会わず、良かった。
現在 熊本 から 大分石仏が見られます。
恐れ入り谷の鬼子母神 真源寺
1978年の写真は古めかしく黒白で撮ってはいるが
鬼子母神、近くの寺は、鉄筋コンクリートの二階建てが増えつつある時代。
境内の石仏
観世音菩薩
01. 06(浄光寺).
大きな建物や仏像は焼失や空襲で再建された物が多いが、
境内の石仏は、元禄や天保といった文字が読み取れる。如意輪観音(天界)が結構多い。
観音菩薩
聖観音(地獄界)
密教の六観音は
聖観音、千手観音、馬頭観音、11面観音、准胝観音、如意輪観音
六道地蔵と同じく 地獄 餓鬼 畜生 修羅 人間 天 に対応する。
浄行菩薩 谷中のどこか
12
庚申塔 中央の青面金剛明王の下にも三猿。
足元に邪鬼、両側に石仏、童子と、お約束通りの構成になっているが、
左も明王、右は?、ちと、違っている風に見える。
青面金剛明王
次に多く観られるのが宝輪を持っているので青面金剛明王、足元に、見ざる聞かざる言わざる、三猿がいる。
三猿がいるので、庚申塔。
釈迦如来立像
谷中 いせ辰 江戸犬張子 (猫だと思っていた。)
1996年 谷中 27年前
常在寺 近年、しょこたん、ゆかりの寺 長光山 龍泉寺
大雄寺 慈母観音 多宝院 慈母観音
(上記6写真はまだ、場所が特定出来ない) 千手観音(餓鬼界)
1996年 小伝馬町
宝安稲荷 大安楽寺
神戸、大倉山とつながりがある。
大安楽寺の向かい側 十思公園
時代劇でお馴染み 小伝馬町 牢屋敷跡、“は組”、谷中諏訪神社は“れ組” 芝神明は“め組”
谷中諏訪神社 境内
1996年 丸の内から四谷方面だと思うが新しそう。
三猿の上にお釈迦さま 如意輪観音 正観音
新宿方面2007年
職安通り
2008年 初台、不動通り
馬頭観音(畜生界) 荘厳寺 不動明王
早稲田付近なので 一陽来復 穴八幡かな(融通の神様と言われていた)
都内で広いところは神社とお寺だが1980年以降、周りの変化と共に
コンクリート化が進み、土の面が減少して足が遠のく。
ただ、町の仏様も花が手向けられ大事にされていてほっとする。
神田川 全長24.6km
井の頭の池から
和泉町龍光寺約8km
新宿淀橋約12km
高田馬場約17km
ここまでは遊歩道が整備されていてお散歩コース。
お茶の水、秋葉原、隅田川まで
江戸百景 井乃頭の池(新聞景品) 分岐、日本橋川出口は水天宮の先に永代橋のモニュメントがある(2004年)
この区間をカメラ散歩しているが、名所旧跡は少ない。
神田川・塚山橋 涙石 イタリア マテーラ 吾妻兼治郎 作品は金属
世田谷にはダイダラボッチゆかりの代田、代田橋(玉川上水)の地名や駅がある。
巨人が泣いたと言う伝承の記述がない。
関係がありそうで、無いような、まったく確証はない。
神田川ぞいにある龍光寺 お地蔵様の向かいは 元和泉小学校
最近は日曜のみしか開いていない、境内の裏に四国八十八か所がある。
一番から順に八十八番まで並んでいる。
行ったことのあるお寺
25か所、写真を撮りに四国に行ったが、88番は行っていない。
美形の山門 ここの除夜の鐘は今でも大きく良く聞こえる。
杉並の児童公園の5時は 夕焼け小焼け
弁天橋 カンガエル 釜寺の南側 神田川をはさんで 方南小学校の下校時は 家路
善福寺川との合流地点に丸ノ内線の車両基地が川向うに見える。
神田川は中野区に入る。
関東・甲信越・東海 日本地図の順に写真を並べる。
完成には時間がかかりそう
茨城県
茨城はよく通過している県で、筑波、日立は出張も多く
294号、6号線は宮城への裏街道でよく走っているのに、写真が出てこない。
袋田の滝や大子町の道の駅、温泉にも入っている。
取敢えず、釣りに出かけた潮来のきっぷ。
栃木県
伊香保温泉(宴会同好会向き) 榛名山
群馬県
1970年忘年会 那須 十石荘 1977年鬼怒川温泉・忘年会 日光 陽明門
埼玉県
1970年頃、ダシェータマvsツンバと言われていたが近年、ナウい ダサイタマvsヨコヨコと言うらしい。
東京急行はOh!のぼり優先、埼玉県民と神奈川県民に座席が占領されている。都民ファースト席があればいいが。
説明看板がないと、どこかわからない。
千葉県
清澄寺(せいちょうじ) 中門
神奈川県
年代的にはブルーライト横浜(港のヨーコ、燿子、陽子、洋子)横須賀
新潟県
)
上越市から妙高 佐渡 風島弁天
長野県
小谷村 松本城 上田城 西櫓
1972年2月みなみおたり駅からスキーを担いで民宿の村まで、距離があり良い運動。
新設リフト1本、ゲレンデはほぼ貸し切り、10人以下だった。
山梨剣
昇仙峡
岐阜県・静岡県・愛知県・三重県
岐阜県
赤かぶ漬けで一杯 飛騨高山から、
車で近い、下呂温泉はお肌がつるつる温泉。温泉同好会向き、お湯は最高。
1976年8月 不動明王か 円空仏ぽい
ネガの並びから飛騨高山 国分寺らしいが何処の御堂か不明、
静岡県
舘山寺
愛知県
愛知は 車か城か 大須か青柳 煮込みかきしめん 味噌カツが一番
三重県
那智の滝
スペイン村 ブラジル丸
神戸港のアルゼンチナ丸と同型と思っていたが、イメージが違う。