農学博士・竹下 伸一 Shinichi Takeshita
宮崎市近郊の多くの人は,湿原というと高鍋湿原をイメージされます.でも,川南湿原のことをご存じの方は,多くはありません.川南町の国道10号線の脇に,その湿原はポツリとあります.南側には国立川南病院.北側には住宅地や農地,西側にはため池があって,とてもこんな所に湿原があるとは思えない環境の中に,ひっそりと存在しています.でも,この湿原は九州では唯一,国の天然記念物に指定されている貴重な湿原なのです.
縄文時代より少し前,地球は氷河期でした.このとき寒い気候を好む湿原性の植物達が九州南部地域に多く生育していたと考えられています.その後,徐々に地球は温かくなり現在の気候に落ちつくにつれ,寒い気候に生きる植物たちは北へと移動していき,温かい気候を好む植物たちがこの地域を支配していきました.しかし,この川南湿原だけは違いました.ここだけは,他の植物たちの浸入を拒みつつも,寒い気候を好む植物たちが生き続けました.でも,どうしてこんな温かい宮崎の地で彼らは生きてくることができたのでしょう?
現在私たちはその要因を調査しているところですが,いくつかある要因の中で,水がそれを可能にしたのではないかと考えています.
水は,たとえば土などに比べると,温まりにくく冷めにくいという性質や,蒸発するときに周りの熱を奪っていくという性質を持っています.こういう性質を持つ水に優しく包まれていれば,湿原の植物達は,厳しい夏の暑さの中でも生きていくことができると考えられます.
では,その水はどこから来るのか?
そのヒントは,“水循環”によって育まれる宮崎の豊かな水環境にあるのではないかと考えています.
地球上の水の約97%は海にあります.太陽の光を浴びた海の水は蒸発して空高く舞い上がります.舞い上がった水蒸気は風に運ばれ,山にあたるなどして雨となって地上へと降っていきます.地上に降った雨の一部は,植物を濡らして蒸発したり,地面にしみこんで地下水になったり,地面を流れ川をつくるなどして海へと下っていきます.この水の一連の旅を,“水循環”といいます.地球に水が誕生してからこれまで延々と繰り返されてきた営みです.この一連の旅にかかる時間は,平均すると約10日とされています.
こうした水の循環は,基本的には流域を舞台に繰り広げられます.流域とは,ある川に流れる水が集まってくる範囲のことで,その流域に降った雨だけが,川に流れてくるのです.地下水の場合はもう少し複雑ですが,それでも基本的には川と同じで,流域に降った雨の一部が地下水となります.
川南湿原を取り巻く流域の上流には尾鈴山系があります.そこに降った雨の一部は地面から地下へと浸み込んで,地下水として日向灘に向かって流れていきます.そうして流れ下る地下水の一部が,高鍋町や川南町に広がる台地を通る途中,ちょっとした地面のくぼみから所々湧き出てきます.この湧き水が,川南湿原の植物たちを暑さから守る水だといえます.
いま世界で表面化している水の問題のいくつかは,水循環の舞台である流域と,人の営みの舞台である地域が一致していないことによってもたらされています.流域を無視して国境が引かれたことで,循環の輪が切れてしまっているのです.これは日本の自治体の境も同じです.
私は以前,愛媛県松山市で生活していました.松山市はしばしば渇水に見舞われていました.松山市の年降水量は約1300mm.宮崎の年降水量が約2700mmですから,約半分の降水量です.これは平均ですから,雨の少ない年には1000mmを下回ることもあります.このように雨の少ない地域なのですが,この地域をさらに渇水の危機に陥れる原因の一つが流域と県域の不一致にあるといわれています.清流で有名な四万十川や仁淀川は高知県を流れる大きな河川ですが,その源流は愛媛県にあります.愛媛県に降った雨が高知県に流れているのです.せっかく愛媛県に雨が降っても,その水は高知県へと流れ高知県民が利用する水であるとされるため,愛媛県側が自由に利用することはできないのです.
宮崎は,雨が多く,しかも大きな河川の流域と県域がおおよそ一致しています.もちろん一部鹿児島県などにかかる流域もありますが,基本的には宮崎に降った雨は宮崎へと流れてくる.水循環の舞台と,人が水を利用する舞台とがほぼ一致しています.この一致は,とても幸運なことで,水の循環と利用のバランスをとりやすい環境にあるということです.
川南湿原流域の水循環は,遙か昔からあまり乱されることなく維持されてきたのでしょう.それはそこに住んできた人々の営みの大きさが,水循環を乱すほどの大きさではなかったということでもあります.それによっていつも豊富な水が湿原に湧き,植物たちを守ってきた.
でも,このバランスも安泰ではありません.人の営みは絶えず変化しています.それに伴って水循環のバランスは乱れ,湿原の水環境を変えてしまう恐れもあるのです.しかし,再生するチャンス,バランスを取り戻すチャンスはあると私は信じています.なぜなら,水は常に流れ,10日間で一周する旅,循環を繰り返しているのです.繰り返される水の循環の中で,時間はかかっても,着実に健全な水環境を取り戻していけばいいのです.可憐に咲く湿原の小さな花たちを見ながら,私はいつもそう思っています.
この記事は,フォトメッセージマガジン:日向時間 2006年秋号に掲載された記事の草案です.